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異世界に酒税法は存在しねぇんだよぉぉぉ!!  作者: ヒオウギ


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腐敗の源へ

 夜が明ける前の街は静かだった。


 静かすぎて耳が痛い。


 人は生きている。息をしている。脈もある。熱もある。目も開く。


 でも――声が薄い。


「助かった」という言葉が誰からも出てこない。


 毛布の中で横になっている青年が天井を見たまま呟いた。


「……朝なんだ」


 それだけで終わる。


 朝だと分かるのに、今日に期待する感情がない。


 ミレアがその横に座って、いつも通りに名前を呼ぶ。


「ルークさん。聞こえますか」


 青年はうっすら目を動かす。返事はない。

 ミレアは諦めない。手を握る。体温を確かめる。

 呼吸のリズムを合わせるように、ゆっくり息を吐く。


 治療できなくても、見捨てない。


 その姿を見て、わたしは昨夜の広場を思い出した。


 選ばれる命。


 選ばれない命。


 そして、選ばれない者が「もういい」と言い始める恐ろしさ。


 ――これが続くなら、心が先に死ぬ。


 フィオラが簡易診療台の上に紙片を並べていた。

 小瓶の残量、粉末の袋の数、魔具の刻印がどれだけ残っているか。

 数字の列は冷たい。冷たいから、嘘をつかない。


 レオニスがその紙片を見下ろし、短く言った。


「今日、動きます」


 誰も驚かなかった。


 驚く余裕がないし、誰もが薄々わかっていた。


 この場で粘っても、終わらない。終わらないまま、また発症する。資源は減り、心が削れ、選別が常態になる。


 フィオラが報告する。


「腐蝕反応は発生源に近いほど強い。逆に言えば、ここは“末端”です。時間経過で再発する可能性が高い」


 彼女は唇を噛んだ。


「今の安定は永続じゃない。……私たちは追いかけられてます」


 レオニスは頷いた。


「源を断たなければ、意味がない」


 その言葉は医師としての宣告だった。


 英雄が「討つ」と言うのとは意味が違う。


 医師が「断つ」と言うのは諦めの反対だ。


 彼は街の代表者を呼び、簡潔に説明した。


「この街の腐蝕は“止まっています”。しかし、完全回復は難しい。今後も波のように再発する可能性が高い。発生源を絶たなければ、同じことが繰り返されます」


 代表者は静かに頷いた。怒りはない。泣きもない。

 けれど、目の奥にあるのは、確かな恐怖だ。


「だから、私たちは行きます」


 レオニスは言う。


「今回は討伐ではありません。“進行を止めるための侵入”です」


 わたしは一歩前に出て、言葉を継いだ。


「つまり、倒せるなら倒す。でも優先は生き残らせる」


 医療の言葉と、わたしの言葉が同じ方向を向いた。


 ――倒すだけじゃ足りない。でも、倒さなきゃ始まらない。


 その核心が、ここで一本の線になった。


 準備は早かった。


 クラリスは剣の柄を握り直し、肩を回す。冗談を言う余裕がないぶん、呼吸が深い。


 ミスティアは杖を抱え、泡の感触を確かめるように指先を動かす。彼女の泡はもう攻撃だけの泡じゃない。守る泡、遮断する泡、そして洗う泡だ。


 ミレアは小さな薬包を胸元にしまい、わたしのほうを見る。


「……必ず戻ってきましょうね」


 それは願いじゃない。命令でもない。祈りでもない。


 “止まれ”を言う役の人間が、前線へ行く覚悟の言葉だ。


 フィオラがわたしの瓢箪を一瞥して言った。


「酒は……使うなら抑制して。今のあなたの酒は活性が強い」


「わかってる」


 わかっている。お酒は魔法じゃない。万能薬じゃない。

 だけど――“動けなくなる前に立たせる”ことはできる。


 そして、それがこの侵入の生命線になる。



 発生源は村から半日ほど離れた丘の裏だった。


 かつて酒造りに使われていた地下醸造施設。

 今は放棄され、封鎖され、誰も近づかない。近づけない。


 入口に立った瞬間、喉が渇いた。


 空気が重い。湿り気が肌にまとわりつく。甘いようで、酸っぱいようで、腐敗臭とも発酵臭ともつかない匂いが、肺の奥へ入り込む。


「……ガスが滞留してる」


 フィオラが鼻を押さえて言う。


 レオニスが即座に指示した。


「呼吸は浅く。長居しない。異変が出たら報告。進む/止まるの判断は私が出します」


 彼の声は地下の壁に吸われていく。


 暗い。


 なのに、どこかが薄く光っている。


 壁に染みついた菌糸が微かに脈打つように発光していた。生き物の血管のようだ。


 そして、最初の“敵”はそこにいた。


 床を這う酒粕の塊。腐った泡を纏った酵母の群れ。菌糸が絡まり、形になり、ゆっくり立ち上がる。


 人型でも獣型でもない。


 “熟成途中の失敗作”みたいな、曖昧な塊。


 けれど分かる。


 こいつらは殺しに来ない。


 近づいて、まとわりついて、動きを鈍らせ、考えを遅くする。


 腐蝕ソムリエのやり方だ。


「来る!」


 クラリスが前へ出た。


 剣が走る。切る。切っても、飛び散った粘液が床に落ち、そこからまた泡立つ。


 倒しても終わらない。


 ――だから、分業。


 わたしは瓢箪に触れたが、栓を開けなかった。お酒を攻撃に使わない。今回はそういう話じゃない。


 ミスティアが杖を振る。


 《泡沫魔法・守護結界:クールドーム》


 透明な泡の膜が広がり、前線と後衛の間に境界線を作る。泡は湿度と温度を制御し、腐蝕粒子の拡散を抑える。敵の粘液が泡に触れると、音もなく沈む。


「……ここから先は入れさせない」


 泡は柔らかいのに、ミスティアの意志は硬い。


 フィオラがその泡の内側で即席の薬を調合した。粉末を混ぜ、溶かし、匂いを嗅ぐ。目が鋭い。


「酵母系の毒素反応……いや、毒じゃない。鈍化剤に近い」


 レオニスが頷く。


「想定通りです。倒さず、進む。クラリス、道を開ける。ミスティア、拡散を止める。フィオラ、症状が出たら即時。ミレア、精神兆候を監視。伊吹、活性は最後の手段」


 わたしは短く答えた。


「了解」


 誰も単独で成立しない戦闘。


 この瞬間、わたしたちは一つの機械みたいに動き始めた。



 奥へ進むほど、空気がさらに重くなる。


 足が粘る。考えが一拍遅れる。


 壁の菌糸が増え、床の酒粕が厚くなる。天井から滴る液体が肩に落ちるたび、身体の中の“どうでもいい”が増える気がした。


 そして、転機は突然来た。


 ミレアが歩みを止めた。わたしの背中に細い指が触れる。


「……ここ、長くいると危ない」


 声が低い。震えが混じる。


「“助けなくていい”って気持ちが……染み込んでくる」


 その言葉だけで、ぞっとした。


 助けなくていい。


 救わなくていい。


 それが、腐蝕の本質。


 医療側が“患者側”に近づく。


 フィオラの手が一瞬止まった。


 粉末を落としそうになる。それを自分で見て彼女の目が揺れた。


「……なんで、今」


 レオニスの指示も一拍遅れた。


 いつもなら即座に判断する男、壁の菌糸を見つめる時間が増えた。


 彼の内側で何かが重なるのがわかった。


 過去の症例。


 治せなかった命。


 それがこの匂いと、この空気に繋がっている。


 ――このままだと動けなくなる。


 わたしは瓢箪の栓を開けた。


 でも、全開放じゃない。


 最低限。


 抑制。


 戻すための酒。


「……壊す酒じゃない」


 自分に言い聞かせるように呟く。


「戻る酒だ」


 瓢箪から取り出したのは、梅酒由来の甘い香り。


 《甘酔芳香・メロウフォーム》――支援型の酒バフ。


 それを“鎮静”としてじゃなく、“感覚の引き戻し”として使う。


 わたしは一口だけ含み、舌の上に甘みを広げた。


 香りが鼻を抜けた瞬間、世界の輪郭が戻る。


 匂いが匂いとして認識できる。


 腐蝕が腐蝕として嫌悪できる。


 嫌悪できるなら、まだ生きている証拠だ。


 その波を、わたしは周囲へ薄く広げた。酒気は攻撃じゃない。空気に混ざって意志を引き上げる。


 フィオラがすぐ動いた。


「副作用抑制、入れます」


 彼女は迷わず薬を差し出し、レオニスとミレアに投与する。酒と医療が同時に作用する。


 初めての成功例。


 レオニスの目が、はっきり焦点を結んだ。


「……戻りましたね」


 その一言だけで、わたしの喉の奥が熱くなった。


 ミレアが息を吸い、吐いて、頷く。


「……大丈夫。まだ怒れます」


 怒れるなら、壊れてない。


 わたしたちは進んだ。


 奥。


 さらに奥。


 最後の扉を押し開けた瞬間、空気が変わった。


 広い。


 巨大な空間。


 中心に醸造槽があった。


 巨大な樽ではない。鉄と石で組まれた、工業的な醸造槽。そこから、止まらない発酵の泡が溢れている。泡は黒く光を吸うような色をしている。


 発酵音が呼吸みたいに響く。


 ぶく、ぶく、ぶく。


 生き物の心臓みたいだ。


 誰かの気配がある。


 ミスティアが泡を薄く広げ、周囲を確認した。


「……本人はここにはいないですね」


 それでも言い切れない、怖さが声に混じる。


「でも、すぐ戻ってきそうです」


 壁に文字が残っていた。


 爪で刻んだような、乱れた筆跡。


『まだ“熟れていない”』


 その下にもう一行。


『意志は時間で腐る。味と同じだ』


 完成途上の酒。


 完成途上の“意志を腐らせる酒”。


 レオニスが静かに歯を食いしばった。


「……工程か」


 戦わない。


 殺さない。


 役割を腐らせる。


 それを“美しく仕上げる”工程。


 次の瞬間、音だけが響いた。


 姿は見えない。


 どこからともなく、声が落ちてくる。


「良い医者だ」


 柔らかい声。


 褒めるみたいに言うのが、気持ち悪い。


「だが、遅い」


 空気が重くなる。泡の音が少しだけ大きくなる。


「腐蝕はもう根付いた」


 ミレアが一歩前へ出ようとして、レオニスの腕で止められた。


 レオニスは声の方向を見ずに、冷静に言った。


「……次は止める」


 その声は医師の声だった。


「“治療”ではなく“断絶”だ」


 わたしは醸造槽を見つめ、瓢箪の栓を閉めた。


 腐った酒は捨てる。


 でも――腐らせた奴は逃がさない。


 泡の発酵音が心臓みたいに鳴り続ける。


 ぶく、ぶく、ぶく。


 終わらない音。


 わたしはその音を背にして、踵を返した。


 腐蝕ソムリエの居場所は確定した。

 後は準備を整えてやるべきことをやるだけ。


 この夜はまだ終わらない。


 次は止めるために――“腐りきる前に”。

 終わらせる。

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