伝承酒の翌朝 ――伝説の二日酔い
――翌朝。
泡鳴区の拠点に、かつてない地獄が訪れていた。
窓から差し込む光はナイフ。鳥のさえずりは爆音。外を通る荷馬車の軋み音は雷鳴。
「……っぐぅぅ……死ぬ……ほんとに死ぬ……!」
床に転がった私は、桶に顔を突っ込んだまま呻く。
「げろろろろろ……!」
胃の底から湧き上がるのは、昨夜飲んだ“伝承酒”。
まるで琥珀色の精霊がまだ中で暴れているみたいに、体の内側を焼いていた。
「……伊吹、声……響く……」
ソファに沈み込んだクラリスが、毛布をかぶって呻いた。
「もう……勝手に死なないで……動くと吐き気が伝染するから……」
お母さん役どころか、完全に投げやり。
吐き気で顔色は死人そのもの。
「……伝承酒……やはり……常人が扱うべきでは……なかった……」
テーブルの下で転がるミスティアが、手を伸ばして炭酸水の瓶を掴む。
「……炭酸で……アルコールを……中和……」
ごくりと飲み込んだ次の瞬間、
「……っひゅっ……胃が、崩壊……!」
彼女は床に倒れ、杖を抱いたまま沈黙した。研究者魂もここまで。
リビングは酒臭と吐瀉の残り香が混ざり、まるで“悪酔いモンスターの巣窟”。
桶を抱えた私、ソファで力尽きるクラリス、床に沈んだミスティア――三人まとめて伝承酒に完敗だった。
「……まだ見える……琥珀色の精霊が……おかわり持ってきた……」
私は幻覚に手を伸ばし、空気を掴んで桶に頭を突っ込む。
「伊吹、やめて……幻覚に話しかけるな……頭に響く……」
クラリスの声も、もうツッコミというより弱々しい呻き。
「……私の視界にも……泡が浮いてます……これは幻覚でしょうか……?」
ミスティアはぼんやり空を見つめ、手を伸ばしては力尽きる。
そんな時、ドアがノックされた。
「冒険者ギルドの者ですが、新依頼の確認に――」
「やめろぉぉ! 入るなぁぁ!」
私が叫んだ瞬間、ドアが開く。
「ひっ……!?」
ギルド職員は目を疑っただろう。
床に倒れる私、ソファで呻くクラリス、テーブル下で昏睡するミスティア。
部屋には酒臭と呻き声と桶の音。
「も、モンスターの巣窟……!? 失礼しましたぁぁ!」
職員は悲鳴を上げて逃げていった。
夕暮れ。
赤い光が差し込む頃、ようやく少しだけ意識が戻った。
「……まだ、生きてる?」
クラリスがかすれ声で問う。
「……生きてる……でも、もう一回飲むなら……殺して……」
私が手を伸ばすと、ミスティアも弱々しくその手に触れた。
三人の手が重なる。
全員ボロボロ、それでも少しだけ笑みが漏れた。
「……これで“酔いどれ旅団”とか……名乗れるよね……」
「……むしろ伝説よ……」
「二日酔いすら……伝承級ですから……」
笑いとも溜息ともつかぬ声が、リビングに広がった。
――こうして私たちは、伝承酒を飲んだ翌日、異世界最高の“伝承級二日酔い”を経験したのだった。




