潮風と苦き一献
港町アクアレーンの夕暮れは赤く染まった海面がゆらゆらと揺れていて、それだけで酒のつまみになりそうな光景だった。
桟橋に並ぶ小舟からは漁師たちが網を担ぎ上げ、魚市場には威勢のいい声が飛び交っている。
「すごい……! こんなに魚が……!」
クラリスが目を見開いた。
山と積まれた銀色の鱗が陽を受けて輝き、まるで宝石箱みたいだ。
「……鮮度が素晴らしいですね。内臓の張りも、目の澄み具合も」
ミスティアは興味深げに魚を覗き込み、学者みたいに冷静に評している。
「もう我慢できない!」
わたしは真っ先に市場の一角にあった食堂へ飛び込んだ。
◆
木造の大衆食堂。
壁には魚の絵と酒瓶がずらりと並び、奥の厨房からは焼き魚の匂いが漂ってきていた。
「いらっしゃい! 今日は油鯖がいいぞ、焼き立てだ!」
店主が威勢よく声を張り、炭火の網からは脂が「じゅうっ」と音を立てて滴る。
「三人前! あと貝の蒸し物も! それから……刺身盛り合わせぇぇぇ!」
「伊吹、頼みすぎ!」
「……でも私も、食べてみたいです」
クラリスがツッコミを入れる横で、ミスティアは控えめに頷いた。
やがてテーブルに運ばれてきた料理の数々。
炭火で焼かれた鯖は皮が香ばしく、箸を入れれば白い身がほろりと崩れる。
レモンをぎゅっと絞って口に放り込めば――。
「……んぁぁあ! これだぁ!」
海の塩気と脂の甘みが舌に弾け、鼻から抜ける香ばしさが幸福を直撃する。
「美味しい……! こんなに身がしっとりしてるなんて」
クラリスが感嘆の声を漏らし、
「……これは酒にも合いますね」
ミスティアが真顔で言う。
「でしょ? じゃあ酒も頼もう!」
わたしは勢いで注文した。
木のジョッキに注がれた琥珀色の液体が目の前に置かれる。
泡立ちは控えめ、香りは穀物っぽい……でも、どこか不安を覚える匂いだ。
「……まぁ、港町の地酒ってやつかな。よし、一口……」
ぐい、と飲む。
次の瞬間――。
「……っぶふぉ!! にがっ! くっさ! 後味わるっ!!」
思わず噴き出しそうになった。
麦の焦げ臭さと雑味が喉にへばりつき、最後には鉄みたいな渋みだけが残る。
「伊吹、下品よ!」
「うぅ……でもこれ……水で割っても飲めねぇ……」
「……なるほど、これは“港町の酒”ですね」
ミスティアは冷静に分析するが、眉間はしっかり寄っている。
「さすがに私もこれは……。料理が美味しいだけに、惜しいわね」
クラリスが渋い顔でジョッキを置いた。
「おまえらわかってないなぁ!」
隣の席の酔っぱらい水夫が突然話しかけてきた。
「この苦さがいいんだよ! 海風に当たりながら飲むと最高なんだ!」
「いやいや、絶対ワインとかのほうが合うだろ!」
わたしが即座に反論すると、水夫は机を叩いて笑った。
「嬢ちゃん、酒を語る顔は一人前だな! ……おっと、そういや聞いたぜ。“八洲の酒”を探してるって?」
その言葉に、わたしたちは一斉に水夫へ身を乗り出した。
「八洲の酒って、本当にあるの!?」
「おうとも。俺は一度だけ飲んだことがある。透明で、喉を通った途端に腹の底まで燃えるように熱くなる酒だ」
「……っ!」
わたしの心臓が跳ね上がる。
「だがな、手に入れるのは難しい。八洲の旅商人が時折持ち込むが、すぐ買い取られちまう。海を渡って直接探すしかねぇだろうな」
水夫は酔った勢いで語り、最後に「ま、無事でな!」と笑って席を立った。
残されたわたしたちは顔を見合わせる。
「……ついに、はっきりしましたね」
ミスティアが静かに呟く。
「八洲に行けば……焼酎がある」
クラリスが真剣に言葉を継ぎ、
「行くしかないでしょ! 次の目的地は決まりだ!」
わたしは拳を握りしめて立ち上がった。
潮騒と酒場のざわめきの中で、新たな冒険の幕が上がった気がした。




