解禁の一杯
――身体が、鉛みたいに重い。
脚は思うように動かないし、視界もチカチカしてる。
汗はもう乾いて、肌に塩が吹いていた。
「っぐ……はっ……、しんど……」
わたしは木陰にしゃがみ込み、息を整える。
目の前には、戦闘の真っ只中にあるクラリスとミスティアの姿があった。
「《閃律剣・セレスタ》!」
「《泡沫魔法・滑層:スリップフォーム》!」
二人は息を合わせ、狩人たちの動きを封じようと奮闘している。
だけど相手は、多勢、かつ武装。
そしてこっちは――
断酒三日目のカラッカラの素面チームである。
「なんで……断酒中に限ってこんな目に……っ!」
思わず漏れたクラリスの愚痴に、ミスティアがいつもの調子で返す。
「伊吹さんが“あれ”を見つけたからですよ……あの狩人たち、エルフの血で酒を造ってるなんて……最低です」
「だからって、この体調でケンカ売らないでよ伊吹!」
「売ったのはわたしじゃなくて、あいつらの方でしょーが!!」
わたしは叫び返す。
だが、自分でも分かってる。
今のわたしは弱い。
まともに戦えない。
戦闘は膠着していた。
狩人たちはエルフの血を狙い、何の罪悪感も持たず笑っている。
「好事家に売れば一瓶数十万……上物のエルフ血酒はなァ、金になるんだよ」
「貴様ら、下衆にも程がある……!」
クラリスの剣が火花を散らすが、防御の厚い狩人たちには致命傷にならない。
ミスティアの泡魔法も、制御に集中できず威力がいまいち。
「……どうする……」
わたしは腰の《酔楽の酒葬》に手を添える。
中にはさっきレイリナに分けてもらった――“蜂蜜酒”が揺れていた。甘い香りがほんのり立ち上っている。
飲んだらバフがかかる。
分かってる。だってそれが、わたしの力だ。
でも。
「修行中なんだよな……わたし……」
断酒、三日目。
今までのどの修行よりもキツい。
だけど、自分でやるって決めた。
わたしは酒とちゃんと向き合うって――
「伊吹さん、危ない!」
――狩人の矢が、わたしの足元に突き刺さった。
「ッ……!」
反射的に飛び退いたその瞬間、全身がガクンと崩れる。
体力の限界が、とうに来てた。
「伊吹!」
クラリスが声を上げたけど、距離が遠い。
視界がぐるりと回る。
頭がぐらぐらする。
「伊吹さん、撤退を――!」
ミスティアの声が、遠くに聞こえる。
……無理だ。
このままじゃ、全員やられる。
――だから。
わたしは決めた。
「ごめん、レイリナ。──今は、戦う方が大事だ」
瓢箪の口をひねる。蜂蜜酒の香りが広がる。
――ごくっ。
喉を滑り落ちる、甘く、熱い液体。
それは身体の芯に火を灯した。
「はァァァァァァ……効くっ……!!」
震える指先に、力が戻ってくる。
筋肉がぎゅっと締まって、意識が鮮明になる。
視界がクリアになる。
息が吸える。
これだ、これが――
《断酒強化・スローバーンフォーム》発動。
バフの波が体中を走った。
すべての感覚が研ぎ澄まされる。
今までより確かに強い。
「伊吹さん! まさか……飲んだんですか!」
ミスティアの驚愕に、わたしは笑って返す。
「しょうがないでしょ。命懸かってんだもん!」
「なんでそんな爽やかに言えるんですか!?」
「わけがわからない。だけど、今の伊吹は明らかに強い……!」
クラリスが口元を引き締め、剣を構え直す。
「酒バフの強さ……まさか、断酒してるときに飲んだ方が強化されるの?」
クラリスが疑問を口にする。
「身体が渇いていた分、アルコールの回りが早いんです! だから反応が鋭くなる……!」
ミスティアの理論が後ろから飛んでくるけど、もう聞いてられない。
「行くよ!!」
わたしは一歩踏み出す。
「《酒技・酔乱槌》!!」
酔鬼ノ号哭がうねり、地面に叩きつけられた。
狩人のひとりが吹っ飛び、後ろの木に叩きつけられて気絶する。
「ぐ……な、なんだこいつ……!」
「伊吹さん、もはや別人です……!」
「だから言ったじゃん、酒は力になるって!」
クラリスが援護に入り、ミスティアが泡のバリアを展開する。
息の合った三人の攻撃が、狩人たちを圧倒し始めた。
「《泡沫魔法・穿突:スパークリングスピア》!」
「《閃律剣・クロッカ》!」
「《酒技・火酔爆》!!」
酒気に魔力を込め、爆ぜるように火の帯が狩人を包む。
「ひ、引けぇぇぇぇ!! こいつら、狂ってるぞ!!」
残った狩人たちが、蜘蛛の子を散らすように森の奥へ逃げていく。
煙の中、わたしたちは立っていた。
勝った。
「ふぅー……飲んでよかった……最っ高」
「結果オーライですけど、修行、どうするんですか?」
ミスティアの真顔に、わたしは肩をすくめる。
「また断酒、始めればいいんじゃない? どうせまた飲むけど」
「伊吹さん……」
「変わらないわね……本当に」
呆れたように、でも少し安心したようにクラリスが笑った。
わたしも、笑った。
これがわたしだ。
飲んで、酔って、戦って。
それでも進む。
また一歩、酒と向き合う道を歩いていくんだ。




