第五章 好きになんてならなければよかった
奏は陽翔とますます距離を縮めるが、その帰り道で高山と出会ったことをきっかけに、彼の視線と表情に違和感を覚えるようになる。
それはやがて、奏の音楽にまで影響を及ぼし、「曲が作れなくなる」という事態に。
陽翔はそんな奏の変化に気づきつつも、高山の様子を軽く冗談交じりに話す。
しかしその言葉が、奏の胸に重くのしかかる。
─高山は、自分に何かを言いかけていたのか?
─もしかして、自分のことを「好き」なのか?
そう気づいたとき、奏はさらに深く悩む。
自分が陽翔を想うことで、誰かの優しさを踏みにじっているような気がして。
「好きになんて、ならなければよかった」
そんな言葉が口をつくが、本当はもう引き返せないほど陽翔を想っている。
そして陽翔から、「自分で作った曲を聴いてほしい」というメッセージが届く。
その音に触れるとき、奏の心はどこへ向かうのか——。
もう何度、同じ旋律を打ち込んでは消しただろう。
メロディが浮かばないわけじゃない。
むしろ、次から次へと流れ込んでくる。
けれど、完成しない。
形にしようとすると、どこかが欠けていく。
まるで、自分の気持ちが壊れるのを恐れているみたいに。
「......また止まったの?」
後ろから、陽翔の声。
僕は思わず手を止め、パソコンの画面を閉じる。
「うん、ちょっと煮詰まってて」
「ふーん......でも、無理しすぎんなよ?」
そう言って、缶コーヒーを手渡してくれた。
僕の好み、ちゃんと覚えてくれてる。
それだけで、また心が鳴り出す。
「なぁ」
陽翔がぽつりと口を開いた。
「この前、高山がさ。なんか変だったんだよ」
「......変?」
「いや、なんていうか......言いかけてやめたっていうか。お前のこと、何か言おうとしてたように見えた」
胸の奥で、ぴたりと何かが止まった。
高山の、あの視線。あの、目の逸らし方。
気づかないふりをしていたけど、ずっと感じていたもの。
「もしかして、さ」
陽翔は笑うようにして言った。
「高山、お前のこと好きだったりしてな」
冗談みたいな言い方。でも、その言葉がやけに刺さった。
僕は、何も答えられなかった。
その夜、僕は眠れないでいた。
あのとき、僕が曲を書けなくなった理由。
高山の目を見て、心がざわついた理由。
それはきっと、僕自身がその気持ちに気づいていたからだ。
僕が陽翔を好きなように、
高山もまた、誰かを見つめていた。
しかもその“誰か”は、僕で。
それが、どうしようもなく苦しかった。
—あの優しさを、裏切ってしまうような気がして。
──誰かの想いを踏み台にして、陽翔の隣に立ってしまうような気がして。
「……好きになんて、ならなければよかった」
心の中で、そう呟いてしまった。
でも、本当はわかってる。
もうとっくに、引き返せなくなっていたことなんて。
次の日、陽翔からメッセージが届いていた。
「なあ、今度さ。俺の作った曲、聴いてくんね?」
「奏の影響で、俺もちょっと作ってみたんだ」
スマホの画面を見つめながら、僕は泣きそうになった。
嬉しかった。
でも、怖かった。
僕の感情が、どこかであふれてしまいそうで。
曲を聴くのが、少し怖いとさえ思った。
でも、行かなきゃ。
ちゃんと、陽翔の“音”に向き合わなきゃ。
あの日、陽翔が言ってくれたように——
「音楽ってさ、その人が見えてくる気がするんだ」って言葉を、
今なら少しだけ、信じられる気がするから。