第22話 大結界の真実
外庭に、ひどく間の抜けた沈黙が落ちた。
「さ、最初からでは、ない……?」
レオン様が、私のさっきの言葉を反芻するように呟く。
その肩越しに見える騎士たちも、戸惑った表情でこちらを見ていた。
私は、セイジュ様と繋いだ手に、そっと力を込める。
指先に返ってくる、確かな温度。
それに背中を押されるように、一歩、前へ出た。
「殿下。ここで一度、整理させてください」
「せ、整理……?」
「はい。レオン殿下と私の婚約がどういう経緯で結ばれ、どういう経緯で破棄されたのか。そして、私がこの国で何をしてきたのか」
ゆっくりと言葉を選びながら、周囲を見渡す。
レオン様、リリアナ様、騎士たち。少し離れた場所には、慌てて駆けつけてきたらしい文官の姿も見える。
誰もが、私の口から出てくる「説明」を待っていた。
ならば、ちょうどいい。
これから先、私はこの国の人間ではなくなる。
それでもなお、この国を覆う大結界には、私が残してきたものがある。
だからこそ、ここで一度、はっきりと言っておくべきだ。
「まず、大前提からお話しします」
私は、胸の奥に張り付いた重たい鎖の感覚を、意識の端で確かめる。
「アストリア王国の国土全体は、巨大な結界によって守られています。魔物や瘴気を払い、外敵から街と人を守る、国の盾。その根幹となる術式を『大結界』と呼びます」
「大結界……」
誰かが、小さく息をのむ。
騎士のひとりが隣の同僚に「噂で聞いたことがある」と囁いたのが、耳の端に引っかかった。
「大結界は、王城の地下にある中枢から、いくつもの層と経路に分かれて国土を覆っています。古い文献では、『何人もの魔導師が支え合う巨大な網』に喩えられていました」
実際には、網というより複雑怪奇な迷路なのだけれど。
そのあたりの感想は胸の内にしまい込んでおく。
「その網の一角を、代々任されてきた家があります。レイン伯爵家です」
「レイン伯爵家が……?」
文官の顔色が、さっと変わった。
名前を知っていて、仕組みを知らない。典型的な「机上の知識だけ」の反応だ。
「我が家は、代々その役目を担ってきました。王宮魔導師たちと連携しながら、自分たちの担当域の結界を維持し、補修し、ときには改良する。父も祖父も、そのために人生のほとんどを費やしてきた人たちです」
父の背中が、脳裏に浮かぶ。
いつも書類と魔術盤に囲まれて、少し不器用に笑っていた横顔。
「そして、ここ十数年ほど、その役目の多くは、私が引き継いでいました」
はっきりと言い切った瞬間。
外庭の空気が、目に見えない何かに触れたように揺らいだ。
「な……」
「まさか、レイン嬢が……!」
「レイン伯爵家の令嬢が、王都の結界を……?」
ざわめきが、一気に広がる。
中には、私の顔をまじまじと見つめる騎士もいた。
まあ、そうでしょうね。
王都で働く魔導師には、それなりに知られている事実でも、一般の騎士や文官にまで詳しく共有されているわけではない。
けれど。
「殿下は、ご存じなかったのですね」
私は、レオン様をまっすぐに見た。
レオン様は、信じられないものでも見るように、私を凝視していた。
いつも自信に満ちたその瞳が、今は不安と混乱で揺れている。
「……聞いていない。そんな、大事なこと……」
「王家としては、一応ご存じのはずです。王都の結界の維持に、どの家がどの程度関わっているか。少なくとも、王宮魔導師長の報告には、何度も私の名前が出ていたはずですから」
そこまで言ってから、私は一度まぶたを伏せた。
責めるためではない。
ただ、事実を並べているだけだ。
「ですが、レオン様は、忙しかったのでしょう。王太子としての仕事も、リリアナ様との時間も、山ほどおありでしたから」
皮肉にも聞こえる言い方だったかもしれない。
それでも、声はできるだけ穏やかに保った。
リリアナ様が、小さく身を震わせるのが見える。
彼女のせいだけではない。
そう思っている自分もいるから、余計に、感情を挟みたくなかった。
「私は、王宮の便利屋として働いていました」
淡々と、日々の仕事内容を列挙する。
「大結界の調整、魔導水路の管理、魔導具の修理、王立学院からの技術相談。ついでに、レオン殿下とリリアナ様のトラブルの後始末まで。依頼の窓口がどこであれ、最終的に私の机に書類が積み上がる仕組みになっていました」
騎士の何人かが、思わず吹き出しそうになって慌てて口元を押さえたのが見えた。
笑いごとではないのだけれど、まあ、分かる。
「その便利屋業の中で、最も重要だったのが、大結界への魔力供給です」
胸の奥で、見えない鎖がきしむ。
私の魔力と、大結界を繋いでいる、重たい鎖。
「私は、王都を中心とした結界層の、主要な供給源でした」
「……供給、源……?」
レオン様が、青ざめた唇でその言葉をなぞる。
リリアナ様も、信じられないという顔でこちらを見ていた。
「大結界は、常に膨大な魔力を消費します。国土全体を覆っているのですから。当然ですね。その魔力の一部を、私は自分の体から直接供給していました。簡単に言えば、私が倒れれば、王都の上の結界が一気に薄くなる、ということです」
どさり、と何かが地面に落ちる音がした。
振り返ると、ひとりの若い騎士が、腰から力が抜けたようにその場に跪いていた。
「そ、そんな……じゃあ、レイン嬢は、今までずっと……」
「まあ、仕事ですから」
肩をすくめて見せると、騎士の顔色がさらに悪くなる。
そこで、私の隣から、低い声が響いた。
「実際には、王都だけではない」
セイジュ様だ。
「アストリア全土を覆う大結界のうち、王都を中心とした幾層もの結界の安定化を、おまえひとりが請け負っていた。……少なくとも、俺が把握している限りではな」
「把握している限り、と言われると、少し怖いのでやめてください」
思わず突っ込むと、彼はわずかに口元を緩めた。
「俺の見立てを控えめに言えば、だ。おまえがいなければ、すでに何度か外敵の侵入を許していただろう」
さらりと告げられた事実に、騎士たちの顔色が一斉に変わる。
「セイジュ・アルバート殿。……それは、どういう……」
勇気を振り絞ったように、年配の文官が一歩前へ出た。
セイジュ様は、その問いに静かに答える。
「婚約破棄の宣言がなされたとき、王都上空の魔力の流れが一瞬乱れた。それを感じ取れた者は、ここには少ないだろうが、俺には分かった。おそらくアリアが繋いでいた供給経路が、一部切り替わったのだろう」
私は小さく頷く。
「はい。あの日までに、『私が離れても数年は持つ』ように、できる限りの改修と貯蓄をしておきました」
「数年……」
その単語だけが、やけに重く外庭に落ちた。
数日でも、数か月でもない。
「数年」。
それは、一見すると長い時間だ。
けれど、国の歴史から見れば、瞬きするほどの短さでもある。
「どうして、そんなことを……!」
レオン様の声が、震えていた。
怒りなのか、不安なのか、自分でも分かっていないような声音。
「どうして今まで黙っていた! どうして、先に……!」
「お話しして、信じていただけましたか?」
私は、静かに問い返す。
レオン様は、言葉を失ったように口をぱくぱくと開閉した。
その姿に、胸のどこかがひりつく。
「殿下は、私の魔力も、研究も、必要なときにだけ求めてくださいました」
淡々と事実だけを並べる。
「便利なときには呼ばれ、都合が悪くなれば距離を置かれる。それが、これまでの数年間でした。ですから、私から『実は国の結界を支えています』と申し上げても、『大げさだな』と笑われて終わっていたでしょう」
それは、責めるつもりのない本音だ。
実際、そうなる未来が簡単に想像できたからこそ、私は黙って仕事を続けてきたのだ。
「だから私は、別の形で備えました」
自嘲でもなく、誇りでもなく。
ただ、自分の選んだ方法を説明する。
「殿下が、いつか私を手放したくなるかもしれないと思っていたから。国がいきなり滅びてしまっては、困りますもの。捨てられたあとで」
「アリア!」
レオン様の叫びが、外庭に響いた。
怒りとも悲鳴ともつかない声。
「そんな言い方を……! まるで、私が……!」
「殿下が私を捨てたことは、事実です」
そこだけは、はっきりと言う。
誰かの都合のいい物語にされてしまわないように。
「そのうえで、私は自分の責任を果たしました。大結界が即座に崩れないように、できる限りの猶予をこの国に残してきました。それだけです」
淡々と告げると、ひとりの騎士が、私に向かって深々と頭を下げた。
「レイン嬢……いえ、アリア様。あなたがそこまで……。私たちは、そのことを何も知らずに……」
「顔を上げてください」
慌てて制止する。
私がしてきたことは、誰かに頭を下げさせるための善行ではない。
「私は、自分の国を守る仕事をしただけです。レイン家として、アリア・レインとして。当然の務めを果たしただけ」
ひとつ息を吐いてから、隣のセイジュ様を見る。
「それに、もうひとつ理由があります」
「もうひとつ?」
セイジュ様が促すように顎をわずかに動かした。
「はい。私がこうしてガルディアへ行くことは、すでに決まっていました。私を『不要』としたこの国と、私を『必要だ』と言ってくださった国。その両方に、できるだけ誠実でありたかったのです」
レオン様の肩が、びくりと揺れた。
リリアナ様が、不安そうにその袖をつかむ。
「殿下」
そこで、セイジュ様が口を開いた。
「この国の結界が、今すぐ崩れるわけではないことは、アリアが保証した。俺も、彼女の改修と貯蓄を前提にするなら、数年単位での猶予はあると見積もる」
淡々とした、技術者の口調。
そこに嘘や誇張がないことは、少し魔力に敏い者ならすぐに分かるだろう。
「だが、逆もまた事実だ」
「逆……?」
「数年経てば、確実に綻びが出る。そのときまでに、この国が大結界の構造を理解し、代替の魔導師と運用体制を整えられるかどうか。それが、殿下たちの宿題だ」
宿題。
その言葉に、レオン様の表情が寸刻こわばる。
「もちろん、今すぐ『やはりアリアが必要だ』と言うという選択肢もある」
セイジュ様が、こともなげに続ける。
「だが、その場合は、国と国との話になる。アリアはもはや、個人として都合よく引き戻せる立場にはいない」
外庭の空気が、ぴんと張り詰めた。
私は、静かに視線を落とす。
ここから先は、私の領分ではない。
私がやるべきことは、もう終わっている。
「以上が、『大結界の真実』です」
小さく息を吸い、もう一度だけ周囲を見渡す。
「私は、これまで通り、この国の未来ができるだけ長く続くことを願っています。そのうえで、自分の人生もまた、選び取りたい」
レオン様と、目が合った。
幼いころから見上げてきた横顔。
憧れていた時間も、確かに存在した相手。
けれど今、その瞳に映る私は、婚約者でも、便利な魔導師でもない。
「手放したはずなのに、実は国の根幹を握っていた誰か」だ。
それでいい。
それ以上でも、それ以下でもない。
「殿下が、どのような選択をなさるのかは、私の知るところではありません」
静かな声で、そう告げる。
「ただ一つだけ。どうか、『知らなかった』ままで終わらせないでください」
それが、今の私にできる、最後のお願いだった。
外庭を渡る風が、ひどく冷たくも、どこか軽くも感じられる。
見上げれば、王都の空のずっと向こう側で、大結界の膜が薄く揺らめく気配がした。
私が手放した鎖と、まだ残してきた鎖。
そのすべてから、静かに離れていく準備をするように、私はもう一度だけ深く息を吸った。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今話では、アリアが担ってきた大結界の真実がようやく明かされました。
殿下たちの動揺と、彼女の静かな決意の対比を楽しんでいただけていたら嬉しいです。
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