表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第1部婚約破棄と「国の盾」の放棄 第4章 婚約破棄本番と国との決別

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/98

第25話 転移陣と新しい空

 レオン様の「二度と、この国の土を踏むな!」という叫びが、まだ耳の奥に残っていた。


 静まり返った外庭に、噴水の水音だけが規則正しく響いている。

 さっきまで玉座の間で渦巻いていた熱気は、分厚い扉の向こうへ置き去りにしてきたはずだ。それでも、王城の白い石壁には、まだじわじわと余熱のようなものが貼りついている気がする。


「……承知いたしました、殿下」


 さっき、私はそう答えた。

 この国の土を二度と踏まないつもりでいるのは、最初からこっちの予定でもあったのだけれど。


 それでも、言葉にされると、胸のどこかが少しだけきしむ。


 国の大結界と結ばれた鎖が、一段、また一段と外れていく音。

 それは、さっきまで確かにここにあったはずの「居場所」が、音もなく遠ざかっていく気配でもあった。


「アリア……!」


 息を切らした声が、背後から追いかけてくる。

 振り返れば、レオン様が手を伸ばしたまま立ち尽くしていた。隣にはリリアナ様。その後ろには、騎士たちと侍女たちと、もはや野次馬と呼んだほうが早い人々の群れ。


 あれだけ鮮やかに私を捨てておきながら、今さらその手を取るつもりはない。


「レオン様」


 私はゆっくりと頭を下げた。


「先ほども申し上げましたが、どうか、わたくし以外のどなたかと末永くお幸せに」


「待てと言っている!」


 かすれた怒鳴り声。

 彼の中で何と何がぶつかり合っているのかは、大体察しがつく。


 王太子としてのプライド。

 「身分ではなく心で選ぶ」と言ってしまった手前の、物語の主役としての顔。

 そして今ようやく気づき始めたらしい、「国の盾」を手放そうとしている現実。


 どれも、これも。


 もう、私の責任ではない。


「レオン王太子殿下」


 私の横で、低い声が響いた。


 黒いローブの裾が、風に揺れる。

 隣国ガルディア王国宮廷魔導師団長、セイジュ・アルバート様。王都の真上を走る結界の揺らぎに気づき、わざわざ受け取りに来てくれた、厄介なほど優秀で、少しだけ不器用な人。


「先ほど殿下ご自身が、『アリア・レインとの婚約を、ここで破棄する』と宣言されたはずだが」


 淡々とした確認に、周囲がどよめく。


「そ、それは……!」


「そのうえで、『二度とこの国の土を踏むな』とも仰った」


 セイジュ様は、何かをただなぞるように言葉を重ねていく。


「では、彼女がこの国から去ることに、何の問題もないはずだ。違うか」


 逃げ道を塞ぐのが上手い人だなと、他人事のように思う。

 もっとも、今この瞬間だけは、そのやり方に全力で甘えるつもりでいるのだけれど。


「ま、待て! 話はまだ――」


「十分だ」


 短く切り捨てるような声。

 レオン様の顔が、悔しさと困惑とでぐしゃぐしゃに揺れた。


 けれど、その表情に胸を痛めてしまうほど、私は優しくない。

 優しくあり続けていたら、きっと一生、この国から出られなかっただろうから。


「アリア」


 セイジュ様が、私の名を呼ぶ。

 その視線が、「行くか」と問いかけていた。


 答えは、決まっている。


「……お願いします。セイジュ様」


 私は一歩、彼の側へと踏み出した。


 その瞬間、胸の奥で、最後の鎖の音がした気がした。

 大結界と私とを結んでいた見えない鎖が、ぎり、と軋んで、静かに外れていく音。


 国の盾としての私が、ここで役目を終える音だ。


「転移陣を起動する」


 セイジュ様はそう告げると、外庭の中央へ歩み出た。

 噴水を中心として、きっちり計算された歩幅で何歩か進み、振り返る。


「おまえは、そこから一歩も動くな」


「……荷物扱いですね」


「貴重な荷物だ。乱暴には扱わない」


 さらりと返しながら、彼は地面に片膝をついた。

 チョークも刻印棒も使わない。ただ、指先で空をなぞるような動きが続く。


 空気が、わずかに震えた。


 王城の石畳の上に、見慣れない紋様が光を帯びて浮かび上がる。

 アストリア式の輸送陣よりも、もっと複雑で、もっと滑らかな線。古い円環構造の上に、幾何学的な三角形と菱形が幾重にも重なっている。


 魔力の流れ方も、聞き慣れたリズムとは違っていた。

 私の中を通ってきたアストリアの魔術は、どこかで必ず「蓄えてから放つ」という脈動を伴う。けれど今、足元から伝わってくるのは、もっと一定で、無駄のない循環だ。


「……これが、ガルディア式」


 思わず、息が漏れる。


 足元の転移陣は、私と大結界とを結んでいた鎖の名残を、慎重に切り分けながら拾い上げていく。

 アストリア王都地下の中枢核から伸びる魔力の糸と、国境の谷に設置してある受信陣。そしてその先にある、ガルディア王都の座標。


 頭の中で魔力地図を描きながら、私はそっと目を閉じた。


「な、なにをしている……! その陣を止めろ!」


 背後で、誰かが怒鳴る声がした。王宮魔導師長だろうか。あるいは、さっきまで玉座の間にいた重臣の一人かもしれない。


「矢を構えろ!」

「魔導師隊、陣の破壊準備!」


 兵たちのざわめきが、波のように広がる。


 けれど、遅い。


 ここに陣を展開するために必要な準備は、ずっと前から整えてある。

 国境の谷に刻まれた巨大な受信陣。ガルディア王都の転移室に設けられた固定陣。どちらも、セイジュ様と私とで、何度も何度も式を擦り合わせてきた。


 今日、この瞬間。

 王城の外庭に、私が立つことも。


 王太子殿下が、「二度とこの国の土を踏むな」と私に告げることも。


 全部、計算に入れてある。


「この陣に無理やり干渉すれば、王都中枢に負荷が跳ね返る」


 セイジュ様が、顔も上げずに告げた。


「今、王都の結界は、おまえたちの想像よりも脆い。余計な揺さぶりをかければ、数日と保たないだろう」


 淡々とした声に、兵たちの気配が一瞬すくむ。


 彼が誇張を言わないことは、私が一番よく知っている。

 あの国境戦で、最悪の一手を避けるために、どれだけ綿密に式を組み替えていたかも。


 だからこそ、今の忠告は、ほとんど脅しではなく事実だ。


「アリア!」


 レオン様の声が、もう一度私を呼ぶ。

 振り返りはしない。ただ、耳だけが、癖のようにその声を拾う。


「本当に、行くのか……? 国を……大結界を捨てて……」


「捨てませんよ」


 私は真正面を向いたまま、答えた。


「大結界は、捨てていません。私がいなくても数年は持つように、もう細工してありますから」


 その猶予が、どれくらい貴重なものなのか。

 今ここにいる誰も、まだ理解していない。


 理解されないままでもいい。

 そう決めて、私は準備を重ねてきたのだから。


「国の盾を手放したことに気づくのは、きっと、ずっと先です」


 口に出してみると、その言葉は驚くほど静かだった。


「今はまだ、大結界が『当たり前にそこにあるもの』だと、思っていたほうが幸せでしょうから」


 兵たちのざわめきが、ざらりと揺れる。

 誰かが息を呑み、誰かが「そんな……」と呟いた。


「アリア……」


 レオン様の声には、遅れてきた後悔と、どうしようもない幼さが混ざっていた。


 その幼さを、昔の私は愛おしいと思っていた。

 守ってあげたい、とさえ思っていた時期もあった。


 けれど、もう違う。


「レオン様」


 私は、ほんのわずかだけ振り返った。


「どうか、王太子としてではなく、一人の人として。ご自分で選んだ道の先を、最後まで見届けてください」


 それが、私から贈れる最後の願いだ。


 王都を覆う結界の外側で、どんな未来が待っているのか。

 その頃私は、きっと隣国の空の下で、別の結界と、別の人々の命を支えているはずだから。


「……アリア。時間だ」


 セイジュ様の声が、すぐそばから聞こえた。


 足元の魔方陣が、いっそう強く光り始める。

 幾何学模様の一つ一つが脈動し、私の魔力と、大陸を走る地脈と、遠く離れたガルディア王都の座標とが、一気につながっていく感覚。


 眩い光が、外庭を満たしていった。


 誰かが悲鳴を上げる。

 誰かが私の名を呼ぶ。

 誰かが「止めろ!」と叫ぶ。


 全部、光の向こう側に遠ざかっていく。


 私は、ゆっくりと目を閉じた。


 肺の奥まで、新しい空気を吸い込むイメージを描く。

 この国で生きた日々のこと。大結界の軋み。レオン様の笑顔と、リリアナ様の涙。王宮の書類の山と、レイン家の食卓のスープの香り。


 そして、国境の荒れた山肌と、あの日聞いた一言。


 ――埋もれているには、惜しいな。


 あの言葉に背中を押されて、ここまで来た。


「その頃、私は隣国で」


 誰にも聞こえないくらいの小さな声で、私は呟く。


「国際会議の準備でも、しているといいですね。……セイジュ様が、書類仕事から逃げなければ、ですけど」


 自分で言って、自分で少し笑ってしまった。

 光の中で浮かぶ、ぶっきらぼうな魔導師団長の顔を思い浮かべる。


 彼の隣で結界の図を広げている自分の姿が、意外なくらい自然に想像できた。


 光が、最高潮に達する。


 重力が一瞬だけ消えたような感覚がして。

 次の瞬間、足元がしっかりとした石の感触を取り戻した。


 外庭の噴水の音は、もう聞こえない。


 ゆっくりと、まぶたを開く。


 高い天井があった。


 白ではなく、淡い灰青色の石で組まれた、半円形のアーチ。

 天井一面に刻まれた光の筋が、まだ微かに脈打ちながら、私たちを包む巨大な転移陣の残滓を照らしている。


 冷たい空気の中に、見慣れない香りが混じっていた。

 海に近い街特有の、少し湿った風の匂い。遠くから聞こえる鐘の音。人々のざわめき。


 視線を落とすと、広い石の床の先に、開け放たれた大きなアーチ窓がいくつも並んでいた。

 そこから見えるのは、白と灰色と赤茶色の屋根が折り重なる、見知らぬ街並み。


 塔のように高い建物が、王都ルクスリアとは違うリズムで空を切り取っている。

 そのさらに向こう。かすかに揺らめく薄い膜の感触が、私の肌を撫でた。


 ガルディア王都を覆う結界の、外殻だ。


「……着いたな」


 横で、セイジュ様が小さく息を吐いた。


 振り向けば、いつもの無表情の奥に、ほんの少しだけ安堵と高揚が混ざった顔があった。


「ここが、ガルディア王都。大結界研究棟の転移室だ」


 淡々と告げられた言葉に、胸の奥がふっと軽くなる。


 この国の便利屋令嬢でもなく。

 王太子妃候補でもなく。

 ただの「アリア・レイン」という一人の魔導師として立つ場所が、ようやく目の前に現れたのだと、実感した。


「ようこそ、こちら側へ」


 セイジュ様が、少しだけ口角を上げる。


 新しい空の下で、その言葉を迎える。


 こうして私は、アストリア王国の「国の盾」から、

 ガルディア王国の「客人」に、そしていつかは「対等な研究者」になるための、一歩目を踏み出したのだ。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

ついにアリアが国を出て、新しい空の下で物語が動き出しました。

無愛想団長との共同研究や、元婚約者との再会など、これからも波乱予定です。

続きが気になると思っていただけましたら、ぜひ評価やブックマークで応援してもらえると嬉しいです!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編掲載中!
よろしければ応援お願いします!
婚約破棄?上等、封印証拠で公開監査し監査公爵と溺愛契約
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ