ノアさんちの夕餉
泡鳴区の拠点に戻ったわたしたちは、リビングの大きなテーブルに腰を下ろしていた。
キッチンにはノア。白いエプロンを翻し、火加減を魔法で操りながら包丁を動かしている。
「……落ち着け。もう少しで出来る」
相変わらずの無愛想ぶり。
でも漂ってくる香りは、わたしたちの胃袋を完全に支配していた。
「ノアの料理って、香りの時点でご飯三杯はいけるんだよな……」
「伊吹、まだ一口も食べてないから」
クラリスがツッコむ。
「……でも、確かに匂いだけで美味しいです」
ミスティアはすでに目がとろんと半分夢見心地だった。
ほどなくして――。
「できた」
ノアが盆を持って現れる。
テーブルに並んだのは――
・鹿肉のロースト:表面は香ばしく、中はほんのり赤みを残した絶妙な焼き加減。
・山芋と香草のグラタン:こんがり焼けたチーズがぷつぷつ音を立て、スプーンを入れると白い湯気があふれる。
・川魚のハーブ焼き:皮はパリッと、香草とレモンに似た果実で香り付け。
・石窯パン:外はカリッ、中はふんわり。焼き立てでまだ熱い。
「……っはぁああ! これこれこれぇ!」
「伊吹、声とよだれが大きい!」
「……本当に美味しそう」
三人揃って箸を取った。
まず鹿肉を口に運ぶ。
――じゅわっ。
歯を入れた瞬間、肉汁が弾け、香草の香りがふわりと鼻を抜ける。
肉の甘みと香ばしい焦げ目のバランスが完璧で、噛むごとに旨味が広がる。
「うっま……! これ、もう酒が欲しいやつだ」
「顔が酔ってるわよ」
「料理だけで酔える……これは新しいですね」
続いてグラタン。
スプーンですくえば、糸を引くチーズの下から熱々の山芋が現れる。
ホクホクの食感と香草の爽やかさが混ざり合い、口の中で小さな祝祭が起きた。
「……これ、飲まずにはいられない」
わたしは机の端に置かれていた異世界酒の瓶を掴んだ。
黄金色の液体をジョッキに注ぐ。泡が立ち上り、見た目だけは最高。
「かんぱーい!」
三人で声を合わせて飲み干す――。
……次の瞬間。
「ぐぇ……! 相変わらず薄いのに苦ぇ!」
「女の子の顔じゃない……!」
クラリスも眉をひそめてジョッキを置く。
「……薬草の煮汁に似てますね。苦みと酸味が喧嘩していて……」
ミスティアも淡々と毒舌を吐いた。
ノアは腕を組んでこちらを見下ろし、鼻で笑った。
「……こっちの酒はだいたいこんなものだ」
「でもなぁ……料理が美味すぎるから、逆に酒のマズさが際立つんだよな」
「飲む量は控えてよ」
「無理! この肉にこのパン、酒なしじゃ無礼だろ!」
まずい酒に顔を歪めながらも、料理に舌鼓を打ち、次のひと口を求める。
結局わたしたちはジョッキを何杯も空け、ノアの料理を平らげた。
「……やっぱり、ノアの飯は最高だ」
「ふん。当たり前だ」
そう言いながら、ノアは皿を片付けていく。
相変わらず無駄がなく、けれどどこか満足げにも見えた。
その夜。
美味い料理とまずい酒に囲まれ、笑い声が拠点に響いた。




