腐る森へようこそ
泡鳴区の郊外、東方森林帯――。
私たち《酔いどれ旅団》が次なる依頼で訪れたその場所は、朝日すら霞む灰色の霧に包まれていた。
「うわ……見事に一面もやってるね、ここ」
私は鼻をつまみたくなるほどの腐敗臭に顔をしかめる。森の奥からは、かすかにぬちゃりと湿った音が聞こえた。鳥のさえずりもない。虫の声すらしない。
ここは、“霧魔獣”の根城とされる危険地帯。
「これ……普通の霧じゃないわね。空気中の成分が酸性寄りになってる。金属装備は長時間の使用で錆びる可能性があるわ」
クラリスが剣を抜き、柄を覆っている革部分を軽く確認する。
「私の泡沫魔法なら……ある程度、視界を確保できます」
ミスティアが前に出ると、静かに杖を構えた。
「《泡沫魔法・零式:エアボム》」
ぱん、と空気が弾けるような音がして、彼女の周囲に淡くきらめく炭酸の薄膜が広がる。霧を押し返すように視界が少しずつ開けていく。
「おおー……これぞ炭酸の力……!」
「感心してる場合じゃないわよ。森の地形、ここから複雑になってる。気をつけて進むわよ」
私たちは慎重に森の奥へ足を踏み入れる。
地面はぬかるみ、腐葉土の匂いが濃くなる。ときおり奇妙に膨らんだキノコのような物体が視界に入り、近づくとぬるりと動いた。
「……今の、キノコだった? 動いたよね!?」
「霧魔獣の分体かもしれません。“本体”はもっと奥に潜んでいるはずです」
ミスティアが表情を変えずに告げる。さすがにこの子、経験値あるな……。
「とりあえず、罠とかあると怖いから……」
私は瓢箪を握り、いつでも出せるように備える。
「クラリス、フォローお願い」
「任せて。伊吹の前方五歩分は私がカバーする」
彼女が抜いた剣――《閃律剣・フェリシア》が、霧の中でも煌めきを放った。切っ先が空気を切るたび、霧がわずかに震え、音が澄んでいく。
「……これ、本当に息をするのも嫌になるな」
私はぼやきつつも、気を張って歩を進める。
霧の奥から――ずる、と何かが這う音がした。
ついに、“霧魔獣”の領域に入ったらしい。
(さてさて。酒とつまみのためなら、どんな奴でもぶっ倒す覚悟はあるけど――)
いよいよ本格戦闘の匂いがしてきた。




