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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第1部婚約破棄と「国の盾」の放棄 第4章 婚約破棄本番と国との決別

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第23話 それでも手放す選択

 大結界のことを口にしたあと、外庭を満たしていたざわめきが、嘘みたいに静まり返った。


 誰もが息を飲む音さえ、聞こえてきそうだった。


「……おまえが」


 沈黙を最初に破ったのは、レオン様だった。


 さっきまで勝ち誇っていた顔から血の気が引き、震える声が空気を震わせる。


「国の結界がどうとか、今の話は……冗談だろう、アリア」


「冗談なら、どれほどよかったでしょうね」


 私は、静かに答えた。


「先ほど申し上げた通り、アストリア全土を覆う大結界の魔力供給は、ここ数年ほど、主に私ひとりが担っていました。レイン伯爵家の役目として」


 騎士の誰かが、短く息を呑む。


 文官らしき男が膝をつきそうになって、隣の男に支えられていた。


「な、何を言っている。大結界は、王家の儀式と、王宮魔導師たちで維持されているはずだ」


「そう見えるように、式は組んであります。表向きの構造は、たしかにその通りですから」


 淡々と説明しながら、自分でも驚くほど心が冷えているのを感じていた。


 怖くないわけではない。ただ、ここまで来てしまった以上、引き返すという選択肢が、最初から存在しないだけだ。


「ですが、その裏側で実際に流していた魔力の大部分は、レイン家の制御陣を通っていました。私と、父と、少しだけ母も。……けれどここ数年は、父の負担を減らすために、ほとんど私が」


「そんな話、聞いていない!」


 レオン様が叫んだ。


 声が裏返っている。驚きと怒りと、そして――わずかな恐怖。


 私はその全てを、ただ淡々と観察していた。


「そうでしょうね。お話ししたことは、一度もありませんもの」


「なぜ黙っていた! そんなに重要な役目なら、最初からそう言えばよかっただろう!」


「最初から、でしょうか」


 胸の奥に、ひやりとした笑いが浮かびかけて、私はそれを押し込めた。


「子どものころから、私は『王太子の婚約者として、静かに支えるのが役目だ』と教えられてきました。目立ってはいけない、口を挟んではいけない、余計な心配をかけてはいけないと」


 ゆっくりと言葉を紡ぎながら、過去の自分と向き合うように息を整える。


「それに……」


 そこまで言いかけて、私は一度言葉を飲み込んだ。


 レオン様の顔が、ぐしゃりと歪んでいる。


 信じたくない現実を前にした子どものような表情だった。


「それに?」


「……いえ。今さら、ですね」


 あえてそこには触れないことにする。


 今ここで責めたいわけではない。ただ、事実だけを並べて、選んでもらうために来たのだから。


「勘違いしていただきたくないのは、一つ。今すぐ結界が崩れることはありません」


 私は視線を少しだけ空へ向けた。


 王都の上空に張り巡らされた魔力の網の感触は、さっき扉を出たときに比べて、わずかに薄く、しかしまだ形を保っている。


「事前に式を改修し、私の魔力をいくらか蓄えてきました。しばらくのあいだは、それで持つでしょう。王宮魔導師長とも、最低限の情報共有は済ませてあります」


「しばらく……」


 国王陛下の低い声が、背後から落ちてきた。


 振り返らずとも、今どんな顔をしているのかは想像できた。


「それは、どれほどの期間と見積もっている」


「状況にもよりますが。瘴気の濃さや、魔物の発生頻度が現状と大きく変わらなければ……数年、というところでしょうか」


「数年……」


 文官たちの間で、ざわめきが再び生まれる。


 数日でもなく、数か月でもなく。


 けれど、永遠でもない。


 そういう数字だ。


 レオン様が、ぎゅっと拳を握り締めた。


 白い指先が震えている。


「だったら、なおさらだろう!」


 叫びが、外庭に響いた。


「なおさら、おまえは王宮に留まるべきだった! 国の結界がどうとか、そんな重大なことを、どうして勝手に……!」


「勝手に、ですか」


 胸のどこかが、かすかに痛んだ。


 けれど、その痛みすらも、私は分析する対象として横に置く。


「勝手に決めてよいと、誰かがおっしゃいましたか?」


「なに……?」


「私は、殿下の婚約者でした。そして、王家のために働く魔導師でもありました。どちらの立場から見ても、私が自分ひとりの判断で動いてはいけないと、ずっと言われてきました」


 だからこそ。


 自分から去るのではなく、「捨てさせる」必要があった。


 本当に手放すつもりがないなら、そんな暴挙には出ないはずだと、信じていたからだ。


「けれど殿下は、さきほど大勢の前でおっしゃいました」


 私は視線をレオン様に向けた。


「『アリア・レイン。おまえとの婚約を、ここで破棄する』と」


 レオン様の唇が、わずかに震える。


 さっきの宣言が、今になって自分に跳ね返っているのだと、ようやく気づき始めたのかもしれない。


「それは、王家の正式なご決定なのですよね?」


「そ、それは……」


 言葉に詰まる。


 その横で、リリアナが小さくレオン様の袖をつまんだ。


「レオン様……?」


 不安そうな声。潤んだ瞳。


 その姿に、レオン様の表情が一瞬揺らぐ。


 責任と、プライドと、恋心と。


 いくつもの感情が、ぐちゃぐちゃに絡まり合っているのが、こちらからでも分かった。


「今さら『やっぱりなし』とおっしゃるおつもりなら、それも結構です」


 だから、私はあえて言葉にする。


 逃げ道と、選択肢を、きちんと差し出したうえで。


「ただ、その場合は――私は二度と、ここまで素直にお話しすることはできません」


「どういう意味だ」


「今日ここで明かしたことの多くは、王家の外には出していない情報です。私がガルディアへ渡れば、そのまま向こうの国家機密になるでしょう」


 セイジュが隣で、少しだけ目を細めた。


 何も言わないが、その沈黙が肯定であることは分かる。


「けれど殿下が『やはり手放さない』とおっしゃるなら、私はまだ、アストリアの魔導師としてここに残る道を選ぶこともできる。……そういう意味です」


 本心かと問われれば、いいえ、と即答するだろう。


 もう戻りたくはない。この空気にも、この扱いにも。


 それでも、最後くらいはフェアでいたかった。


 私が一方的に背を向けたのではなく、殿下が選んだ結果なのだと、はっきりさせるために。


「アリア」


 低い声が、肩を震わせた。


 セイジュの銀の瞳が、横顔を射抜く。


「無理をするな」


「していませんよ」


 小さく微笑んでみせる。


「むしろ、最終確認です。……ずっと、してほしかった確認を」


 レオン様は、何度も口を開いては閉じていた。


 喉元まで出かかった言葉が、形になる前に消えていく。


 『戻ってこい』と、言えばいい。


 それだけのことが、きっと誰よりも分かっているはずなのに。


 彼の視線が、ちらりと周囲を泳いだ。


 整列した騎士たち。王宮の使用人たち。外庭の茂みの影から覗く貴族たちの影。


 そして、自分の腕にすがるリリアナ。


 誰も、彼の代わりに決めてはくれない。


 けれど、誰もが彼の言葉を待っている。


 その重さに耐えきれないのか、レオン様の表情が次第に険しく、歪んでいくのが分かった。


「お、俺は……」


 かすれた声が漏れる。


「俺は、民に愛される王になると誓った。アリア、おまえだって、それは知っているだろう」


「ええ。何度も聞きました」


 だからこそ、レオン様はリリアナを選んだのだ。


 涙を浮かべながら民のことを語る、分かりやすい「善人」。


 分かりやすい物語のヒロイン。


「俺は、民の前で宣言したんだ。おまえとの婚約を解き、リリアナを新たな婚約者にすると。……今さら、それを翻せると思うか?」


「翻す気がおありなら、お止めはしませんよ」


 事実を淡々と返す。


「ですが、その場合は、私もまた、自分の判断で行動することになるでしょう」


「どういう……」


「殿下が私を王宮に縛り付けるなら、今後は私も、国を守るために必要と判断したことを、勝手にさせていただきます。殿下のご機嫌よりも、結界の安定を優先して」


 それは、つまり。


 アリア・レインという魔導師を、完全に「国の道具」として扱うのか、それとも。


 ひとりの人間として手放すのか。


 その二択だ。


「……ふざけるな」


 レオン様が、吐き捨てるように言った。


「おまえは、俺の婚約者だったんだぞ。俺の、将来の王妃になるはずだった女だ。それが、隣国の男の隣に並んで、そんな勝手なことを……!」


「はい。元、婚約者です」


 私は静かに言葉を重ねる。


「殿下ご自身の口から、そう宣言されました。私はそれを受け入れました。それが事実です」


「だが――!」


「ですから、伺っているのです」


 彼の言葉を、あえて遮った。


 もう、曖昧なままにはしておけない。


「レオン・アストリア殿下」


 わずかに姿勢を正す。


 これは、ひとりの令嬢としての問いではない。


 これまで国の盾として魔力を注ぎ続けてきた魔導師として、最後に求める確認だ。


「アリア・レインという魔導師を。レイン伯爵家の娘を。これまで王都を支えてきた結界の担い手を――あなたは、ここで手放すのか。それとも、なお必要だと仰るのか」


 答えは、二つに一つ。


 沈黙が、外庭を満たした。


 鳥のさえずりさえ、今は聞こえない。


```

レオン様の喉が、ごくりと動いた。

```


 長い、長い数秒のあと。


「……勝手にしろ」


 かすれた声が、こぼれた。


 自分でも、その言葉の意味を理解しきれていないような、投げやりな声音だった。


「好きにしろ。おまえのことなんか、もう知らない。俺の前から消えたければ、勝手に消えればいい」


 ああ、と私は心の中で目を閉じる。


 やっぱり、この人は。


 最後まで、自分のプライドを優先したのだ。


 大結界のことも。国の未来も。私というひとりの魔導師も。


 全部まとめて、「知らない」と。


「承知しました」


 私は、小さく一礼した。


「では、そのお言葉どおりに」


 胸の奥で、何かが静かに切り離されていく。


 長年つながっていた鎖が、ひとつ、またひとつと外れていく感覚。


 それは恐怖ではなく、むしろ、ほのかな解放感を伴っていた。


「レオン様。今のお言葉を、アリア・レインを手放すというご決断として、受け取らせていただきます」


 もう一度だけ、まっすぐに彼を見つめる。


 レオン様は、悔しげに歯を食いしばり、何も言わなかった。


 その沈黙こそが、彼の答えなのだろう。


「――ありがとうございます」


 口からこぼれた言葉は、自分でも少し場違いだと思った。


 けれど、感謝しているのは事実だ。


 これで、ようやく。


 私は、自分で選んだ未来へと歩き出せる。


 王子の婚約者でもなく。


 国の便利な魔力タンクでもなく。


 ひとりの魔導師として。


 そして、隣で静かに私の手を待っている人の恋人として。


「アリア」


 名を呼ぶ声に振り返ると、セイジュがほんのわずかに手を差し出していた。


 何も言わないその仕草が、今はただ、心強い。


「……ええ。もう、迷いません」


 自分の中で静かにそう呟き、私はその手に、自分の手を重ねた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

ついにアリアが自分の意思で「手放される」道を選びました。

ここからは隣国での新しい関係と、大結界の代償が本格的に動き出します。

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