蒼森の幻影⑤ ―幻果の晩餐―
泡鳴区の拠点に戻った夕暮れ。
わたしは大事に抱えてきた荷袋をテーブルに置いた。中から布に包まれた球体をそっと取り出すと、淡い蒼光が部屋を満たす。
「……本当に持って帰ってきたのか」
ノア・フィグリエは腕を組み、驚いた声で言った。
無愛想な顔にも、わずかに驚きが混じっている。
「森が守ってた果実なんて、普通は口にできない。お前ら、物好きだな」
「伊吹が“絶対取る”って聞かなくて」
クラリスが苦笑し、わたしは胸を張る。
「当たり前だ。これで究極の料理と酒を作るんだ。諦められるかっての」
ノアはわずかに目を細め、果実を手に取った。
光を浴びて透き通る皮、指先に伝わる不思議な温もり。
「…… 虹果の実。噂以上だな」
「見たことのあるの?」
「名だけな。実物は初めてだ」
ノアは短く言うと、すぐに調理台へ向かった。
包丁を手にした途端、その表情は職人そのものに変わる。
皮を一筋切り込むと――
――ふわり、と甘酸っぱい香りが拡散した。
「うっ……! なにこれ、鼻から酔いそう!」
わたしは思わずよろめき、クラリスが慌てて窓を開けた。
「香気が強すぎる……空気が果実酒みたい」
「これは……炭酸ではなく、天然の発酵香気……!」
ミスティアが瞳を輝かせ、学者のように分析する。
果肉は澄んだ虹色で、切り口から滴る汁はほのかに泡立っていた。
ノアは鼻をしかめながらも、無駄のない手つきで果実を処理していく。
「……まずは煮詰めてソースに。次に肉と合わせる」
彼女の指示で、私たちは慌てて準備に走った。
クラリスが鍋を温め、ミスティアが香草を刻む。
やがて鍋から立ち昇るのは――ただの料理ではない。
森の精霊が踊るような、甘やかで、しかし鋭い刺激の香り。
「……ノア、これ本当に食えるの?」
「食えなきゃ料理人の腕が廃る」
短く言い放ち、鉄板の上に肉を置く。
じゅうう、と脂が弾け、幻果ソースが絡む。
瞬間、部屋いっぱいに“酒宴の幻影”みたいな香りが広がった。
「やっば……これ嗅いだだけでワイン欲しくなる……!」
「伊吹、我慢しなさい!」
クラリスに睨まれ、わたしは肩をすくめる。
瓢箪から酒は出さない、あくまで異世界の市販酒。――まあ、まずいんだけど。
ノアが皿を差し出した。
肉の表面は香ばしく、ソースの虹色が艶めき、香草が彩りを添えている。
「食え」
一口噛んだ瞬間――。
果実の甘みと酸味が爆ぜ、肉の旨味をまるごと包み込んだ。
芳醇なのにくどくない、むしろ口の中が軽やかになる。
「……なにこれ、反則!」
思わずテーブルを叩いた。
「……本当にすごい」
クラリスが目を潤ませながら小さく笑う。
「舌で感動する」
「発酵香気が……肉を分解して旨味を強調しています……!」
ミスティアは夢中で分析していたが、表情は幸せそうだ。
ノアは腕を組んで、短く言う。
「……まあまあだな」
全員、思わず吹き出した。
食事が進むごとに、幻果の存在感はますます強まった。
焼き物、煮込み、果実そのままのデザート。
どれも酒を欲さずにいられない。
「……っ、やっぱりダメだ! 酒持ってこい!」
わたしは市場で買った瓶を取り出す。
中身は地元の蒸留酒――口に含んだ瞬間、喉が燃えるような辛さ。
「……やっぱり、まずい」
「伊吹……」
クラリスは呆れたが、ノアは無言で杯を受け取った。
一方ミスティアは炭酸水を用意し、蒸留酒と果実の汁を混ぜ合わせる。
しゅわしゅわと黄金の泡が立ち昇る。
「これが……幻果ハイボールです」
ひと口――。
強烈なアルコールが炭酸で和らぎ、果実の甘酸っぱさが弾ける。
驚くほど飲みやすい。
「っはぁ……これ、危険だ……!」
「伊吹、顔真っ赤よ」
「でも……止まらん!」
笑い声と杯の音が交わる。
料理と酒と幻の果実。
わたしたち《酔いどれ旅団》にとって、最高の夜だった。
そのまま度を越えて飲み続け――。
翌日に待ち受ける“幻級の二日酔い”を、誰もまだ想像していなかった。




