霧の向こうの牙
それは、ぬるりと、泥のような音を立てて現れた。
灰色の霧の中から、液状の影が這い出してくる。
犬ほどのサイズ、しかし骨格はない。全身が肉のように揺れ、脈打っている。顔はなく、ただ中央に黒い孔がぽっかりと空いていた。
「来ました……間違いない、あれが“霧魔獣”の本体」
ミスティアが淡々と呟く。
姿はあいまいで、霧が絡みついて見えづらい。
「まずは、霧を晴らします。《泡沫魔法・零式:エアボム》」
ミスティアが杖を掲げ、優雅に一振り。
パン、と空気を弾くような音とともに、彼女の周囲に淡くきらめく炭酸の膜が広がった。炭酸が霧を押し返し、視界が一気に開けていく。
「おお……やっぱ頼りになるな、炭酸!」
「感心してる暇はないわよ、来る!」
クラリスが剣を構え、私もすぐに腰の瓢箪に手を伸ばす。
クラリスが一歩踏み出す。
「《閃律剣・ラピス》!」
フェリシアが蒼く唸り、霧魔獣の脚を一閃する。斬撃が走った瞬間、周囲の空気がきらめき、斬音が澄んだ旋律を描く。
しかし敵は止まらない。脚を千切られてもなお、のたうちながら這い寄ってくる。
「こっちにも来た! 伊吹、下がって!」
「いや、ここは――!」
私は腰の瓢箪に手をかける。
「《酒技・酔気噴射ッ!!》」
瓢箪の口から噴き出した酒が、細かい霧状になって敵を包む。わずかに焦げたような反応――この霧魔獣、アルコールに反応してる。
「効いてる! クラリス、今!」
「《閃律剣・セレスタ》!」
刃が縦に走り、音の波紋が周囲を揺らす。断面が光を宿したように煌めき、霧魔獣の動きが止まった。
「ミスティア、足場作って!」
「《泡沫魔法・滑層:スリップフォーム》!」
地面を走った炭酸の泡が、敵の足元をぬるりと滑らせる。ぐらりと体勢を崩した瞬間――
「《酒技・火酔爆》!」
酒気に魔力を込め、爆ぜるように酒を引火させる――
私は酒を霧魔獣の口元へ向けて一気に噴射、火打石を擦って引火させる。火酒の炎がどんと爆ぜた。
霧の中、爆風が敵を吹き飛ばす。
――沈黙。
しばらくして、空気がほんの少しだけ澄んだ気がした。
「……一体撃破、確認」
ミスティアが静かに告げた。
「……あー、心臓バクバクする」
「まだ奥に潜んでるかも。気を緩めないで、伊吹」
「りょーかい……! でも……へへ、なかなかいい連携だったんじゃない?」
私は汗を拭いながら、二人に笑いかけた。
霧魔獣との戦いは、まだ始まったばかりだった――。




