心の盃――三人の酔い、ひとつの斬閃
――戦場は、もう山ではなかった。
霧が裂け、炎が舞い、酒と泡と刃の香りが混じり合う。
焔の峰の深奥が、一枚の巨大な杯のように煌めいている。
「……これが、限界か?」
ヤシロの声が、煙の奥から響いた。
刀身から滴るのは血ではなく、酒気。
その香りは焦げた麦と、古い樽の匂いを帯びていた。
「まだだ……まだ、酔ってない」
私は瓢箪を叩く。
中の酒が応えるように震えた。
「ミスティア、いける?」
「ええ。泡の流れは、もう一度“重ね”られます」
彼女の掌で、泡が光を放つ。
それは魔力ではない、“意志の泡”だ。
「クラリス……!」
「任せて。――今度こそ、心で斬る!」
三人の視線が交わる。
誰も言葉を交わさない。
でも、もう“通じていた”。
◆
ヤシロが再び構える。
無駄のない姿勢。
呼吸の音すら、戦意そのもの。
世界が彼の“間合い”の中にある。
「八洲剣術――奥伝、心剣・無音断」
その言葉と同時に、風が止まる。
音が、すべて消えた。
世界から、ざらつきが抜け落ちる。
「……ッ!!」
クラリスの瞳が見開かれる。
目で追えない。
空気ごと“斬られている”。
「伊吹、今――!」
「わかってる!! 《酒技・酔酩爆裂》!!」
炎が迸る。
だがそれすら、音を奪われる。
爆音も熱も、吸い取られるように静まる。
“静寂の剣”が、火の衝撃を無効化していく。
「《泡沫魔法・拘束――カーボネットチェイン》!」
ミスティアの泡鎖が、無音の空気の中を駆ける。
だが、それも刹那で断たれた。
見えない“刃”が泡を断つ。
ヤシロの一太刀は、もはや斬撃ではなかった。
彼が“切る”のは、敵の意志そのもの。
「この剣は、“敵意”を断つ。
お前たちの意志が揺らぐかぎり、届かぬ」
「だったら……!」
クラリスが、息を吸い込んだ。
その目に映るのは、斬るための敵ではなく――仲間。
「伊吹、ミスティア! 今度は――三人で、心を重ねる!」
「任せろ!」
「了解!」
◆
三人が同時に走る。
泡の道が光を帯び、酒気が尾を引き、剣の旋律が風を裂く。
それぞれが、違うリズムを刻む。
でも、今はもうバラバラじゃない。
ヤシロの剣が上がる。
空気が、音を置き去りにして震える。
「行くよ……!」
わたしは瓢箪を掲げ、酒を吹き上げる。
「酒技――《酔魂流転》!!」
酒気が龍の形を取り、三人の背を包み込む。
揺れる琥珀の光が、刃と泡に絡み合う。
「閃律剣――《ラピス・レゾナンス》!」
クラリスの剣が、音を取り戻した。
刃が“鳴る”。
旋律が大気を震わせる。
「泡沫魔法・炸裂――《ブリリアントバースト》!」
ミスティアの泡が炸裂し、細かな光粒となって舞う。
無数の泡の粒が、ヤシロの剣気の中で反射し、“音”を映す鏡のように広がる。
「音を、泡で――反響させるつもりか!」
ヤシロの表情が初めて動いた。
◆
三人の呼吸が、完全に重なった。
伊吹の酒気が“熱”を、
クラリスの刃が“形”を、
ミスティアの泡が“律動”を生む。
――それは、かつてない融合。
「行くぞ……!」
声が三つ、重なる。
新連携奥義――《酔泡鳴閃》!!
泡が歌い、刃が叫び、酒が吠える。
三つの力が螺旋を描き、天へと伸びていく。
音と光と香が混ざり、ひとつの“旋律の竜”となって落ちる!
――轟音。
閃光。
世界が白く弾けた。
ヤシロの八洲刀が、その竜を受け止めた。
衝撃が地を揺らす。
空気が震える。
山が、唸った。
「“心”が……重なったか……」
ヤシロの声が、炎の中で聞こえる。
「だが、まだ――」
「違う!」
私は叫んだ。
「“勝ちたい”んじゃない……“届けたい”んだ!
酒の、泡の、剣の――この“酔い”を!!」
全身の魔力が爆発する。
酒気が迸り、泡が光を散らし、刃が響く。
再び三人の呼吸が重なった瞬間――
世界が一瞬、静止した。
◆
ヤシロが、笑った。
「……見事だ。ならば、我が剣の最奥を受けてみせろ」
八洲刀をゆっくりと持ち上げる。
その動きは、まるで一献を掲げるかのよう。
「――心剣・終伝《一盃断心》」
ヤシロの周囲に、無数の酒気の刃が浮かぶ。
それは光でも闇でもない、“静寂そのもの”。
彼の心が、剣となって放たれる。
「来る!!」
クラリスが叫び、私とミスティアが同時に構えた。
「《泡沫魔法・防膜――フルドーム展開》!」
「《酒技・烈酒爆破》!!」
「《閃律剣・クロッカ》!!」
三つの技が同時にぶつかり、世界が再び光に包まれる。
音が戻り、風が吹き抜ける。
そして――静寂。
◆
気づけば、私は地面に倒れていた。
金棒は焦げ、瓢箪はかすかに光を放っている。
隣で、クラリスが息を荒げ、ミスティアが泡の残光に手を伸ばしていた。
目の前では、ヤシロが膝をついている。
その八洲刀の刃先には、私たち三人の“酔い”が刻まれていた。
刃が震え、微かな音を立てて――“鳴っていた”。
クラリスが息を飲む。
「……この音……」
「“斬られた”のは、俺の心じゃなかった。
お前たちの“心”が、俺を酔わせたのだ」
ヤシロは静かに微笑む。
「戦いとは、本来、分かち合いだ。
お前たちは、それを“酔い”で示した。
――焼酎は、お前たちに託そう」
山頂の奥、石の祭壇に、ひとつの瓶が置かれていた。
光を吸い込むような透明な酒。
見た瞬間、身体が震えた。
「……これが、“八洲の焼酎”……!」
「飲まいでよ、伊吹」
ミスティアが即座に警告する。
「わかってるって。でも、ちょっと香りだけ――」
くん、と匂いを嗅いだ瞬間――
「――ぐはっ!! な、なんだこれぇぇぇぇっ!!!」
喉が焼け、視界がぐるぐると回る。
まるで魂まで蒸留されるような衝撃。
「まったく」
クラリスがため息をつく。
ヤシロは笑いながら肩をすくめた。
「異国の者には、まだ強すぎるだろう。
だが――お前たちなら、いつか“飲み干す”日が来るさ」
◆
夕陽が、山を染めていた。
酒の香と泡の粒が風に舞い、剣の音が遠くで響く。
「……ねぇ、クラリス、ミスティア」
「なに?」
「次は、どこの酒を探そうか」
「まったく、懲りない人ですね」
「でも、悪くない旅だと思うよ」
クラリスが微笑む。
「じゃあ――乾杯だね」
瓢箪を掲げる。
ヤシロも、空の盃を差し出した。
「異国の酔いどもに、乾杯だ」
――焔の峰の風が、音を運ぶ。
泡のように儚く、酒のように熱く、剣のようにまっすぐな音を。
こうしてわたしたちは、“心で酔う”ことを覚えた。




