酒気、霧を裂く――その先に《前編:導入》
――再び、音のない森へ。
爆風の余韻が消え、私たちは霧がわずかに晴れた隙を突いて、さらに奥へと進む。
腐葉土の匂いは濃く、ぬかるんだ地面には不自然な蠢きが見え隠れしていた。地形は複雑に入り組み、木々の間には、今にも崩れそうな倒木や粘液に濡れた岩が転がっている。
「やっぱ……空気が変わってきたね」
私は息を吐きながら、顔をしかめる。霧は薄まったはずなのに、視界の先には奇妙な“揺らぎ”があった。
「……霧の“流れ”が一方向に集まってます。風は吹いていないのに」
ミスティアが立ち止まり、杖を地面にトン、と突いた。
「つまり、何かが“吸い寄せてる”ってこと?」
「可能性は高いです。“親玉”……本体が、近いのかもしれません」
彼女の声は淡々としているが、微かに緊張がにじんでいた。
「クラリス、この先どうなってる?」
「霧の壁の向こうに……空間が開けてる。天然の広場みたいね。あそこに“巣”があるのかも」
クラリスは剣の柄に手を添えたまま、鋭く霧を睨んでいる。
その視線の先で、何かが――“鼓動”していた。
ずん、と空気が揺れる。視えないはずの気配が、肌を這う。
「っ……なんか、気持ち悪い感じする。重いというか、じわじわ、脳の奥に来る……」
「伊吹、深呼吸を。霧の性質が変わってる。ここからは、魔力への干渉も強くなります」
ミスティアが私に炭酸の膜を展開し、再び《泡沫魔法・零式:エアボム》で周囲を浄化する。
霧が押し返される。
その先――
木々がぽっかりと裂けるように途切れ、中央に巨大な“痕跡”があった。
地面がえぐれ、直径十メートルほどの円形の窪地。腐食した根と土が露出している。
そして、その中央には――
――うねる黒い霧の塊が、静かに脈動していた。
「……あれが、“親玉”……?」
私は思わず言葉を呑む。もはや獣の形すら持っていない。ただ“在る”だけの禍々しき存在。触れれば溶けそうなほど粘性を帯び、時折、空気に浮かぶ泡のようなものが破裂しては、濁った音を立てていた。
「霧の中心に、魔力の核反応。間違いありません。“親玉”です」
「まるで、意志があるみたいだな……この霧、私たちを――試してる?」
視線を向ければ、霧が揺れる。まるで“こちらを見ている”かのように。
「来るわよ、構えて」
クラリスが《閃律剣・フェリシア》を構え、私も瓢箪の栓に手をかける。
ミスティアの杖も静かに輝きを帯びていた。
敵は、まだ動かない。
だが、その存在感は確かにこちらを“待って”いる。
――次の一手を、私たちに委ねるかのように。
(なら……叩き込んでやる。こっちの“本気”ってやつを)
静かな戦端が、いま開こうとしていた――。




