表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界に酒税法は存在しねぇんだよぉぉぉ!!  作者: ヒオウギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

139/146

森と命の美酒

 ──酒は、命を繋ぐ“祈り”になる。


 森の小道を抜けると、空気の香りが変わった。


 葉の奥に隠されるようにして広がるエルフの集落――樹の上に浮かぶように築かれた家々と、葉の編まれた橋、風に揺れる花布と風鈴の音。

 静かで、優しい、森の呼吸に抱かれた世界。


「……帰ってきたぁー」


 わたしはひと息ついて、空を仰いだ。

 断酒修行の末に、異常な狩人たちと戦って、ようやく戻ってきた。


 レイリナが静かに歩み寄ってくる。

 あいかわらず、美しすぎて目が焼けそうだ。


「よく戻ってきた。すべての試練を越えて――お前たちは、己と向き合った」


「ま、多少、酔ったけどね」


「多少とは……」とクラリスが小声でツッコみ、ミスティアは遠い目で「むしろ全力で飲んでましたよね」とぼやく。

 知らん、気にすんな。


 レイリナはふっと口元を緩めてから、細長い瓶を取り出した。


 澄んだ緑のガラスの中、ほのかに光を放つ液体が揺れている。


「これは……」


森彩の涙(セレスティアル)。祝祭にのみ許された、精霊の清酒だ。エルフの長き守り人が受け継いできた、自然の恩寵の結晶」


 それはただの酒ではなかった。


 森の命を酌み取り、花蜜、果実、樹皮、清水、月の露。

 すべてを調和させ、数十年もの時をかけて自然に熟成させた奇跡。


 ――命が宿る酒。


「これを飲む資格があるのは、己と向き合い、欲を制し、命を守る意志を持った者だけだ」


 レイリナの言葉に、わたしたちは正座してしまった。自然と、背筋が伸びる。


 ◆


 そしてその夜――


 森に灯りがともった。


 木の間に吊るされた花灯籠が、赤や橙の柔らかな光を放つ。

 風に揺れた花布がひらひらと舞い、空気の中に蜜と草木の匂いが漂っている。


 小さな焚き火がいくつも焚かれ、その火を囲んで、エルフたちが葉笛を吹き、太鼓を奏でていた。


「これ……幻想的すぎない……?」


「なんだか、夢の中みたい……」


「こんな夜があるんですね……」


 わたしたちは森の広場の中央に用意された円卓へ案内された。

 そこには、見たこともない料理がずらりと並んでいる。


 焼き樹皮パイは、外はパリッと香ばしく、中は茸と花根の甘みがとろけるパイ。


 月光茸の蒸し焼きは、ほんのり光る茸を蒸し、木の葉で包んだ繊細な香り。


 花蜜酒のゼリーは、夜咲く花から採った蜜を冷やし固めた、宝石のような甘味。


 森の果実と木の実のチーズはエルフ式発酵で作られた植物性チーズと熟した木の実。


「ぜ……全部、ベジタブルなのに、超おいしそうなんですけど……」


「いただきます!」


 誰よりも早くクラリスが手を伸ばし、ミスティアが笑いながらナイフを入れる。

 わたしももちろん手を伸ばす。


 どれも優しい味だ。

 それでいて、素材の輪郭が鮮やかで、舌の上で響くようにうまい。


「……これ、胃袋が浄化されてく気がする」


「そうですね……体が内側から澄んでいくような……」


 それから音楽が高まり、エルフたちが舞台に立つ。


 淡い葉衣をまとった舞手たちが、月の光に照らされながら舞い踊る。

 風の音、葉のささやき、焚き火のゆらぎ、精霊の歌が、夜の帳に溶けていく。


「伊吹、あれ……」


 クラリスが指差した先、焚き火の中央に――レイリナがいた。


 静かに瓶を傾ける。

 注がれた酒が光をまとい、星の雫のように揺れる。


「……“森彩の涙”の儀式、始まるみたいですね」


 その瞬間、わたしの喉が鳴った。


「……飲みてぇ……」


 レイリナが歩み寄り、わたしたちの盃に注ぐ。


 琥珀ではない。限りなく透明に近い、けれどほんのり金色を帯びた液体。


 香りが、すでにおいしい。


 森の匂い。熟した果実の気配。花の蜜の甘さと、静かな火のぬくもり。


 盃を揺らすと、表面に波紋が広がり、それだけで世界が震えたような錯覚に陥る。


「――乾杯」


 口をつけた瞬間、世界が変わった。


 熱くもない、冷たくもない。

 液体が喉を通ると、全身に柔らかな光が満ちていく。


 味は言葉じゃ語れない。


 旨み、甘み、酸味、苦味、渋味――そのすべてが優しく包み込まれ、ひとつの“命”として昇華されていた。


 それは、酒というより――“祈り”だった。


「……うっわ、なにこれ、わたし……自分が、きれいになってく気がする……」


「わかります……こんなお酒、初めて……」


「飲むたびに、自分が整えられていく……」


 静寂の中に、焚き火が揺れる。


 わたしはただ、涙がこぼれないように目を閉じた。


 この酒は生きてる。


 命を繋ぎ、心を救い、世界と一緒に酔わせてくれる。


 そんな酒が、あったんだ――。


 宴は深く、静かに、けれど確かに熱を帯びて続いていった。


 夜空に星が満ち、精霊たちが踊り、わたしたちは――酒の本当の“意味”を、少しだけ知れた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ