港町アクアレーン、酔いどれ初上陸
――海の匂いだ。
泡鳴区から馬車で一週間、ついに港町アクアレーンへ辿り着いた瞬間、潮風が頬を打った。
塩気を帯びた風が肺に流れ込むたびに、体の奥までざわざわする。
「……っ、海だー!」
わたしは思わず声を上げる。
目の前に広がるのは、空と地平の境目を飲み込むような濃い群青。
波打つたびにきらきらと光が砕け、無数の魚鱗みたいに反射している。
「わぁ……! 本当に……果てが見えませんね……!」
ミスティアは目を丸くして両手を胸に当てた。
風で水色の髪が揺れ、普段は冷静な彼女も完全に観光客だ。
「こんなにも……壮大だなんて」
クラリスは真面目に感嘆していたけれど、その表情は隠しきれないくらい輝いている。
剣士らしい凛とした立ち姿のまま、初めて見る海に圧倒されているのがわかる。
港は賑やかだった。
桟橋には大小さまざまな船が並び、帆が風にぱんぱんとはためいている。
荷を積み下ろす船乗りたちの掛け声、行き交う商人の威勢のいい声、そして鳥の鳴き声が混じって、まるで港全体がひとつの大きな楽隊みたいに響いていた。
「伊吹さん、見てください! あそこ、魚が跳ねてます!」
ミスティアが指差す先、海面から銀色の魚影が飛び出しては波に消えていく。
「……あれが“跳ね魚”かな? 焼けば脂が滴りそう」
クラリスが剣の代わりに包丁を握りそうな目で見ているのが面白い。
市場通りに足を踏み入れると、さらに混沌とした匂いと音に包まれた。
干した魚、貝殻を積んだ桶、樽から滴る魚醤。
潮と魚の匂いが鼻をつくけれど、そこに焼き立てパンの香りやスパイスの匂いが入り混じって、むしろ食欲を刺激してくる。
「お嬢ちゃんたち、安いよ! 今日揚がったばかりのアクアカニだ!」
「新鮮なアクア牡蠣だ! 旅人も絶賛だよ!」
威勢のいい声に引かれ、わたしたちは思わず立ち止まる。
氷の上で赤々と光るカニの足、まだ生きている牡蠣が殻をぴくりと動かす光景は、食いしん坊のわたしにとっては暴力的だ。
この世界にも似たような食材があることにすこし感激を覚える。
「これ……絶対酒に合うやつだ……!」
唾を飲み込みながら呟くと、クラリスが呆れ顔で肘をつつく。
「伊吹、今回は情報収集が目的でしょう。買い食いに夢中にならないで」
「……わ、わかってるよ! でもほら、ミスティアも気になってるでしょ?」
「……あの牡蠣……すごく瑞々しい……」
ミスティアの視線は完全に吸い寄せられていた。
「ほら見ろ!」
わたしは胸を張る。
アクアレーンに到着した時点で、わたしたち三人はすでに旅の目的――焼酎探索よりも、海の幸と酒の誘惑に足を取られていたのだった。




