酒気、霧を裂く――その先に《中編:開戦》
――空気が、震えた。
静寂を破ったのは、ぬるりとした重低音だった。あの黒い霧の塊が、こちらへ“にじり寄る”ように広がり始めたのだ。
「……動き出した。クラリス、右から!」
「任せて!」
クラリスが一気に踏み込み、《閃律剣・フェリシア》を振る。剣が走るたび、空気が鋭く震え、霧が弾かれる。だが親玉は質量の塊のように蠢くだけで、明確な“急所”が見当たらない。
「ミスティア、後ろから広範囲にお願い!」
「了解しました。《泡沫魔法・零式:エアボム》」
炭酸の膜が展開され、視界を確保した途端――霧魔獣の“腕のようなもの”が、鋭くミスティアへ突き出された。
「ミスティア、伏せて!」
私は咄嗟に叫びながら、腰の瓢箪を開く。
「《酒技・酔気噴射》!」
霧状の酒を霧魔獣の“腕”に吹きかける。じゅっ、と音を立てて泡立ち、腕が跳ね返る。
「効いてる! ……削れてる!」
私は瓢箪を強くつかむ。
――これは私の命綱、《酔楽の酒葬》。
中身は、私だけが扱える特別な酒。飲めば力になる。敵にかければ毒にもなる。
「……ちょっと、酔ってくるわ」
私は栓を外し、ぐいとひと口あおる。
喉を通った瞬間、身体中に熱が走る。心拍が跳ね上がり、視界が冴える。
「《俊敏上昇・スプリントフォーム》――発動っと!」
脚が軽くなる。呼吸のテンポも、心臓の鼓動も、全部が加速した気がした。
地面を蹴って――
「おりゃあああああああ!!」
私は駆ける。霧魔獣の巨体へ一直線。
背中の金棒――《酔鬼ノ号哭》を抜き放つ。
ごつりと鉄の音を立てて、両手で握りしめた。
「私のお酒、舐めんなよ――!」
振りかぶり、渾身の一撃。
「《酒技・酔乱槌》ッ!!」
ドォンッ!!
霧の親玉の脇腹へ金棒が炸裂。ねっとりとした体躯が凹み、内部の泡が破裂するような音が響いた。
「やっぱ《号哭》は気持ちいいな……」
っははっ、テンション上がってきたじゃん……最高ッ!
――やば、ちょっと酔いすぎたかも。
「伊吹、戻って! 霧が――!」
霧の親玉はその巨体を再構築しながら、今度は全方位に粘液を撒き散らす。
「防御します!」
「《泡沫魔法・防膜:ソーダシェル》!」
ミスティアの展開した炭酸膜が、私たちを粘液から守る。しかし一撃の衝撃で、膜が大きく揺らいだ。
「伊吹、もう一発いける!?」
「いけるよ! 酒がある限り!!」
私は最後の一撃に向け、口角を上げる。
「足止めします。展開――《泡沫魔法・滑層:スリップフォーム》!」
泡が地面を走り、霧魔獣の足場を奪う。体勢を崩したその瞬間。
「追撃します。《泡沫魔法・穿突:スパークリングスピア》!」
杖から放たれた炭酸の槍が、高圧の泡圧で一直線に貫く。
「伊吹、いま!」
「《酒技・烈酒爆破》ッ!!」
アルコールを爆発的に噴出させる一撃。クラリスがその後を追うように斬撃を放つ。
「《閃律剣・セレスタ》!」
回転する斬撃の波動が合わさる。
酒と刃と炭酸――三つの攻撃が交差するように、霧の親玉へと突き刺さる。
黒い霧が音もなく崩れ、重く沈むように地面へと溶けていく。
――静寂が戻った。
「……終わった、の?」
私は肩で息をしながら、崩れ落ちそうな足を無理やり踏ん張る。
「ええ。魔力反応、完全に消失」
ミスティアが頷く。
「はああああ……ほんと、きっつ……!」
私はその場にどさっと座り込んだ。
「でも、やったね。……三人で、倒せた」
クラリスがそっと、フェリシアの刃を納めた。
「酒と剣と炭酸の、いいトリオだったね」
私は二人に、ぐっと親指を立てる。
森には、もう霧の揺らぎはなかった。




