泡鳴神殿・最奥への導き
――静寂。
琥珀の巨人が消え去ったあとの神殿には、ただ酒気の余韻と、ぱちぱちと弾ける泡の音だけが残っていた。
肩で息をするわたしたち三人は、しばし無言だった。
足は重い。酒気に当てられた体は、まだふらついている。
それでも――その奥で揺らめく光が、視線を強く引きつけて離さなかった。
「……ねぇ、見える?」
わたしが息を整えながら呟く。
「ええ……霧が晴れたのに、あそこだけ……」
クラリスが剣を納めず、じっと目を凝らした。
崩れた石壁の隙間、その向こうに――
淡く揺れる琥珀色の光が、たしかに“湧き出して”いた。
「お酒の匂いが……します」
ミスティアが杖を支えに立ち上がる。
その瞳はいつもの冷静さを取り戻しつつも、微かな興奮を宿していた。
「でも、これは……バカリュウスのものではありません」
「じゃあ……なんだろう?」
問いかけに、ミスティアは首を振るだけだった。
わからない。けれど、ただならぬものだという確信だけが胸に広がる。
わたしたちは顔を見合わせる。
クラリスはため息をひとつつき、渋々といった表情をした。
「……行くんでしょ、どうせ」
「もちろん!」
わたしは即答する。
「伊吹、少しは慎重に――」
「慎重に行くって! ただ……ほら、心臓がさ……あれを見た瞬間からドクドク鳴ってるんだ」
それは酔いの鼓動とも、戦いの興奮とも違う。
もっと深いところから突き上げてくる、抗えない衝動。
「……伝承にある“秘蔵酒”かもしれません」
ミスティアが、かすかに震えた声で呟いた。
「記録では曖昧ですが……古代に、酒神が眠らせたお酒が存在すると……」
「ははっ……やっぱりそういうやつか!」
わたしは笑い、《酔鬼ノ号哭》を担ぎ直す。
「伊吹、まだ何も確かめてないのに決めつけないの」
クラリスが呆れ顔を見せるが、その手は剣の柄をしっかりと握りしめていた。
「……ただのお酒じゃないです。もし伝承どおりなら……」
ミスティアは言葉を濁す。
だがその瞳は奥の光から逸れなかった。
――石壁を乗り越え、わたしたちは奥へと進む。
崩れた階段を下りるたびに、空気はさらに濃くなる。
酒気というよりは、神気。
肺の奥に甘やかな熱がまとわりつき、血管の中まで酔わせてくるようだった。
「……っ、気を抜くと足がふらつく」
「もう飲んでるみたいな感覚ですね……」
やがて、地下の広間に辿り着いた。
そこはまるで酒樽の中に迷い込んだかのように、壁が琥珀色に輝き、床には液体のような光が揺れていた。
その中央――。
古びた石台に、ひとつの封じられた容器が置かれていた。
琥珀色の光はそこから漏れ出している。
厚い封蝋と鎖で幾重にも縛られ、それでもなお空気を満たすほどの香りを放っていた。
「……これが……」
クラリスが呟く。
「酒神が遺した……秘蔵酒……?」
ミスティアの声は震えていた。
わたしは無意識に喉を鳴らしていた。
渇いている。乾いている。
この光、この匂い、この存在を、喉に流し込みたい。
だが――。
その瞬間、石台の周囲に刻まれていた文様が淡く光を放ち始めた。
重い空気が、さらに重くなる。
琥珀色の光が揺らぎ、まるでこちらを拒むかのように波打った。
「……やっぱり、ただのお酒じゃなかったか」
わたしは口角を上げる。
「飲むためには、もうひと勝負ってことだね」
三人の影が、琥珀色の光に浮かび上がった。
次なる試練が、静かに幕を開けようとしていた。




