火宴の晩餐
──あれだけの炎が吹き荒れたというのに空気は澄んでいた。
ドワーフの鉱山は、わたしたちの凱旋を祝うように煙突から白い湯気を立ち上らせていた。
赤銅の瓦、黒鉄の路地、そしてあちこちで焼かれる獣肉の香り。
鼻の奥をくすぐるスパイスの匂いに、わたしの胃袋は「戦いよりこっちが本番だ」とばかりに鳴き声を上げた。
「……つっても、まさか本当に残ってたとはな。イヴァンの野郎、酒だけはちゃっかりしてやがる」
そう言ったのはグラン。片手には埃をかぶった《火霊の雫》の樽があった。
「これ、ほんとに飲んじゃっていいの?」
「ふん、飲まれずに腐るくらいなら、燃え尽きちまったほうがマシってもんさ。あいつの、いや、あいつらの作った“火”だ。送り火にはちょうどいい」
グランはそう言って笑い、鼻を鳴らした。
蔵の中は冷えていて、瓶の中の液体はまるで炎を閉じ込めたように赤黒く、艶めいていた。
わたしは腰の瓢箪《酔楽の酒葬》に手をかける。
「じゃあ、今夜は盛大にやっちゃいますか!」
──ということで始まった、ドワーフたちとの祝祭。
◆
「ぐおぉぉぉぉぉっ!! この辛さァァァが、たまんねえんだよッ!!」
「ちょ、マジで火ぃ吹いてんじゃんあの人!?」
真っ赤に焼かれた石の上で焼かれるのは、炎鳥の心臓。
特製の唐辛子酒に漬けて熟成させたあと、マグマ石で直焼きにするという狂気の料理。
じわ……とあふれる肉汁に、辛さと香ばしさが混じって──わたしは思わず目を潤ませながら叫んだ。
「辛い! うまい! ……けど、ほんっとに辛い!!」
「伊吹さん、お水を!」
ミスティアが差し出してきたのは……透明な液体。
「あ、ありが──ってこれ炭酸水かいッ!! よけいヒリヒリするんですけどぉぉぉ!?」
周囲のドワーフたちは腹を抱えて笑ってるし、クラリスは「最初に言ったのに」とツッコんでくるし、まったく、祭りってやつは情け容赦ない。
でも、嫌いじゃない。
こういう、わいわいと笑って騒いで、痛くて泣いて、でも「生きてる」って感じがする時間。
「さ、そろそろ火霊の雫、行っとくか?」
グランが両手で慎重に抱えていた木樽の蓋が、ぎぃ、と音を立てて開かれた。
中から立ち上ったのは——炎だった。
皮膚はぞわっと粟立ち、喉の奥がからからに渇いていく。
「……これが、《火霊の雫》……?」
特別な時にしか飲めないお酒。
百年に一度しか造れないとか、飲んだものは三日三晩、良いと恍惚の中を漂うと言われているお酒。
グランが無言でうなずいた。
彼のごつごつとした指先が、琥珀色の液体をひと匙、銀のカップに注ぎ込む。
その瞬間、あたりにぶわりと香りが広がった。
焦がしキャラメルのような甘さと、焚き火の残り香のようなスモーキーな気配。
長く息を潜めていた酒精が、ようやく目を覚ましたように、静かに、でも確かに、五感を揺らしてくる。
受け取った銀杯を、そっと鼻先に寄せた。
濃密な香りが、わたしの中の何かを燃やすように染み込んでくる。
熱い。香りだけなのに、舌がひりつくような錯覚を覚える。
喉が、ごくりと鳴った。
もう、我慢できなかった。
「——いっただき、ますっ」
杯を傾け、ひと口。
……熱い。
まるで、飲む炎。
口の中に広がった琥珀の液体は、一瞬のうちに舌を、喉を、胃を焼き尽くしていった。
でも、それはただの灼熱じゃない。
痛みじゃなく、力だ。
身体の奥に火種を落とされたような感覚。
樽で寝かされた年月が生み出す芳醇な深みと、焦がし木の香ばしさ、果実の酸味、そしてほんのわずかな甘さが複雑に絡み合い、火山のように爆ぜながら体内で暴れ回る。
「っはあ……っ、これ……やっば……!」
全身から汗が噴き出した。
顔が真っ赤になっているのがわかる。
でも、それ以上に——脳が冴えている。
視界がはっきりする。
耳が遠くの焚き火の爆ぜる音を拾ってる。
心臓が、打ち上げ花火みたいにドクンドクンと全身に血を送ってる。
これだ。
これが、酒バフの予感。
身体が、この炎を喜んでいる。
これはもう、確実に来てる。
火霊の雫が、わたしの中の酒神の加護と共鳴し、新たな酔いの力を目覚めさせた。
視界の端で、グランが目を細めて笑っていた。
「……火を恐れぬ娘だ。いや、火と踊るか。まったく、えらいもんだな」
「お褒めに預かり光栄でぇっす……っふあああああああ、でもまだ喉熱いぃぃぃぃっ!」
地面に転がって、のたうち回る。
心までしっかりと酔っていた。
ああ——こんな酒、異世界にあるんだ。
しかもこれが、ドワーフたちが伝説として語り継いできた秘蔵の一滴だったなんて。
もう一杯。
いや、もう何杯でも。
全身全霊でこの火を受け止めたい。
だってこれが、わたしの——いや、わたしたちの“祝杯”なんだから。
◆
夜が深まるにつれ、テーブルには次々とドワーフ料理が並べられた。
「これはなに?」
「ん? ドワーフ式の“石鍋チーズフォンデュ”さ。石板を焼き、その上で地底牛のチーズをとろけさせるんだ」
地底牛。地下で暮らす牛のことで、ミネラル分の多い水と草で育ったせいか、脂がやたら甘い。チーズも濃厚で、クセになる。
「パンとか野菜につけるのが定番だけど……伊吹、お前さんならきっと“肉にチーズ”だな?」
「わかってんじゃーん!!」
串に刺した赤角猪のソーセージをチーズにどっぷり沈めて……ぱくっ。
あっ、これ、やばいやつだ。食べ物で理性がふっ飛ぶやつだ。
「ぐぅ……幸せって、こういう味……」
他にも、黒麦パンを丸ごとくり抜いて作った「濃厚ビーフシチューパン鍋」
骨付きの「岩羊のビール煮込み」
ドワーフ秘伝の「煤糖を使った焦がしデザート酒」など、出てくる料理全部が飯テロの極み。
胃袋が、今日だけで2ランクくらい成長してる気がする。
「……ねぇグラン」
「ん?」
「わたし、“火”って好きかもしんない」
「へぇ。そりゃまた、珍しいことを言う」
「だって、あったかくて、うるさくて、ちょっと手を焼くけど──一緒にいると笑っちゃうんだ」
グランはしばらく黙っていたけど、やがて、杯を傾けてこう言った。
「……お前の熱さで、こっちまで酔っぱらいそうだ」
「なあに、もっと強いの持ってくっから」
──もっと酔いたい。もっと笑いたい。もっと、誰かと火を分かち合いたい。
そんな気持ちが、わたしの中で静かに燃えていた。




