表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界に酒税法は存在しねぇんだよぉぉぉ!!  作者: ヒオウギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

203/204

甘美なる戦場

 森へ踏み込んだ瞬間、世界の輪郭が甘さで曇った。


 木々の間に差す光は細く、葉の影が幾重にも重なる。

 目は開いているのに、遠近がぼやける。

 霧じゃない。蜜の香りが、視界の判断そのものを鈍らせてくる。


「……森が砂糖漬けみたい」


 わたしが呟くと、クラリスは剣の柄を強く握り直した。


「足元、気をつけて。地面が――」


 言いかけた瞬間、草を踏んだ感触が“ぬち”と吸い付いた。


 遅れて、足首に絡みつくものの冷たさ。


 透明で粘る糸。


 蜜網。


「っ……!」


 反射で身体を引いた。

 でも、引けば引くほど糸は伸びて絡む。

 蜘蛛の巣に似ているのに、香りが違う。甘い。安心する匂いがする。

 呼吸が深くなり、緊張の糸がほどけそうになる。


 危ない。


 これは、拘束と鎮静が一体になってる。


「伊吹さん、動かないでください!」


 ミスティアの声が鋭い。

 彼女は杖を掲げ、白い泡を地面へ撒いた。


 《泡沫魔法・滑層:スリップフォーム》


 泡が薄い膜になって蜜網の下へ潜り込み、ぬめりを増やす。

 糸が地面から剥がれ、わたしの足がようやく自由になった。


「助かった。ありがとうミスティア」


「どういたしまして。……それにしてもここから先、同じ罠がいくつもあります。……進ませる気がありませんね」


 進ませる気がない。


 それはつまり、“正面から来い”という意味じゃない。“勝手に迷え”という意味だ。


 森の奥から羽音がした。


 ぶぅん、とひとつ。


 次に、ぶぅん、ぶぅん、と数が増える。


 木々の隙間に黒い点が浮かび、増えて、渦になった。蜂群。

 いや、群れというより、意思を持った煙みたいだ。風に流されない。こちらの動きに合わせて、位置を変えてくる。


 刺されれば痛いだけじゃすまないだろう。


 羽音のリズムが胸の鼓動と噛み合ってくる。規則正しい振動が思考をゆっくりにする。

 甘さと羽音で人間の速度を落とす戦い方。


「来る!」


 クラリスが前へ出た。剣閃が走る。蜂が散る……はずなのに、斬った感触がない。刃が風を切っただけで、蜂群はわかれた瞬間にまた形を戻した。


 物理の壁とは違う。


 数と圧で、わたしたちの足を止める環境に近い。


「焼く……?」


 わたしは反射的に《酔鬼ノ号哭》へ手を伸ばしかけた。


 火で甘さを焼く。蜂群も焼く。最短で確実だ。


 でも――次の瞬間、前方の木立から人影が現れた。


 村人。


 男も女も、老人も若者もいる。

 手には農具。鎌。斧。石。武器になり得るものを当たり前みたいに持っている。


 そして、顔は――穏やかだった。


 怒りも憎しみもない。にこにこしている。


 その笑顔のまま、彼らは道を塞いだ。


「蜜をもらうには」

「あなたたちは邪魔」


 声は優しい。叱る時の先生みたいな口調で、当たり前の事実を告げる。


 蜂群が村人の背後にまとわりつく。

 王の護衛が兵の背中を押しているみたいに。


「……っ」


 喉が詰まる。


 火は出せない。


 火を出した瞬間、村人が巻き込まれる。

 蜂群は霧みたいに広がって、炎は必ず“壁”へ回る。

 そこに立っているのは、敵じゃない。

 村人――被害者だ。


「これじゃ……火を出せない……!」


 声に出した瞬間、自分の無力が胸に刺さった。


 クラリスも動けない。剣を構えたまま、足が止まっている。斬れば彼らは倒れる。斬れば楽になる。だけど、斬ったら戻らない。


 ミスティアが歯を食いしばる。


「泡で押し返すことはできます。でも、村人さんごと……」


「駄目だ」


 レオニスの声は低い。医療者としての断言だった。


「村人を傷つければ、こちらが“侵略者”になる。蜜蜂隊長はそれを望んでいる。治療の余地が消える」


 蜂群がさらに濃くなる。羽音が重なって、耳の奥が痺れる。

 村人の足取りが揃っていく。誰も躊躇っていない。ただ、当然のように近づいてくる。


 わたしは《酔鬼ノ号哭》を下ろしたまま、後退した。


 ――その時。


 列の端にいた少年が、ふらりと足を止めた。


 村人たちの“当然”の流れから、一瞬だけ外れる。

 目が泳ぎ、口元が震える。甘さに溺れきっていない、ほんの小さな抵抗。


「……やだ」


 小さな声。


 すぐ隣の大人が少年の肩を掴んだ。優しく。優しく、逃げ道を塞ぐ。


「大丈夫だよ。女王様が守ってくれる」


 その言葉で、少年の瞳が曇る。笑顔が戻る。檻が閉まる。


 ――今だ。


 フィオラがすっと前へ出た。


 医療者とは思ないほどの俊敏な動きだ。

 彼女は少年の腕を掴み、甘さを断ち切るように、強い匂いの薬包を鼻先へ当てた。


 少年が咳き込む。


 次に目がぱちぱちと瞬く。


「……え……?」


 ほんの数秒、檻の外へ出た顔。


 フィオラは迷わず少年を背に回し、レオニスがその肩を支えた。


「離脱する。伊吹、クラリス、前を押さえろ」


 わたしは頷いて、金棒を構え――直前で止めた。殴れない。殴れば簡単にことが解決する。

 でも、それは目的じゃない。


 代わりに、地面を強く踏み鳴らした。衝撃で蜂群が一瞬揺れる。

 クラリスが剣を横に薙ぎ、牽制だけで距離を作る。

 刃は村人へ向けない。空間を切って、近づく意志を止める。


 ミスティアが泡を厚くした。


《泡沫魔法・零式:エアボム》


 小さな破裂が、足元の蜜網を吹き飛ばす。

 蜂群が散り、村人の列がわずかに乱れる。

 乱れた瞬間、甘さが薄くなる。彼らの動きに“個”が戻りかける。


 その瞬間を狙って、わたしたちは後退する。


 でも、すぐに羽音が重なる。


 ぶぅん。


 ぶぅん、ぶぅん。


 村人の顔が、また同じ表情になる。安心。充足。委ねる快楽。


「……追ってきませんか?」


 ミスティアが息を切らしながら言った。


「追ってきてるよ」


 わたしは振り返らずに答えた。


 追ってくるのは村人だけじゃない。森そのものだ。どこへ逃げても甘さがついてくる。

 蜜網が絡む。蜂群が視界を曇らせる。村人が壁になる。


 わたしたちは何度か同じことを繰り返した。


 罠を踏む。蜂群に包まれる。村人に塞がれる。


 そのたびに、フィオラとレオニスが“引き剥がす”。甘さの中心から一人、二人と連れ出す。薬臭い刺激で意識を戻し、抱えて離脱する。


 救える人数は少ない。


 救うほど、森が反応する。


 救うほど、蜂群が濃くなる。


 救うほど、村人の壁が増える。


 戦えば戦うほど、村が壊れる。


 森の外へ戻った頃には、空は夕方の色に傾いていた。

 甘い匂いはまだ鼻の奥に残っている。舌の根が、蜜を求めてしまう。飲んでいないのに。


 連れ出した少年は、焚き火の近くで毛布にくるまっていた。

 目はまだ不安定で、何度も森の方を見る。甘さを恋しがる視線。


 フィオラが水を飲ませ、レオニスが脈を取る。


「……戻るのは時間がかかる」


 レオニスが静かに言った。


「だが、戻る。意思は残っている」


 フィオラが頷く。


「ただし、近づけばまた引き戻される。甘さは距離で作用してる。香り、音、……蜜網。全部が環境そのものだ」


 クラリスが地面を蹴った。


「じゃあどうするの。巣へ行くには森を抜けるしかない」


「正面は無理かな」


 わたしが言うと、みんながこちらを見た。


 《酔鬼ノ号哭》を膝に置いた。金棒はずしりと重い。今まで数多くの敵を殴ってきた重みだ。

 でも、今日ばかりは、その重さが頼りにならなかった。


「蜜蜂隊長は出てこない。村人を盾にして、森を武器にして、わたしたちを削る。火を出せない状況を作ってる。……この戦場、最初から“選べない”ようにできてる」


 ミスティアが小さく唇を噛む。


「わたしの泡も、押し返すだけで終わります。根っこに届きません」


 フィオラが目を伏せる。


「引き剥がしはできる。……でも、戦線全体は支えられない。救えば救うほど、反応が強くなる。逆に言えば、相手は“支配の深さ”を増やせる」


 レオニスは焚き火を見つめ、結論を落とした。


「戦線膠着。このまま森で消耗すれば、村が先に壊れる。蜜蜂隊長を表へ引きずり出すか、巣の最奥へ一気に通す策が必要です」


 森の方から、かすかに羽音が届いた。


 姿は見えない。


 でも、確実に“見られている”。


 わたしは息を吐いた。甘さが肺の内側に残って、胸を軽くしようとする。


 この戦いは甘美だ。


 苦痛を消し、怒りを溶かし、選ぶことを奪う。


 優しい形をした戦場。


 ――だから、正面から殴り合うだけじゃ勝てない。


「正面決戦は不可」


 わたしは言い切った。


「……次は壊す覚悟を決めるしかない」


 焚き火が小さく爆ぜた。


 その音だけが、甘さの中で妙に現実的だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ