虹果の実・二日酔い地獄
――翌朝。
泡鳴区の拠点に、嵐より恐ろしい惨状が訪れていた。
窓から差し込む朝日は、もはや爆撃。
鳥のさえずりは金属をこすり合わせる拷問音。
外を通る荷車の車輪は、地震級の轟音。
「……ぅおぇぇ……死ぬ……」
床に転がるわたしの顔は、すでに死人。
胃がねじれるたび、木桶に顔を突っ込んでは盛大に吐き戻す。
吐きながら涙と涎が混ざり、床板までひどいことになっていた。
「伊吹……声……でかい……」
ソファに沈み込むクラリスが、虚ろな目で呻く。
お母さん役のはずが、今日はただの屍だ。
髪は乱れ、毛布にくるまり、微動だにしない。
「……頭に、鐘が鳴ってる……ゴーンゴーンって……もうやめて……」
その横ではミスティアが床にぺたんと座り込み、額に手を当ててぶつぶつ呟いていた。
「……これは……二日酔いの症状……めまい、吐き気、幻覚……いや、幻覚? え、あの小人……現実?……」
指差す先には何もない。
幻果の実――あの禁断の果実の副作用。
普通の酒とは比べものにならない“幻酔”の余波だった。
「おい」
落ち着いた声がリビングに響いた。
ノア・フィグリエ。無愛想な料理人が、冷たい水を入れた桶を片手に立っていた。
「……全員、完全にクズだな」
その一言に、三人同時に呻き声。
「ノアぁ……助けて……」
「水……持ってきて……」
「……炭酸を……少しでいいから……」
ノアは深いため息をつき、無言でタオルを冷水に浸すと、まずクラリスの額に乗せた。
「……っ、冷たい……気持ちいい……」
「甘ったれるな。剣士だろ」
次に、ミスティアの前に桶を置く。
「吐くならここにしろ。床でやるな」
「……あ、ありがとうございます……」
「礼はいらん。手間だからだ」
最後にわたしに近づき――鼻をつまんだ。
「酒臭ぇ。吐いた後に水で口をゆすげ。床が腐る」
「うぐっ……ひどい扱い……」
「自業自得だ」
ノアは顔をしかめながらも、淡々と世話を続けた。
クラリスの水分補給、ミスティアの幻覚対処(無理やり寝かせた)、わたしの桶交換。
「……どうしてノアだけ平気なんだよ……」
わたしが涙目で問いかけると、ノアは肩をすくめた。
「私は飲んでないからな」
「ずるい……!」
「馬鹿か。料理人は食わせる側だ」
ぐうの音も出なかった。
昼を過ぎても症状は続いた。
わたしは吐き気と頭痛で動けず、クラリスはソファで呻き続け、ミスティアは寝言で「……炭酸……希釈率三十……」と謎の研究を続けていた。
「まさかここまでとはな」
ノアは呆れながらも、湯を沸かし、薄い粥を用意する。
匙で口に運ばれると、不思議なほど楽になった。
「……ノア……神か……」
「悪魔だ。勘違いするな」
淡々としたその言葉に、また吹き出しそうになる。だが吐き気で笑えない。
こうして――わたしたちは、幻級の二日酔いを味わい尽くした。
そしてノアは、無愛想な顔で三人を看病し続けていた。




