偶然の再会、必然の宴
泡鳴区の市場は今日も喧噪に満ちていた。
肉を吊るす屋台からは滴る肉汁の匂い、焼き立てのパン屋からは小麦の香ばしい匂い、香辛料の店からは鼻を突くような刺激臭――胃袋を正面から殴ってくるラインナップだ。
「伊吹、よだれ出てる」
「……へ? あ、やべ」
クラリスの冷ややかな声に、私は慌てて口元を拭った。
でも、しょうがないだろ。
ここは腹も酒も刺激してくる魔のゾーンなんだ。
「……市場って、情報も集まるんですよね。食材の流通や価格は冒険者の依頼にも影響します」
「さすがミスティア。わたしは胃袋でしか考えてなかった」
そんな会話をしていた時だった。
「――その鱗茸は、もう少し火を入れた方が香りが立つ」
聞き覚えのある、少し不愛想に聞こえるお嬢様めいた声。
振り向くと、そこにいたのはスラリとした背中。銀髪のショートボブの少女。
白いエプロンと黒のドレス、手には食材の籠。
「ノア……!」
思わず声が漏れた。
彼女も私たちに気づき、ぱちりと瞬く。
「――伊吹、クラリス、ミスティア。まさかこんな場所で」
佇む仕草には、かつての貴族としての品が残っている。
けれど、その腕に抱えた山盛りの野菜や魚が「今は料理人です」と主張していた。
「ひさしぶりー! いやぁ、元気そうでなにより。市場でエプロン姿って……完全に料理人だな」
「……料理人だよ」
「ノアっち」
「……」
「……伊吹さん」
「クラリス、いまの見た? わたしの呼び方、スルーした」
「そりゃそうでしょ。完全に失礼だもの」
クラリスが呆れ顔。ノアは苦笑して肩をすくめた。
「でも……再会できるとは。市場に足を運ぶのは久しぶりだったから」
「え、じゃあ偶然?」
「偶然だ。珍しい茸と果実を求めてきた。ここで、幻のように扱われる食材が手に入ると噂があったから」
彼女が籠の中身を少し見せてくれる。
紫色の殻に覆われた果実、黄金色の茸、そして小瓶に入った香草の粉。
「うっわ……これ絶対酒に合うやつ」
「伊吹、まだ見ただけでしょ」
「でも絶対合う!」
「……私もそう思います」
ミスティアまで同意してくれて、思わずハイタッチしそうになる。
「ノア、その食材……どうやって料理するんの?」
「……茸はバターで軽く炒め、白ワインで香りを閉じ込めて。果実は肉料理のソースに――」
説明を始めるノアの目は、かつての気品を失わず、それでいて料理人としての情熱で輝いていた。
そのギャップがなんだか面白くて、私はにやけてしまう。
「いいねぇ! じゃあ今夜うちの拠点で腕前を披露してよ。酒はわたしが出す!」
「ちょっと、伊吹……勝手に」
「いいじゃんクラリス! うちの冷蔵庫にはビールもワインもある。ノアの料理とペアリング……最高じゃん?」
「……そういう言い方だけは正しいのが、余計に腹立つわね」
クラリスが渋々ながら頷く。
ノアは一瞬だけ困ったように視線を泳がせ、それからふっと笑みを見せた。
「……たまにはいいか。せっかくの再会だから。私の料理と、伊吹の“酒の力”、どちらが人を酔わせられるか――勝負といこうか」
「の、ノアさん……勝負事にする必要は……」
ミスティアが小声で慌てていたが、私はもう大喜びだ。
「うおおおっ! 受けて立つ! 今日の晩酌は宴だぁぁぁ!!」
市場の人だかりの中、思わぬ形で新しい宴の幕が開いた。




