伝承酒、祝杯の夜
泡鳴神殿から持ち帰った樽は、我が《酔いどれ旅団》の新拠点リビングに、どんと鎮座していた。
樽から放たれる芳香はすでに部屋中を満たしていて、嗅ぐだけで喉が熱くなるほど。
琥珀色の空気を吸い込むたび、心臓がドクンと脈打った。
「……ついに、この時が来たぁぁぁ!」
私はテーブルに片足を乗せ、杯を掲げて叫ぶ。
「伊吹、落ち着いて。まだ栓も抜いてない」
クラリスが冷ややかに眉をひそめる。
「むしろもう酔ってませんか……?」
ミスティアが心配そうに首を傾げる。
「違う! これは酒気に酔ってるんだ! 雰囲気で酔える、それにさっき飲んだし」
私の胸を張る発言に、クラリスのため息が部屋を揺らした。
木槌で樽の栓を叩き抜いた瞬間、ぶわりと甘くスモーキーな香りが広間を支配した。
炭火を焚いたような煙の匂いと、麦芽の濃い甘さが溶け合って――これぞウイスキー。
「……なにこれ、香りだけで頭がくらくらする」
クラリスが思わず息を呑む。
「揮発するアルコール濃度……明らかに高いです。危険です」
ミスティアが真顔で分析する。
「危険で美味い! 最高じゃん!」
私は杯に注ぎ、琥珀の液体を高々と掲げる。
「乾杯だぁぁぁ!!」
「はいはい……乾杯」
「……乾杯、ですね」
三人の杯がかちりと音を立てた。
まずは私。豪快にぐいっと。
「っぐおぉぉぉッッ! 喉が燃えるっ!! でも甘いっ! そして煙ぇぇ!」
私は床を転がり、じたばたと両手両足をばたつかせた。
「伊吹、実況うるさい」
「……でも、なんか伝わりますね」
クラリスとミスティアが同時に呆れ顔を向けてきた。
続いてクラリス。恐る恐る杯を口に運び――。
「……ッ! これは……強い。でも、層になった香りが……鼻から抜ける……! 複雑で、深い……」
真っ赤になった顔で呟くその姿に、私は親指を立てた。
「ほらね! 美味いだろ! 生きてるって感じだろ!」
「いや、明日絶対後悔するやつよ……」
最後はミスティア。
彼女は伝承酒に、シュワッと炭酸を注ぎ入れた。
「強すぎますから、こうして割るのが合理的です。“ハイボール”と呼ぶのでしょう?」
ごくりと飲んで、柔らかく微笑んだ。
「……うん。爽やかに香りが立ちます。甘みと煙がほどよく薄まって……飲みやすいです」
「ちょ、裏切りじゃない!? 始めはストレートで飲めぇ!」
「伊吹、度数を考えなさい。私たち人間だから」
「わ、わたしも人間だし……!」
気づけば、杯は何度も満たされていた。
テーブルには炙った鹿肉、石窯パン、果実の盛り合わせが並び、私たちは笑い声を重ねながら、杯を掲げ続ける。
「かんぱーい!! 何回目かもうわからん!」
「……数えるのやめたのはあなたでしょ」
「ふふ……伊吹さんのテンション、嫌いじゃありません」
鹿肉をかじりながら一口。
パンにバターを塗って一口。
ウイスキーを流し込んで一口。
口の中が絶え間なく新しい組み合わせで満たされ、全身が宴そのものになっていた。
「うわぁぁ……肉の脂と煙が喧嘩して、勝手に仲直りして、最高……!」
「伊吹、例えが酔ってる」
「……でも、美味しい……」
ミスティアがぽつりと漏らす。
やがてクラリスまでが豪快に杯を傾け始めた。
「……はぁ。もう止めても無駄ね。飲むわよ」
「やっとわかってくれたかぁ!」
「じゃあ、乾杯です」
三人の笑い声がリビングに響き渡り、伝承酒の香りが夜を満たしていく。
「ねぇ……」
私は床に寝転び、杯を頭上に掲げた。
「こうしてさ、三人で……同じ酒を飲めるって、最高だよね。悲願が叶った感じ」
クラリスが隣で頷く。
「そうね。味だけじゃない……一緒にいるから、もっと美味しいのよ」
ミスティアも、赤い頬で微笑んだ。
「……だから、これは……ただの酒じゃありませんね。私たちの“記憶”です」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「……もう一杯」
「えっ、まだ飲むの?」
「ミスティア、さっきから飲み足りなさそうな顔してる」
「否定はしません」
笑い声と杯の音が、夜更けまで途切れることはなかった。




