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「完結済」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第1部婚約破棄と「国の盾」の放棄 第4章 婚約破棄本番と国との決別

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第19話 茶番の終幕

 アストリア王城の玉座の間は、いつもより少しだけざわついていた。


 高い天井から吊るされたシャンデリアが、朝の光を受けてきらりと光る。色とりどりの衣装をまとった貴族たちが左右に列を作り、その中央に、赤い絨毯が玉座へと真っ直ぐ伸びている。


 私は、その先頭近く。王族に最も近い、レイン伯爵家の娘としてふさわしい位置に立っていた。


 今日で、それも終わるのだけれど。


 玉座の上では、国王陛下がゆっくりと腰を下ろしている。隣には王妃。その少し前に、私の婚約者であるはずの第1王子レオン様が立っていた。


 レオン様は、朝から何度も深呼吸をしていた。緊張でこわばった指先が、マントの裾をぎゅっとつまんでいるのがここからでも分かる。


 ……昨日、廊下で台詞の練習をしていたときよりは、だいぶマシになったみたいですね。


 扉の外、誰もいないと思っていたのでしょう。けれど、あの王城の廊下は意外と声が響くのだ。


『アリア・レイン。おまえとの婚約を、ここで破棄する!』


 自分で練習していたその言葉を、今から本番で口にする。


 うん、知ってた。


 だから私は、柔らかく微笑む顔をつくる。観客席に座る、観察者としての顔だ。


 やがて、王宮侍従の声が高らかに響いた。


「静粛に。これより、王太子殿下からの重大な発表がある」


 空気が、ぴんと張り詰める。


 レオン様は一歩前に出て、私の方をまっすぐに見た。


 蒼い瞳。かつては、あの目を頼もしいと思ったこともある。けれど今は、その奥にある浅い自己愛と、舞台に立つ役者の高揚しか見えない。


「アリア・レイン」


 名を呼ばれ、私はスカートの裾をつまんで一礼する。


「はい、殿下」


 次の瞬間。


「おまえとの婚約を、ここで破棄する!」


 高らかな宣言が、玉座の間に響き渡った。


 ざわ、と空気が揺れる。


「まあ」「婚約破棄ですって」「レイン家の娘を…?」


 ひそひそ声が、左右から一斉に押し寄せる。


 前列の貴族夫人の1人が、扇子の影で口元を隠した。目だけはこちらを見ている。哀れみと好奇心が半分ずつ。


 後方では、若い子爵が肩をすくめていた。


「やっぱりな。最近、殿下と男爵令嬢が親しげだったし」


「でもレイン伯爵家を切るのは、さすがに…」


 そのささやきを、私は聞き逃さない。


 国王陛下は、玉座の上で静かに目を閉じていた。その右手は、黄金の肘掛けを強く握りしめている。指先が白くなっているのが見えた。


 ……陛下は、全部ご存じのはず。レイン家が何を担ってきたかも、私がどこまで大結界に関わっているかも。


 それでも、止めない。止められない。


 それが、この国の王の限界なのだろう。


「アリア、おまえはリリアナをいじめた」


 用意してきた台詞をなぞるように、レオン様が言葉を続ける。


 私の斜め後ろ、控えめなピンク色のドレスを着た男爵令嬢リリアナが、小さく肩を震わせた。


「レオン様…」


 震える声。大きな瞳に、涙がたまっている。


 昨日、鏡の前で角度を確認していた涙だ。


 王城の客間の前を通りかかったとき、半開きになった扉の向こうで、彼女は侍女と一緒に泣き顔の練習をしていた。


『もう少し、目を潤ませる感じで』『こ、こうですか?』


 かわいらしい努力だと思った。


 ……ええ、とても良くできていますよ、リリアナ様。今日は本番ですものね。


「アリアは、リリアナに冷たい視線を向け、ため息をつき、彼女を怯えさせた。その卑劣さ、もはや王妃にふさわしくない!」


 レオン様が私を指さすと、玉座の間はさらにざわめいた。


「冷たい視線」「ため息」


 それをいじめと呼ぶなら、私の人生、ほとんど犯罪者ではないでしょうか。


 だって、あなたが王宮の重要書類にお茶をこぼしてくれたときも。

 リリアナ様が魔力暴走で廊下を半分吹き飛ばしてくれたときも。


 仕事は、全部こちらに回ってきたのだから。


「アリア。言い訳はあるか?」


 国王陛下の低い声が、ざわめきを断ち切る。


 私はゆっくりと一礼した。


「いいえ。言い訳は、ございません」


 再び、どよめき。


 貴族たちの視線が、一斉に私へと注がれる。


「認めたのか?」「やはりレイン家の娘は…」


 先ほどよりも、冷たい色が混じっていた。


 レイン伯爵家の列を見る。父は、表情を変えずに、ただじっとこちらを見ていた。


 その手が、わずかに震えている。


 ……ごめんなさい、お父様。でも、これは私が選んだ道です。


 王宮魔導師長が、列の端で唇をかみしめていた。何かを言いたそうに、けれど決して声にはしない。


 技術者としての正しさと、王家への忠誠。その板挟みが、あの皺だらけの額に刻まれている。


 国王陛下は、しばし沈黙したのち、重々しく頷いた。


「ならば、やむをえぬ」


 レオン様が勝ち誇ったように微笑む。


「それでは、ここに宣言する。アリア・レインとの婚約は破棄し、私はリリアナ・○○○○を新たな婚約者とする!」


 リリアナの名前を呼ぶときだけ、彼の声は少し柔らかくなった。


 彼女は両手を胸の前で組み、涙をにじませながらレオン様を見上げる。


「お兄様…」


 ……はいはい。とてもお似合いです。


 さて、ここまでは予定通り。


 ここからが、私のターンだ。


「一つだけ、よろしいでしょうか」


 私は顔を上げ、穏やかな声で口を開いた。


 玉座の間の空気が、ふっと揺れる。


 王妃が、わずかに眉をひそめた。どうやら「場をわきまえない発言」を予想しているようだ。


「なんだ。最後の言葉か?」


 レオン様が、少し不機嫌そうに問い返す。


「はい。これまで、王国のご加護のために費やした時間を返せとは申しません」


 そこまでは、本心だ。


「ただ一つ。正式な文書として、レイン伯爵家と王家の婚約解消の署名を、後ほどいただけますか?」


 玉座の間に、静寂が落ちた。


 誰もが、一瞬言葉を失う。


「……文書だと?」


 レオン様の表情が固まる。


 国王陛下の瞳が、初めてはっきりと私を捉えた。


 その視線には、わずかな驚愕と、それ以上に説明のつかない不安の色が滲んでいた。


「なぜ、そのようなものが必要なのだ」


「口頭での宣言だけですと、後になって『やっぱりなし』と覆されてしまうかもしれませんので」


 私は微笑みを深める。


「レイン伯爵家といたしましては、王家との関係を曖昧なままにしておくのはよろしくないと考えます。ですから、王家のご意志として正式な署名をいただければ、と」


 言葉を選びつつ、逃げ道を丁寧に塞いでいく。


 陛下の指先が、肘掛けを握る音が聞こえた気がした。


 その横で、王妃が小声で何かを囁く。


「陛下、ここまで公にしてしまった以上…」


 ほとんど聞こえないほどの声。それでも、陛下の肩が僅かに揺れた。


 貴族たちの間にも、別種のざわめきが広がる。


「そこまでして文書にこだわるとは…」「後から戻るつもりがないのか」「いや、王家の側が戻るのを防ぎたいのだろう」


 冷静な伯爵がひそひそと交わす推測が、耳に届く。


 父は、目を閉じた。


 その表情は、遠目には静かだが、長年大結界を支えてきた伯爵としての直感が、何かを訴えているように見えた。


 王宮魔導師長が、眉間に深い皺を刻みながら、そっと陛下を見上げる。


 彼は知っている。


 今ここで、私を「正式に手放す」ということが、技術的にどれほど愚かな決定かを。


 それでも、彼は口を開かない。


 その沈黙が、この国の体制そのものを表している。


 国王陛下は、長い沈黙のあとで、ゆっくりと息を吐いた。


「……よかろう」


 低く落ちたその声に、玉座の間が震えた。


「後ほど、王家として正式な婚約解消の文書を用意させる。レイン伯爵家当主にも署名を求めよう」


 その言葉は、まるで重い鎖が一つ外れる音のように、私の胸に届いた。


 ああ。これで本当に、戻れない。


 戻るつもりもないのだけれど。


「ありがたく存じます、陛下」


 私は、深く一礼する。


 レオン様は、まだ状況を理解しきれていないのか、わずかに眉間に皺を寄せていた。


「アリア、そのような文書などなくても、俺がここで言ったのだ。王太子の言葉は絶対で…」


「ええ、存じております。ですからこそ、その絶対のご意志を文書として残していただきたいのです」


 にっこりと笑いかけると、レオン様の言葉は喉の奥で途切れた。


 リリアナが、不安そうにレオン様の袖をつまむ。


「お兄様…?」


「な、何でもない。アリアがそう望むなら、そのようにしてやればいい」


 少し投げやりな口調。


 周囲の貴族たちは、そのやり取りを見ながら、それぞれに計算している顔をしていた。


 レイン家は見限られたのか。

 いや、あの娘は本当に捨てられるだけの存在なのか。

 そもそも、あの娘がいなくなっても、この国は今まで通りでいられるのか。


 答えを知っているのは、ここでは私と、わずかな人間だけ。


 国王陛下は、私から、父へと視線を移した。


「レイン伯爵」


「はっ」


 父が一歩前に出る。


「娘のこと、申し訳なく思う。だが、これは王家としての決定だ。……受け入れてもらえるか」


 その問いには、王としてではなく、一人の男としての迷いがにじんでいた。


 父は、短く息を吸う。


「陛下のご決定とあらば、レイン伯爵家として異論はございません」


 そう言って頭を垂れる声は、いつものように揺らがない。


 けれど、その指先は、見たことがないほど強く拳を握りしめていた。


 胸が、きゅっと痛む。


 ……ごめんなさい。でも、お父様。これでようやく、レイン家は「国の盾」だけではなくなります。


 私が、あの地下の制御陣から離れることで。


 この国がどうなるかは、もう、私の責任ではない。


「それでは」


 私はもう一度、玉座の間をぐるりと見渡した。


 絵のように整えられた光景。


 白い大理石の柱。色鮮やかなステンドグラス。きらびやかな衣装の貴族たち。


 そのどれもが、今は妙に遠く感じられる。


「今まで大変お世話になりました、陛下。そしてレオン様。どうか、わたくし以外の誰かと、末永くお幸せに」


 最後の挨拶を告げると、玉座の間の空気がぴくりと震えた。


 誰かが、息を呑む音。


 誰かが、扇子を落とす乾いた音。


 レオン様の顔が、かっと赤くなる。


「アリア、おまえ…!」


 責める言葉を探しているのだろう。けれど、もう遅い。


 私は、その続きを待たずに、くるりと踵を返した。


 重い扉へと歩き出す。


 侍従が慌てて駆け寄り、扉を押し開けた。


 軋む音が、玉座の間に響く。


 外から、少しだけ冷たい風が吹き込んだ。


 光の差し込むその向こう側へ、一歩、また一歩。


 振り返るつもりはなかった。


 だから私は、背中に突き刺さる数百の視線を、そのまま置き去りにする。


 レイン伯爵家の娘として、王太子妃候補として。


 そして何より、この国の大結界を支えてきた「誰にも知られていない魔導師」としての役目を。


 すべて、扉の向こう側に置いていく。


 最後の一歩を踏み出し、私は静かに頭を下げた。


 ぱたん、と扉が閉まる直前。


 背後で、誰かが小さく名を呼んだ気がした。


「……アリア」


 その声を、私は聞かなかったふりをした。


 玉座の間の喧騒が、厚い扉の向こうへと遠ざかっていく。


 ここから先は、私の領域だ。


 王のものでも、王子のものでもない。


 私自身の選んだ道が、ようやく始まる。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

ついに「茶番」の幕が下り、アリアは王城と大結界から一歩外へ踏み出しました。

ここから隣国編&魔導師団長との物語が本格的に動き出します。

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