泡立つ予兆、チューハイの夢
――翌朝。
幻級の二日酔いをようやく乗り越えたわたしたちは、まだ重い頭を抱えながらも、どうにか椅子に座っていた。
テーブルの上には、ノアが用意した軽めの朝食――温かなスープと柔らかいパン。鼻に抜ける香草の香りが、荒んだ胃袋をやさしく慰める。
「……生き返る」
パンをちぎって口に入れた瞬間、わたしは思わず呟いた。
「昨日は地獄絵図だったのにね」
クラリスが苦笑し、隣のミスティアはまだ顔色の悪さを隠せず、スープをちびちび啜っている。
「おまえたち、やっと人間に戻ったか」
ノアが無愛想に言いながら、食後の紅茶を置いた。
整った顔に笑みはない。
けれど、三人分の湯気立つカップを用意してくれているあたり、世話焼きなのは否定できない。
「ありがとノア……もう二度とあんな二日酔いはゴメンだ」
「伊吹、おまえの“二度と”は信用ならない」
ピシャリと切り捨てられて、わたしは肩を竦めるしかなかった。
そのノアが、ふと真剣な表情で口を開いた。
「――幻果の実のことだ」
「え?」
三人が同時に顔を上げる。
「昨日の料理はうまかっただろ。だが調理法は、まだ残っている」
「残ってる……?」
「加熱すれば甘味は抑えられる。さらに搾汁すれば、果汁だけを取り出せる。香りも味も、もっと洗練されるはずだ」
ノアの声は落ち着いていて、どこか研究者のようだった。
「……つまり?」
わたしが身を乗り出すと、彼女は淡々と告げる。
「酒と混ぜる。果汁を加えることで飲みやすくなり、全く新しい一杯になるだろう」
――その瞬間、雷に打たれたみたいに脳が弾けた。
「それって! チューハイじゃん!!」
立ち上がって叫んだわたしに、クラリスとミスティアはそろって首を傾げる。
「ちゅー……はい?」
「伊吹さん、また意味不明な言葉を……」
「いやいやいや! 革命なんだって! 果汁で割って飲むんだよ! さっぱり爽やかで、お酒が苦手な人でもゴクゴクいける! 飲みやすさと酔いやすさの両立、それが――チューハイ!」
身振り手振りを交えて力説するわたし。
「……伊吹が嬉しそうに説明すると、余計に怪しい飲み物に聞こえるわね」
クラリスが呆れ顔でため息をつく。
「待て。ひとつ問題がある」
ノアが言葉を挟む。
「その“チューハイ”とやらに必要なのは……もしかして焼酎か?」
「おっ、さすがノア! わかってるじゃん!」
わたしは勢いよく頷いた。
「だが、この国で焼酎は一般的ではない。蒸留酒は高価だし、種類も限られる」
「……つまり、探すのが大変ってこと?」
クラリスが額に手を当てる。
「また面倒ごとが始まりそうね……」
「でも理論上は可能です」
ミスティアが杖のようにスプーンを立て、真剣な顔で言った。
「果汁+炭酸+強酒。組み合わせとしては合理的です」
「おー、やっぱり! ミスティアは話が早い!」
「私、関わりたくないんだけど」
クラリスは完全に諦め顔だ。
けれど口元はわずかに緩んでいた。
――酒と料理の究極の組み合わせ。
幻果の実と焼酎と炭酸。
その三つが揃えば、この異世界で“チューハイ”を再現できる。
胸が熱くなる。
「よし、決まり!」
わたしは拳を突き上げる。
「次の目標は焼酎探しだ! 異世界チューハイ、絶対作ってみせる!」
「はぁ……やっぱりそうなるのね」
「……まぁ、果汁を無駄にしない手段としては悪くありません」
クラリスとミスティアが揃って頷いた。
そしてノアは、相変わらず表情を変えないまま一言。
「おまえが暴走しないなら、協力してやる」
「暴走? わたしが? するわけないじゃん!」
「今のセリフが一番信用できない」
三人の視線が冷ややかに突き刺さり、わたしは思わず口を閉ざした。
けれど――心臓はもう高鳴っている。
新しいお酒、新しい冒険。その入口に、もう立ってしまった。




