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「連載版」婚約破棄された令嬢ですが、この国の大結界を張っていたのは私なので、隣国の魔導師団長にスカウトされました  作者: 夢見叶
第1部婚約破棄と「国の盾」の放棄 第2章 出会いと密約

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第10話 捨てられるための計画

 その手紙を読んだとき、私は一瞬だけ、本気で目を疑った。


『なら、いっそ捨てさせればいいのではないか』


 いつも通り、飾り気ひとつない無骨な筆致。

 書いたのは、隣国ガルディア王国の宮廷魔導師団長、セイジュ・アルバート。私の研究仲間であり、恋人であり、ときどきとんでもないことをさらりと言い出す人だ。


「……捨てさせれば、って」


 声に出してみても、言葉の意味は変わらない。

 王太子妃候補である婚約者を、どうやって「捨てさせる」のか。普通は逆だ。必死にしがみつくほうが、よくある物語だと思う。


 でも。


 手紙の続きには、淡々とした筆致で、こう書かれていた。


『おまえは今の立場に縛られている。その鎖を切るために戦うより、外す理由を相手に作らせたほうが早い』

『王太子の性格や好みを分析しろ。そこから逆算すれば、いずれ「自分から手放したくなる条件」が見つかるはずだ』


 魔術理論の話をするときと、まったく同じ調子で。

 結界の式を組み替えるみたいに、私の婚約を組み替えようとしている。


「……セイジュ様は、たまに人の人生を数式みたいに扱いますよね」


 呆れたようにため息をつきながらも、その発想が、するりと胸の中に落ちていくのを感じた。


 捨てられることを、最初から前提にして式を組み直す。

 それは確かに、私にしかできないやり方かもしれない。


     ◇


 レオン様の好みを分析しろ、か。


 そう言われてみれば、材料はいくらでもあった。

 なんせ私は、物心ついたころから、王太子殿下の「理想の王妃像」を横で聞かされ続けてきたのだ。


『王妃には、民に寄り添う優しい心が必要だと思うんだ』

『たとえ身分が低くても、清らかな心さえあれば、人は輝ける』

『悲しんでいる民の涙をぬぐってやれるような王妃がいい』


 初めて聞いたときは、素直に「立派なお考えですね」と思った。

 何度も聞かされるうちに、「要するに分かりやすく健気で、守ってあげたくなる子が好きなのね」という結論に落ち着いた。


 残念ながら私は、そういうタイプではない。

 私が民の涙を見たら、とりあえず結界の穴と補給線の状況を確認してから原因を潰す。情緒より先に現実が来る性格だ。


 王妃教育の一環で、心のこもった微笑みの角度やら、優雅なカーテシーの練習やらも一通りやったけれど、レオン様の目はあまり輝かなかった。

 かわりにきらきらしていたのは、王都に新しくやってきた若い男爵令嬢を見つけたときだ。


『あの子はいい子なんだ。身分は低いが、いつも周りのことを考えていて……』


 食卓で何度も聞かされた自慢話を、私は静かに思い出す。

 レオン様は気づいていないだろうけれど、そのたびに私は、横で淡々と「はい」「そうですか」と相槌を打ちながら、内心ではメモを取っていた。


 レオン様は、優しい言葉に弱い。

 自分を信じてくれると無邪気に言われると、あっさりと心を預ける。

 涙を浮かべて「殿下は素晴らしい方です」と言われれば、もうだめ押しだ。


 つまり。


「……確かに、分析しがいはありそうですね」


 私は机の引き出しから、別のノートを取り出した。

 結界式の研究用ではない、お気に入りの革表紙のノート。

 上のほうに小さく、「レオン様観察記録」と書かれている。


 ぱらぱらとページをめくる。


『庶民の出でも清らかならば、王妃にふさわしいと思う』

『父上や重臣たちは反対するかもしれないが、私は民の味方でありたい』


 書き留めておいたフレーズが、並んでいる。


 私はペン先を唇に当て、すうっと息を吸った。


「庶民の出でも、清らかならば。優しい心。民に寄り添う。涙」


 声に出して並べてみると、だんだんと輪郭がはっきりしてくる。

 そこに、少し前から王宮に出入りし始めた男爵令嬢の顔を重ねる。


 愛らしい容姿。おどおどとした仕草。何かあるとすぐに泣きそうな瞳。

 周囲の人々にへこへこと頭を下げる姿は、確かに「守ってあげたい」と思わせる要素に満ちていた。


 うん。


「相性、いいですねえ……」


 私とではなく、レオン様と。


 胸の奥が、少しだけきゅっとなる。

 けれどその痛みは、もう何度も噛みしめてきたものだ。


 私はそっと目を閉じる。


 私が王妃になる未来を、もう一度だけ思い描き、それをきれいに折りたたんで引き出しの奥にしまう。

 代わりに、別の未来の設計図を広げる。


 ここから先は感傷ではなく、計画の時間だ。


     ◇


 数日後。


 私は王宮の廊下で、件の男爵令嬢とばったり出くわした。


「きゃっ……!」


 手にしていたティーセットの盆が大きく傾き、カップの中身がおぼつかない足取りとともに揺れる。

 私は一歩踏み出し、魔力で水の膜を作ってこぼれた紅茶を受け止めた。


「大丈夫ですか?」


「あ、アリア様……っ。す、すみません、わたくし……」


 今にも泣きそうな顔でこちらを見る、淡いピンク色のドレスの少女。

 王都にやってきたばかりの男爵令嬢、リリアナ。


 本当に、絵本から抜け出してきたみたいな子だと思う。


 私はにこりと笑い、浮かせた紅茶をカップに戻す。


「少し驚いただけですよ。熱くはありませんでしたか?」


「は、はい……。アリア様がいなかったら、きっと大変なことに……」


「たまたま通りかかっただけです。お気になさらないで」


 努めて穏やかに答えながら、頭の中では別の計算をしていた。


 魔力制御はあまり得意ではない。

 緊張すると手が震え、よく物を落とす。

 それでも誰かが困っていると、必死に手を伸ばそうとする。


 根は悪い子ではない。むしろ、いい子だ。


 ……だからこそ、やり方を間違えなければ、この子は王都の「可憐な被害者」として、いくらでも担ぎ上げられる。


 私は、胸の奥のチクリとした感覚を意識的に横に置き、いつもよりほんの少しだけ疲れた顔を作ってみせた。


「王妃候補の教育は、大変ですよね」


 ぽつりと、誰にともなくこぼすように。


 リリアナの肩がびくりと震えた。


「わ、わたくしなんて、まだまだで……。アリア様のようには、とても……」


「そんなことありませんよ。レオン様は、あなたの優しいところをとても評価しておられます」


 事実だ。実際、何度も耳にタコができるほど聞かされている。


「わ、わたくし、ただ……殿下のお力になりたくて……」


「そのお気持ちが、一番大切なのだと思います」


 私は少しだけ、目を伏せる。


「王妃の仕事は、決して楽ではありません。書類は山のようにありますし、行事も多い。時には、国のために冷たい決断をしなくてはならないこともあるでしょう」


 淡々と事実を並べる。

 侍女たちが、さりげなく耳をそばだてている気配がする。


「でも、レオン様は優しい方ですから。きっと、あなたのことを守ってくださいます」


 最後にそう付け加えると、リリアナの瞳が潤んだ。


「……殿下は、本当にお優しい方です。わたくしのような者にも、手を差し伸べてくださって……」


 うんうん。そこ、大事なポイントなので、もっと語るといいですよ。


 内心でうなずきながら、私は一歩下がる。


「では、私はこれで。お勉強、頑張ってくださいね」


「はい……! ありがとうございます、アリア様!」


 彼女は深々と頭を下げた。

 その姿を横目に見ながら廊下を歩き出すと、すぐ後ろで侍女たちが、ひそひそと囁き合う声が聞こえた。


「今の聞いた? アリア様、相当お疲れみたいだったわね」

「王妃の仕事がそんなに大変なんて……。リリアナ様、大丈夫かしら」

「でも殿下は優しいもの。きっとお守りになるわ」


 ……うん。


 狙い通り、「王妃の仕事は過酷」「でも殿下は優しい」という印象が、綺麗にセットで広まっていく。


 後は、これを何度か繰り返せばいい。

 王妃の責任の重さ、私がいかに忙しいかを、ほんの少し大げさに語る。

 そのたびに、「それでも殿下なら」と誰かが付け加えてくれれば、レオン様の耳に届くころには、こうなるはずだ。


 庶民の出でも清らかならばいい。

 優しい心を持ち、民に寄り添える子ならばなおよい。

 ついでに、酷使されて疲れ切った私よりも、ずっと守ってあげたくなる可憐な令嬢がいる。


 そして私は、何も言わない。

 反論も、主張もしない。


 ただ、粛々と結界を回し、書類を片付け、王都の安全を守り続ける。

 その合間に、ほんの少しだけため息をつき、疲れた顔を見せる。


 それは真実だし、嘘でもある。

 本当に疲れているけれど、それを利用しているのも事実だから。


     ◇


 その夜。


 自室でセイジュへの返事を書くためにペンを取った私は、しばらく白紙とにらめっこした。


『なら、いっそ捨てさせればいいのではないか』


 彼の一文を思い出す。


 私は紙の上に、ゆっくりと言葉を刻んでいった。


『ご提案どおり、王太子殿下の好みを分析し、条件を整理しました』

『たぶん、そう遠くないうちに、殿下は自分で「こうあるべき王妃像」に向かって歩き出すでしょう』

『そしてその先にいるのは、きっと私ではありません』


 ここまで書いて、一度ペンを止める。


 胸の奥に残っていた未練の欠片を、指先でつまんで確かめるような感覚。


 大丈夫。私はもう、とっくに覚悟していた。


 私はペンを握り直し、最後の一文を書き加える。


『――だから、そのときはどうか、迎えに来てください』


 書き終えた文字が少し震えているのを見て、私は自分の指先がわずかに冷えていることに気づいた。


「捨てられるための準備、か」


 声に出してみると、ひどく妙な響きだ。


 普通なら、そんな言葉は負け惜しみか、悲劇のヒロインの独白にしかならない。

 けれど私の場合、それは戦略であり、未来への切符でもある。


 王家に「いらない」と言わせる。

 そうして初めて、私はこの国から自由になれる。


 ペンを置き、窓の外を見上げる。


 大結界の内側で、王都の夜空はいつも穏やかだ。

 けれどその穏やかさは、私が流し続けている魔力の上に辛うじて成り立っている、薄氷の安定にすぎない。


「……数年分は、持たせてあげますから」


 小さく呟く。


 私がここを去った後も、国がすぐに滅びるような真似はしたくない。

 それはこの国に残る家族への、せめてもの礼儀だ。


 だから私は、この婚約を終わらせる準備と並行して、結界の式を組み替える。

 私がいなくなっても、数年は持つように。

 その間に、彼らが自分の愚かさに気づくかどうかは、もう私の知ったことではない。


「さあ」


 私は封筒に手紙を収め、封蝋を押した。


「ここから長い準備期間が始まりますよ、アリア・レイン」


 自分の名前を、少しだけ他人事のように呼ぶ。


 捨てられるための計画。

 その第一歩は、こうして静かに踏み出されたのだった。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

今回はついにアリアが「捨てられるための計画」を自分の意志で動かし始めた回でした。

王太子妃という立場を守るのではなく、自ら手放して迎えに来てくださいと書く彼女の決断が、今後どんな波紋を広げるのか…セイジュとの再会まで、まだ少しだけ遠回りをします。

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