泡鳴の渦、酩酊の彼方へ ― 開戦
地下神殿の奥。
崩れかけた柱の隙間から、黒紫の霧が泡立つように溢れ出していた。
その中心で――“それ”が息をしていた。
「……あれは、酩酊竜バカリュウス」
ミスティアが杖を握り直す。
炭酸の気泡が杖先でぱちぱちと弾けた。
竜の形をしてはいるが、輪郭は曖昧。
鱗は液状の酒気で濡れ、蠢くたびに霧が滴る。
瞳の代わりに、盃のような孔が二つ。
口を開けば炎ではなく、酩酊の蒸気が漏れる。
「強酒の気……空気そのものが酔ってる」
クラリスが眉をひそめる。フェリシアを抜いた瞬間、刃がわずかに震えた。
「伊吹、気を引き締めて。普通の戦い方じゃ持たない」
「任せて。こういう酔い勝負は、むしろ得意分野だ!」
――次の瞬間。
バカリュウスが吐き出したのは、炎ではなく“酒の息吹”だった。
「来ますッ! 《泡沫魔法・零式:エアボム》!」
ミスティアの泡が炸裂し、正面の酒霧を吹き飛ばす。
だが、すぐに別の方向から“ブレス”が噴き出した。濃密なアルコール蒸気が、肺に刺さる。
「ぐっ……! 体が……ふらつく……」
クラリスの剣筋が一瞬乱れる。
切っ先が岩壁を削り、澄んだ音が濁音に変わる。
「幻覚まで見えてきた……! 私の瓢箪が三つあるんだけど!?」
「冷静にッ!」
クラリスが必死に剣を振るい、酒気を裂く。
だが動きが鈍っている。
その時、私は背中の《酔鬼ノ号哭》を握りしめ、腰の瓢箪を開いた。
どろりと赤い液体が流れ出す。甘く、濃く――古めかしい葡萄の香り。
「赤い玉……これで行く!」
一口あおった瞬間、甘美な熱が喉を焼き、血流が跳ね上がった。
「《力上昇・クリムゾンフォーム》ッ!」
筋肉がうねり、金棒の重さが消える。
私は酔気を押し返すように踏み込み、正面から一撃。
「おりゃあああッ! 《酒技・酔乱槌》!」
轟音。
酩酊の霧を纏った竜の鱗が、金棒に打たれて弾け飛ぶ。酒気の泡が宙に散った。
「……まだだ!」
バカリュウスが咆哮し、霧の濁流が襲いかかる。
視界がゆがみ、耳元で酔客の笑い声の幻聴が響いた。
「ッ……頭が……!」
「クラリスさん!」
ミスティアが叫ぶ。
「《泡沫魔法・滑層:スリップフォーム》!」
床を覆う炭酸泡が、霧の進撃を一瞬止める。
「助かった! なら――」
クラリスが剣を振りかぶり、集中の一閃。
「《閃律剣・クロッカ》!」
フェリシアの刃が鐘の音のような響きを放ち、澄んだ衝撃波が霧を切り裂く。
酒気が揺らぎ、竜の鱗が剥がれた。
「伊吹!いま!!」
「任されたぁッ!!」
私はさらに酒気を吸い込む――だが、その時だった。
全身が逆に“静まる”感覚。
熱が引き、頭が澄み渡る。血の巡りが冷たく、鋭くなる。
「……なんだこれ。冷静になってる……?」
「まさか……逆酔い!?」
ミスティアの声が震える。
「よくわからないけど――仕留める!」
私は酒気を金棒に集中させ、地を蹴った。
「《酒技・酔酩爆裂》ッ!!」
渾身の一撃が竜の胸を打ち抜く。
内側に逆流した酒気が爆ぜ、酩酊竜が叫び声をあげてのたうった。
クラリスとミスティアの追撃が重なり、バカリュウスの巨体が崩れ落ちる。
酒気の嵐が一気に消え、神殿の空気が澄んでいった。




