準備編 ― 琥珀を呑む覚悟
泡鳴神殿から戻って二日。
ようやく二日酔いも抜け、私たちは拠点のリビングでひと息ついていた。
テーブルの上には市場で仕入れた果実、パン、総菜。戦いの疲労を癒すというよりは――次の“勝負”に備えるための準備会議だった。
「……それで、伊吹。本気なのね」
クラリスが腕を組み、まっすぐ私を見据える。
「もちろんだよ。あの“琥珀色の光”を見たときから、ずっと喉が鳴ってる。絶対に飲む」
「はぁ……そういう直感で動くの、ほんと怖いのよ」
ため息をつきつつも、彼女の声に棘はなかった。
むしろ半分あきれて、半分は諦めているような。
「ですが……飲むとして、どう扱うかが問題です」
ミスティアが杖ではなく、湯気の立つ炭酸ティーを持ちながら口を開いた。
「伝承級のお酒です。普通の酒と同じ感覚で飲めば、三人とも再び二日酔いどころか命を落としかねません」
「え、そんなにヤバいの?」
「ええ。香りだけで“気を失う”可能性すらあります」
「それは……飲み過ぎた次の日の私と同じだな」
「伊吹、それは比喩じゃなくて事実よ」
クラリスの鋭いツッコミが飛んでくる。
私は気を取り直して、《酔楽の酒葬》を撫でる。
「だからこそ! 銘柄別の“酒バフ”をちゃんと整理して、どう組み合わせるか考えなきゃ」
「まずは――ほら、この“銀色のラベル”のやつ。これはもう定番。《俊敏上昇・スプリントフォーム》」
「伊吹、走り回って壁にぶつかったやつね」
「言わないで! でもまあ、一番安定感ある」
「赤い玉は、《力上昇・クリムゾンフォーム》でしたね」
ミスティアがメモを取るように指を動かす。
「力はすごいですけど、反動も大きかったです。伊吹さん、最後は顔が赤すぎて本当に倒れるかと」
「いやぁ、あれは美味かったなぁ……」
「褒めてないから」
クラリスの冷たい声が刺さる。
「プレミアムなやつは、《微回復・ヒールフォーム》」
「便利よね。戦闘中に小回復があるのは安心できる」
「でも飲みすぎると逆に体重くなるんだよな……」
「当たり前よ」
「あと、この黒いやつ。《剛力上昇・スタウトフォーム》」
「殴るだけで床抜けそうになった伊吹さんのアレですね」
「おかげで修理代が……」
クラリスが頭を押さえる。
「いや、あれは“ついうっかり”で……」
こうして一つ一つ思い出していくと、確かに色んなパターンが揃ってきた。
でも――。
「問題は、どのバフを合わせれば、あの“秘蔵酒”に対抗できるかだよな」
「私は、ヒールフォームと組み合わせるのがいいと思うわ」
クラリスが真面目な顔で言う。
「どんなに強くても、最後に立っていられなきゃ意味ないでしょ」
「私は……トラピスト系が気になりますね」
ミスティアが小さく笑う。
「魔力上昇。私の魔法と相性がいい。伊吹さんと合わせれば、新しい連携も作れるはず」
「で、伊吹は?」
「そりゃ――全部飲むしかないだろ!」
「「はぁぁぁぁ!?」」
二人の声が完全にハモった。
「いやいや、順番に試して組み合わせて……!」
「伊吹、酔い潰れるのが目に見えてるんだけど」
「うっ……」
クラリスに冷たい目で睨まれ、私は思わず視線を逸らす。
「……でもさ」
私は少し真面目な声で言った。
「あの琥珀色の光を見たとき、思ったんだ。ここまで来たのは偶然じゃなくて、必然なんだって」
「伊吹……」
「だから、絶対に一緒に飲もう。どんな味だろうが、どんな危険だろうが、三人で」
静かな沈黙のあと。
クラリスが深く息を吐いて、差し出した手のひらに力を込めた。
「……バカね。でも、いいわ。やるなら最後まで付き合う」
「私もです」
ミスティアが静かに重ねる。
三人の手が重なった。
「じゃあ――次は奥だ。伝承級の一杯に、乾杯しに行こう!」
「伊吹、もう乾杯って言ってるのが酔ってる」
「でも……らしいですね」
笑い声が、拠点のリビングに広がった。
その夜は、ただの酒宴よりもずっと甘く、ずっと熱い期待で満たされていた。




