第七章 未完成のまま、君と奏でる
文化祭のステージで演奏しようと、陽翔が奏に声をかける。
「二人だけで演奏しよう」――その提案に戸惑いながらも、奏は頷いた。
曲の題材となったのは、かつて奏が書きかけていた“春”をテーマにした旋律。
陽翔のギターとアイデアが重なるたびに、曲は二人だけの「未完成のラブソング」へと形を変えていく
文化祭の出演者を募るプリントが、教室の後ろに貼り出されたのは、
季節が少しだけ秋に傾きはじめた頃だった。
「なぁ、奏。文化祭でさ一緒に演奏しない?」
その言葉を聞いた瞬間、胸がひとつ跳ねた。
陽翔は、いつもの調子で、でもどこか真剣な目をしていた。
「文化祭の最後の枠、まだ空いてるんだって。バンドとかじゃなくてもいいらしくて。ピアノとギターの、二人だけで」
僕は迷った。
二人だけの演奏。それはきっと、逃げ場のない場所だ。
この気持ちを知られたくなくて、曲に閉じ込めてきたというのに、
一緒に“奏でる”なんて。
だけど——
「いいよ」
口から出たのは、迷いのない言葉だった。
もう逃げられないって、どこかでわかってた。
たとえ届かなくても、たとえ壊れてしまっても、
この想いを、音にして君と重ねてみたかった。
放課後の音楽室。
誰もいない空間に、ギターとピアノの音だけが響く。
「ここのコード進行、こう変えてみたら?」
「お、そっちの方がエモくね?」
そんなやり取りを何度も繰り返しながら、曲は少しずつ形になっていった。
ベースのテーマは、奏が以前書きかけていた“春の曲”。
でも陽翔と重ねていくうちに、それはどんどん変わっていった。
「これ、君のために作った曲」なんて言えるはずがない。
でも、陽翔と一緒に作っていくうちに、
旋律の中に陽翔自身の音が混ざり始めているのがわかった。
僕一人では絶対にできなかった。
君とだから、できた。
廊下の向こうから、誰かがこちらを見ていた。
……高山だった。
気づいてしまってからというもの、あの日の告白が頭から離れない。
陽翔との距離が近づくたび、なぜだか心の奥が痛む。
ごめん、とも、ありがとう、とも言えないまま、
高山との距離は少しずつ、ゆっくりと遠ざかっていく。
でも彼は、一度も僕を責めなかった。
ただ、黙って見守るようにしていた。
ある日、すれ違いざまに高山が言った。
「いい曲にしろよ」
その一言が、胸に深く刺さった。
文化祭まで、あと一週間。
練習は夜まで続いた。
陽翔のギターは、少しずつ確実に上達していた。
「……なんか、ちゃんとバンドっぽいじゃん俺ら」
「バンドっていうか……デュオじゃない?」
「そっか。でもさ、なんか不思議だよな。
最初はただピアノの横で聞いてただけだったのに、今は並んで音出してる」
その言葉に、僕はふと笑ってしまう。
本当に。こんな日が来るなんて、思わなかった。
音楽の話をして、何気ない会話をして、
誰にも言えない想いを閉じ込めたまま、ただ、隣にいる。
でも、それだけでよかった。
いや、違う。
本当は、もっと欲しかった。
君に振り向いてほしかった。
“好きだ”って言ってほしかった。
だけど僕は、その一言が言えないまま、
君と曲を作っていた。
文化祭の前日。
最後の通し練習を終えたあと、陽翔がふと口にした。
「なぁ奏。……明日、絶対、後悔しない日にしような」
その言葉が、胸の奥で響いた。
君はきっと、何も知らないままそう言ってる。
だけどその無邪気さに、僕はいつだって救われてきた。
だからせめて、音だけでも。
この気持ちを音にして、君に届ける。
たとえそれが、ラブソングじゃなかったとしても。
それでも明日、君と奏でる音が、
“僕だけの答え”になると信じている。