表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界に酒税法は存在しねぇんだよぉぉぉ!!  作者: ヒオウギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

143/146

選び、漬けて、封をする

 ――酒は、生きものだ。


 それを今日ほど実感したことはない。


「見てください。この張りと色艶……まさに夕梅珠の中でも“特選”にあたる実です」


 エルムナの祖父の梅農園、柔らかな朝日が差し込む梅林の中。

 手にした竹籠の上、淡紅に染まった小粒の梅が鈴なりに転がっていた。

 名前の通り、夕暮れのような橙と紅を混ぜたようなその色は、どこか懐かしくて、だけど見たことのないような美しさだった。


「たしかに、これは……ちょっと食べたくなる」


 わたしがぽつりとつぶやくと、隣でクラリスがピシャリと手を叩いた。


「ダメよ伊吹。これはお酒にするんだから」


「わかってるよ、冗談冗談」


「冗談に思えないのが伊吹なのよ」


「ふふ、伊吹さんならやりかねませんから……」


 ミスティアが頬に指をあてて笑った。

 どうやらわたしの食い意地の信頼度が無駄に高まっているらしい。


「……ところで、その夕梅珠って、どのくらい貴重な品種なの?」


 わたしが素朴な疑問をぶつけると、エルミナが静かに答えた。


「年に一度、ほんの十日ほどしか収穫できません。そして、木の数も限られてます。祖父はこの梅を一年分大事に使って、酒にしてたんです」


「なるほど。じゃあ、梅の選び方から真剣勝負ってわけだ」


「はい。実が硬すぎても、柔らかすぎてもダメ。傷があるのも、未熟すぎるのも、全部アウトです」


「果実の選別はすでに酒造りの一部。そこからブレたら、すべてがブレる」


 ノアが真剣な目つきで補足する。


「特に漬け込み酒は素材の味がそのまま出る。手を抜けば抜いた分だけ、結果に返ってくるんだ」


 まるで職人みたいな口ぶりに、思わずミスティアが感心したように言った。


「……酒造りは計算ですね」


「“感性”でやると、狙った味は作れない。味の芯を設計し、素材と条件で構築する。酒は“理論の積層”だ」


 ノアの言葉に、思わず息を呑んだ。


 たしかに――これまでの伊吹酒造は、爆発と衝動の連続だった気がする。


(いや、まあ、それはそれで楽しかったけど……)


「さーて、それじゃあヘタ取りでも始めるか!」


 わたしが竹籠をかかえて音頭をとると、クラリスがさっと白い手袋をつけた。


「まずは傷んでない梅を選別して、ヘタを取ってから洗浄。手際よくいきましょう」


「いつになくやる気を感じる!」


「クラリスさん梅、好きなんですか?」


「梅酒が好きなんじゃない?」


「いいから早く選別して!」


 そんな掛け合いをしつつ、選別とヘタ取り作業がスタートした。


 ◆


 午後、仕込み部屋。


 洗って乾かした夕梅珠が光を吸って宝石のように輝いていた。


「じゃ、ここから漬け込みだな」


 ノアがガラス瓶をひとつ抱え、わたしたちの前に置く。


「梅1キロに対して、氷砂糖600グラム。酒は1.8リットル。これが基本の黄金比だ」


「ええと、氷砂糖は……これ」


 ミスティアが秤を調整しながら、透明な結晶を計量する。

 ふつうの砂糖じゃなく、氷砂糖を使うのは理由があるという。


「氷砂糖はゆっくり溶けるので、梅から出るエキスと混ざる速度が穏やかになります。浸透圧のバランスも大事なんです」


「……なんか急に、錬金術みたいな話になってきた」


 わたしがぽりぽりと頭を掻くと、ノアが首を横に振った。


「違う。これが公式だ」


「こだわるなー……」


「違いが出るからこそ、こだわるんだ」


 ノアの言葉には、迷いがなかった。


「それに、今回はエルミナさんの大事な“記憶”の味を再現するって目的があるからな」


 その言葉にわたしたちは少しだけ背筋を伸ばした。


 失敗は許されない。


 ◆


「……でさ、酒って焼酎でいいの? それともブランデーの方がいいとかある?」


 わたしが訊くと、エルミナが手帳をめくった。


「祖父はいつも、ホワイトリカー……つまり、無味無臭の焼酎を使ってたみたいです。果実の香りが引き立つように、あえてクセのない酒を選んだって書いてあります」


「ブランデーだと、コクが出て大人向けになるって聞いたこともあるわね」


 クラリスがグラスを拭きながら補足する。


「焼酎は素材の味を活かし、ブランデーは香りを重ねる。方向性の違いだな。どっちが正解ってわけじゃない」


 ノアは瓶を見つめながら頷いた。


「今は焼酎で漬けるしかないけど……ブランデーが手に入ったら、そっちでも一本作ってみたいところだ」


「だったら、今度の買い出しのときに探してくる?」


「よろしく頼む。できれば樽熟成してるやつ、香りに厚みがあるタイプが理想だ」


「そうすればブランデーで比較用を作れますしね」


「……科学の実験っぽくなってきたな。ついでにわたしのテンションも上がってきたわ」


「飲むテンションじゃなくて、造る方でお願いしますよ?」


「わかってるって、ミスティア。わたしだってもう立派な造り手よ」


 瓢箪を腰にぶらさげながら、ふんぞり返ると、クラリスがため息をついた。


「瓢箪持ってる時点で、立派な飲み手にしか見えない」


「名誉ある称号ってことで受け取っておくわ」


 ◆


 すべての梅と氷砂糖を層にして入れ、焼酎を注ぎ終えた瞬間――


 瓶の中に、黄金の光が満ちていくように感じた。


 香りはまだ閉じている。

 でも、確かにそこにある。


 これが……未来になる。


「……封じ込めるってより、未来を育ててる気分になってくる」


 思わず出たわたしの言葉に、エルミナが小さく微笑んだ。


「きっと祖父も、同じ気持ちだったと思います」


 そして――蓋がそっと締められた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ