焼酎の香り、舌に広がる八洲の味
焼いた魚の香ばしい匂いが、八洲の町路地にゆるやかに流れていた。
瓦屋根の軒先から吊るされた提灯が、朱と金の灯りを投げかけ、そこに人の温度と暮らしの彩りを添えていく。
「わああああっ! どこもかしこも飯の匂いだらけじゃん……!」
私は思わずその場で深呼吸をした。
潮の香りと、出汁の香り、それに甘辛い醤油の焦げる匂いまでが入り混じって、鼻孔を刺してくる。
「……伊吹、よだれが垂れてる」
クラリスがあきれ顔でツッコんだ。
「だってさぁ! あそこ見てよ、あれなんか“丸ごと炙った巨大イカ”だよ!? しかも醤油の焦がしダレで香ばしくしてある……!」
八洲の港に並ぶ屋台群は、どこも個性の塊だった。
串焼きの魚介、炭火で炙った海獣の骨付き肉、そして“海苔だらけのおにぎり”など、見たこともない海の幸が目白押しだ。
それを見て、クラリスもふと目を細めた。
「……文化は違えど、食の力ってすごいわね。なんだか、ここが故郷だったような気がしてくる」
「伊吹さん。あれ、珍しい調理器具です。蒸気で蒸す“石焼釜”……たぶん、泡圧と密封構造を利用してますね」
ミスティアは学者モードに入っていた。
「あれで作ったつまみ食べてみたい!」
私が叫んだとき、ふいに後ろから声がかかった。
「旅人さん、ひとつ尋ねていいかい?」
振り返ると、そこにいたのは年嵩の女将だった。
屋台の炭火焼きを仕切っているらしく、火の粉を浴びた前掛け姿がよく似合う。
「焼酎……をお探しなんだって?」
私は思わず頷く。
「うん、正真正銘、本気で探してる! この島に伝わる“焼酎”を!」
女将の顔に、驚きと共に、どこか懐かしさが滲んだ。
「ふふ……あんたみたいな子が来るなんてね。……そうねえ、焼酎を語るなら“山の人間”の噂を聞くといいよ。最近じゃ、旅商人も寄りつかない場所だけど」
「山、ですか?」
「そう。あの八洲の背にそびえる“焔の峰”。そこには『酒鬼剣聖・ヤシロ』ってのがいてね。焼酎を守る番人なんて呼ばれてる。……飲んで笑う者を拒まないが、軽んじる者は斬る。怖いけど、筋の通った人さ」
「――上等じゃん。その人に会ってみたい!」
私がそう叫んだ瞬間、女将がふっと笑った。
「ならまず、腹を満たしていきな。うちの“琥珀鯛の漬け丼”、自信作だよ。山に向かう前に、八洲の味、忘れないでおくれ」
◆
――そして。
出てきた丼が、正直ぶっ飛んでた。
白米の上に、透き通るような琥珀色の切り身が美しく並べられ、その上から濃い出汁醤油がたらり。
わさびに似た辛味根菜と、刻み海苔、泡のように立てられた柑橘のソース。
「う、うまっっっ……!!!」
咀嚼した瞬間、もう、舌が恋に落ちた。
「魚が、甘い……?」
クラリスが目を丸くする。
「酢も使ってないのに、爽やかな風味……。これは、香り柑橘を塩に溶かしてる……?」
ミスティアの分析を聞きながら、私は泣きそうになっていた。
「異世界でも、こんなにうまいメシがあるなんて……」
◆
女将は、どこからか酒瓶を持ち出してきた。
「ちなみに、これが八洲の“白酒”……米焼酎さ。あんた、呑むんだろ?」
「もっちろん!」
ぐいっとひと口――
「ぶっほおおっ!! かっっっら!! これ、酒ってより、燃料だよこれ! 喉がファイヤーしそう!!」
「ふふ、そう来ると思ったよ。旅人さんの顔が、うちの旦那そっくりでさ」
笑い声が屋台の奥から広がる。旅の宴は、こうして夜の八洲に溶けていった――。




