狩る者と、狩られる者
――森が怯えていた。
風は静かだった。鳥の声も、虫のざわめきもない。
木々はただ、黙ってその枝を揺らしているだけだった。
けれど、わたしの五感が訴えていた。
この森に異物が入ってきている。
冷えた空気の中、背中に嫌な汗がじっとりと滲む。
「……静かすぎる」
わたしはそう呟いて、腰に下げた《酔楽の酒葬》をそっと撫でた。
いつもなら酒気を感じるだけで安心できるのに、今は――何も感じない。
断酒中だもの。仕方ないよね。
「……何者かが、森に踏み込んでいるのは確かです。足跡もあります」
ミスティアが低く囁き、杖の先で湿った土を示す。
草の葉が倒れ、小さな踏み痕が連なっていた。
「獣の通り道ではありませんね……幅が広すぎるし、深さが一定です」
「足音もなかった。ってことは、相当数が慎重に動いてるってことだな」
クラリスが剣を抜いた。鞘走りの音が、やけに乾いた音を立てる。
「行こう。……何が起きてるか、確かめなきゃならない」
◆
森は冷たく沈黙していた。
静寂を破るのは、わたしたちの足音だけ。
その一歩一歩が、場違いな存在だと言わんばかりに木々に拒まれている気がした。
やがて、草木の陰から、淡い光が差し込む。
――焚き火の明かり。
「……誰かいる」
クラリスが呟いた。
わたしたちは気配を殺しながら、焚き火の先にある小さな広場に身を潜めた。
そこには、数人の人間がいた。
男ばかり。粗末な革鎧をまとい、武器を持ち、焚き火の前で肉を焼いていた。
その横には見覚えのある――
「……エルフ?」
細い手首。細長い耳。目隠しをされ、縄で縛られたまま倒れている女性。
生きている。だけど、苦しそうに呻いている。
怒りが、腹の奥から吹き上がってくる。
「何してやがる、あいつら……」
「……会話を聞いて。突っ込むのはそれから」
クラリスがわたしを制止した。
その時、ひとりの男がこう言った。
「おい、急げ。これで五人目だ。血が冷める前に詰めとけ。運搬は明朝だぞ」
「うっし。……それにしても、この森の連中は肌ツヤが違うな。発酵が早い」
「だろ? あの女から絞ったヤツなんて、ひと瓶十万で売れたんだぜ?」
「上物だよな、エルフ酒。手間はかかるけど、好事家にはたまらんらしい」
「若いやつのほうが香りが濃いらしいぞ。味も、な……」
吐き気がした。
「……よし殴ろう」
気づけば、わたしは拳を震わせていた。
酔ってもないのに。火霊の雫の余韻もないのに。
頭が熱い。喉の奥が焼けそうに乾く。
でも、それ以上に――胸の奥がぐらぐらしていた。
「……なあ、酒ってそんなもんか?」
小さく、呟いた。
ミスティアとクラリスがわたしを見た。
「わたしにとって、酒は“楽しいもの”だ。バカみたいに笑いながら飲んで、誰かと語って、ちょっと泣いて、でも、最後には“いい夜だった”って思えるもんだ」
焚き火の音が耳に痛いほどに静かだった。
わたしは、立ち上がった。
「……お前らの酒は、誰かを踏みつけにしてまで飲むもんなのかよ!!」
声が森に響き渡った。
狩人たちがこちらに気づく。
「な、なんだ――」
バサッと木の枝を掻き分け、わたしは飛び出した。
正面の男が慌てて槍を構えるが、遅い。
《酔乱槌》――飲んでないのに、つい叫んじまった。
金棒《酔鬼ノ号哭》が地面を叩きつけ、火花が弾ける。
「誰かを蔑ろにして飲む酒なんて、ごめんだ!!」
「伊吹っ!」
クラリスとミスティアが駆け寄る。
「戦えるの!?」
「酔ってないけど、ブチ切れてるからたぶんいける!!」
わたしの叫びに、クラリスが笑った。
「十分!」
「やるしかないですね!」
わたしたちは三人並んで駆け出した。
焚き火の影から、次々と狩人たちが現れる。
腕の立つヤツらばっかりじゃない。けど、刃を向ける覚悟はある。
わたしは、ぐっと唾を飲んだ。
――飲んでない。バフもない。
でも、止まれない。
「覚悟しとけよ、クズども!!」
金棒が唸り、戦いが幕を開けた――!




