酔いどれ熊亭の悲劇
発酵スライムの討伐を終えた私とクラリスは、依頼主の宿酒場「酔いどれ熊亭」へと戻ってきていた。
石造りの建物からは、こもったような酒と炭の匂い。どう見ても健全とは言いがたいが、いまの私はその看板を見るだけでテンションが上がる。
「ふっふっふ……ようやく、飲み放題チケットの本領発揮だ……!」
「伊吹、まだ酔い残ってるでしょ。顔が赤いし、目が……据わってるわよ」
「大丈夫。飲めば治る。これは迎え酒案件!」
勢いよく扉を開けると、中は昼間だというのにすでに酒盛りの真っ最中。木製のテーブルが所狭しと並び、酔っぱらいの笑い声が充満している。
昼間っから盛況なのは、いい宿酒場の証だ。
「おーっ、あんたらかい! 発酵スライム、やっつけてくれたんだってな!」
豪快な声で出迎えてくれたのは、依頼主の宿主――熊のように大柄な親父さんだった。筋肉で引きちぎれそうな前掛け姿、まさに酔いどれ熊亭の名を体現している。
「討伐完了! チケット、お願いします!」
「へっへっへ、ほれ、7日分の飲み放題券だ!」
分厚い紙束を受け取り、私は思わずガッツポーズ。
「神か!? 酒神の使いか!?」
「早速一杯いくか? ウチの地下で寝かせてた“スライム発酵ワイン”が残っててな。ちょうどいい祝い酒になるぜ」
「飲むッ!!」
目の前に置かれたのは、くすんだ赤褐色の液体が注がれたジョッキ。少しだけ粘り気があって、泡がうっすら浮かんでいる。
ちょっと嫌な予感……
「討伐お疲れさま、クラリス」
「ええ。あなたもおつかれ」
「「乾杯!!」」
そして、私はその一杯を――
――ごくっ。
「……」
うっすらと笑っていた口元が、ピクリと引きつる。
これは……酸っぱい? いや、苦い? それとも……生きてる?
いや、生きてるでしょこれ!? まだ醗酵途中なのでは!?
「――ッッまずぅぅぅぅぅぅうう!!!!!」
私は絶叫しながらテーブルをばしんと叩いた。
「またか……またこれか……!」
口の中に残るどろりとした後味。アルコールはしっかり効いてくるのに、味は地獄。しかもこのあと、まだ6日分も飲み放題が残ってるという拷問付きだ。
私は天井を仰いだ。
「……神様。どうしてこの世界には、ちゃんと美味しいお酒がないんですか……?」
「そう?普通じゃない?」
クラリスは気にしてない様子で木のジョッキを傾ける。
「そういえば伊吹、あなたってさ。なんで冒険者になったの?」
「え?」
「いや、初めて会ったときは魔王討伐しないかってナンパされて、ギルド登録のときは酒酒言ってたから、目的があるなら聞いておきたいと思って」
私はジョッキを回しながら、少し考える。
あの夜、宿屋のベッドで、二日酔いの頭を抱えながら決めたこと。
あのときの気持ちは、今でも鮮明に残ってる。
「……この世界には、まだ“本当に美味しいお酒”がないの」
「え?」
「私はね、飲みたいんだよ。心から美味しいって思えるお酒を、誰かと一緒に楽しく味わいたい。クラリスとだって、同じお酒を『美味しいね』って言い合いたい」
私はゆっくりと、腰の瓢箪を撫でる。
「この瓢箪、魔法の装備なんだ。お酒が出るの。でも、今の私じゃ度数の低いお酒しか出せない。そして出せたとしても、私以外には飲ませられない」
「それって……」
「うん。レベルを上げれば、もっと強いお酒が出せるようになる。だから私は旅をする。この世界をまわって、美味しいお酒を探して、自分の力も高めて――」
私はまっすぐクラリスを見た。
「最終的には、魔王を倒して、“神様のお酒”を飲む。それが、私の冒険の目的」
「……神様の?」
「うん。ちょっとした縁があってね。私しか知らない、とびきりのお酒がある。バッカス様の“神酒”ってやつ」
「ふふ……なんだそれ。夢みたいな話ね」
クラリスはそう言って、でもすごく優しく笑ってくれた。
「いいじゃない。私は付き合うよ。美味しいお酒、見つけよう。一緒に飲もう」
「うん!」
私は乾杯し直すように、ジョッキを掲げた。
「この旅の目的は決まった。――酔っぱらいによる、酒のための、酒探し!」
「なんか言い方が悪化してない……?」
「気のせいだよクラリス」
「はいはい」
クラリスは苦笑いしながら、ジョッキを掲げる。
「でもその前に、もうちょっとマシなお酒探そう。ね?」
「賛成。いますぐ!」
そうして私たちは、もう一度乾杯してマズい酒に文句を言いながら、2杯目を注文した。




