第24話 正式な決別
レオン様の「勝手にしろ、おまえなど知らん!」という叫びが、外庭の空気に鋭く突き刺さった。
その言葉は、きっと彼自身にも突き刺さっているのだろう。
けれど、それを認められるほど、今のレオン様に余裕はない。
……分かっています。そこまで追い詰めたのは、半分くらいは私の計画のせいですから。
だからこそ、ここで情けをかけるわけにはいかなかった。
騎士たちは顔を見合わせ、どう動けばいいのか分からないといった様子で、私とレオン様、そしてセイジュ様のあいだをおそるおそる見比べている。
庭園の噴水の水音だけが、やけに澄んで聞こえた。
私は、そっとスカートの裾をつまみ、王城のバルコニー側に視線を向ける。
そこには、国王陛下と、その後ろに控える側近たち。
王宮魔導師長の姿も、遠目に見えた。
皆、一様に険しい顔をしている。
……そうですよね。国の大結界を支えていた魔導師が、今まさに隣国に連れて行かれようとしているのですから。
それでも、この場にいる誰も、「待て」とは言わない。
言えないのか。
言いたくないのか。
たぶん、その両方だ。
私は息を整え、セイジュ様の手から一歩だけ前に出た。
「陛下」
呼びかけると、国王陛下の視線が、重たくこちらに落ちてくる。
「……アリア・レイン。何だ」
低い声。さっきまで玉座の間で聞いていた威厳ある響きは、少しだけ掠れていた。
私は、その場でゆっくりと膝を折り、深く頭を垂れる。
「最後に、ひとつだけお願いがございます」
外庭の空気が、きゅっと引き締まった気がした。
「どうか、アリア・レインという魔導師を、正式に捨ててください」
頭を下げたまま、はっきりと言い切る。
芝生に触れるほど深く腰を落とし、額が土につきそうなくらい、礼を尽くした。
ざわ、と周囲がどよめいた。
「アリア……! おまえ、そこまで――」
レオン様の声が震える。
その震えに、少しだけ、幼い頃の彼の面影が重なった。
けれど私は、顔を上げない。
この瞬間だけは、感傷で足を止めてはいけないから。
「おい、やめたまえレオン。今さらこちらから縋りつくのが、どれほどみっともないか分からんのか」
小さく、しかしはっきりと聞こえる側近の囁き。
耳にした騎士たちが、視線をそらすのが分かった。
国王陛下は、しばらく沈黙した後、重く息を吐いた。
「……本気なのだな、アリア・レイン」
「はい」
私は、ようやく顔を上げる。
芝生に跡がつくほど深く下げていた裾を整えながら、陛下の目をまっすぐ見た。
「これまで、レイン伯爵家として、そして私個人として、アストリア王国に尽くしてきたことを、後悔するつもりはございません。国の盾として働けたことは、誇りでもあります」
言葉にすると、本当に少しだけ胸が熱くなる。
「ですが――私は、これ以上、この国に縛られたままでは、自分の魔術を前に進められません。大結界にも、この国の未来にも、本当の意味で良くないと判断しました」
私の声は不思議と、震えなかった。
セイジュ様の魔力の気配が、すぐ後ろで静かに寄り添ってくれているからかもしれない。
「だからこそ、ここで、きちんと区切りをつけたいのです。王家とレイン伯爵家との縁だけでなく、アリア・レインという一人の魔導師を、この国が正式に『不要』と判断したのだと――」
そこで一度、言葉を切る。
「その事実を、後から曖昧にされないように」
自分で言っておいて、少しだけ、喉が痛くなった。
この要求は、王家にとっても重い。
数年後、きっと意味を持つ。
だからこそ、今、口にしておかなければならない。
「……アリア。おまえは、そこまでして、この国を去りたいのか」
陛下の目は、どこか年老いた人間のそれだった。
王としてではなく、一人の男として問われているような声音。
私は、少しだけ迷ってから、正直に答えることにした。
「はい。去りたいです」
簡潔な言葉なのに、その中に込めたものは、決して軽くない。
「レオン様の婚約者としてではなく、一人の魔導師として。私の研究を必要としてくれる場所へ。私を、道具ではなく人として扱ってくれる人たちのいる場所へ」
そこまで言ったとき、自分でも驚くほど、胸の奥がすうっと軽くなっていくのを感じた。
ああ、やっと口にできた。
ずっと心の底に沈めていた、私自身の本音を。
「そのためには、ここで甘い期待を残すわけにはいきません。だからどうか、お願い申し上げます。アリア・レインを、この国から正式に手放してください」
言い切ってから、私はもう一度だけ、深く頭を下げた。
長い沈黙。
風が吹き、庭の木々の葉が揺れる。
騎士の甲冑が、かすかに鳴った。
やがて、その沈黙を破ったのは、レオン様だった。
「……いいだろう」
かすれた声。
さっきまでの怒鳴り声とは違う、どこか諦めを含んだ響き。
「おまえの望み通りにしてやる、アリア・レイン。王太子レオン・アストリアの名において――」
一度、彼は言葉を切り、ぐっと唇を噛んだ。
それでも、自分を追い込むように続ける。
「二度と、この国の土を踏むな」
外庭が、しん、と静まり返った。
騎士も、侍女も、側近も。
誰もが、今の一言の重さを理解している。
それは、単なる感情的な追放宣言ではない。
王太子の口から発せられた以上、近い未来の国王の意志として刻まれる言葉だ。
国の盾だった魔導師を、自らの手で追い出した宣言として。
……本当に、言いましたね。
私は、目を伏せて、小さく息を吐いた。
これで、もう戻れない。
私自身にとっても、アストリアにとっても。
だからこそ、この瞬間は、きちんと見届けておきたかった。
「レオン様」
私は静かに立ち上がり、かつての婚約者へと向き直る。
「そのお言葉、確かに承りました」
彼の肩が、びくりと震えた。
「先ほど陛下にお願いした通り、レイン伯爵家としての縁、そしてアリア・レインという魔導師を、この国が正式に捨てると受け取ります」
そこまで言ってから、ほんの少しだけ、笑みを浮かべた。
きっと、とても穏やかな笑顔だ。
怒りも、恨みも、表には出さない笑顔。
「――はい。そのつもりですわ」
これから先、アストリアの土を踏むつもりはない。
たとえ数年後、この国がどれほどの窮地に陥ろうと。
その覚悟を、自分の中でもう一度かみしめる。
「アリア……っ」
レオン様が、何かを言いかけて口をつぐむ。
自分の選んだ言葉の重さに、ようやく気づきかけているのかもしれない。
でも、それはもう、私には関係のないことだ。
私の背後から、一歩分、気配が近づいた。
「話は終わったか、アリア」
セイジュ様の低い声が、耳元に落ちる。
私は振り返らず、小さくうなずいた。
「はい。必要なやり取りは、これで全部です」
「そうか」
短い返事。
それだけなのに、どこかほっとしたような気配が混じっているのを、私は感じ取る。
セイジュ様は、一歩前に出て、王城のバルコニーに視線を向けた。
「アストリア王国国王陛下。ならば、ガルディア王国宮廷魔導師団長として、改めて申し出る」
外庭の空気が、また一段階緊張する。
「アリア・レインという魔導師を、こちらに引き取る。彼女の身柄と今後の活動については、ガルディア王国が全面的に責任を負う」
その言葉は、宣言であり、同時に最後の確認でもあった。
国王陛下は、ゆっくりと目を閉じ、再び開く。
「……よかろう。その提案を受け入れる」
しわがれた声で、しかしはっきりと。
「アリア・レインは、もはやアストリア王家に仕える魔導師ではない。今このときをもって、その縁を断つ」
それは、私が望んだ答えだった。
胸の奥で何かがほどけ、ゆっくりと静かに消えていく。
長い長い鎖の音が、やっと聞こえなくなったような気がした。
私はそっと、王城の塔の上を見上げた。
あのどこかの窓の向こうに、父や母がいるのだろうか。
今のやり取りの一部でも、耳に入ってしまっただろうか。
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
それでも、私は笑う。
あの人たちが望んだのは、私がただ「国の都合」に押し潰されることではなく、苦労の末にでも自分の足で立つ未来だったはずだから。
だから行く。
アストリアの外へ。
私が自分で選んだ新しい場所へ。
私の魔力を、私の頭を、私の心を。
誰かの都合ではなく、私自身の意思で使うために。
その決意を胸に刻みながら、私は一歩、セイジュ様の隣へと歩み寄った。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
ついにアリアはアストリアと決別し、物語は「追放」から「新天地編」へ。
本作はブクマや★評価、感想が増えるほど、作者が「もっと書こう!」と魔力回復します。
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