エピローグ
春が過ぎて、季節は何度か巡った。
音楽大学のキャンパスに吹く風は、あの日の音楽室よりも少しだけ冷たくて、それでもどこか、懐かしい。
白い鍵盤の上に置いた指先に、あのときの震えがまだ残っているような気がした。
僕は今日もピアノを弾いている。
でも、あの頃のように誰かを想って旋律を紡ぐことは、少なくなった。
──たぶん、あの曲で、すべてを出し切ってしまったから。
卒業式の朝、君に会って、言葉にならない気持ちを最後の音に託した。
それだけで、あの恋はきっと完結していたんだと思う。
あれから、君とは一度も会っていない。
連絡も、していない。
君が今どこで、どんな風に笑っているのか、もう僕にはわからない。
けれど、不思議と、それが寂しいとは思わなかった。
忘れないだけで、いい。
覚えているだけで、十分だ。
あの日の音も、
光の眩しさも、
鍵盤の感触も、
君の声も、笑顔も、
全部、僕の中にちゃんと残ってる。
そうやって、時々ふと思い出すだけで、
また少し、優しくなれる気がするから。
今、僕が書いているのは、ラブソングではない。
でもあのときと違うのは——
誰かにちゃんと、届いてほしいと思いながら書いていること。
伝えられなかった気持ちが、誰かの心をそっと支えるように。
そうやって、少しずつ前へ進んでいけたらいい。
あの日、音にならなかった言葉を胸に抱いたまま、
僕は今日も、ピアノの前に座っている。