焦熱と氷泡
火が笑っていた。
いや、正確には――あの鎧の中身。
蒸留騎の魔力が燃え盛る蒸留所ごとわたしたちを焼き払おうとしていた。
辺りは爆音と熱波の嵐。
足元が炭になるより先に、肺が焼かれそうな空気だ。
視界に映るのは、爆ぜる蒸気、焦げた煙、そして……ふらつくミスティアの後ろ姿。
「ミスティア!」
声が割れる。あの子の身体が――高熱に晒された泡の精霊布がついにひしゃげた。
けれど彼女は、ふっと笑ったのだ。
まるで、この惨状を歓迎するように。
「伊吹さん。わたし、気づきました」
ミスティアが泡だらけの杖を構え直す。
彼女の髪先に宿る水気が、一瞬で凍り、霜を帯びた蒼に変わっていた。
「泡沫とは……すぐに消えるもの。だからこそ、すべてを包み込めるのです」
《泡沫魔法・凍泡――フリーズフォーム》
それは、はじめて見る魔法だった。
ぶつかる熱を凍らせる――そんな単純なものじゃない。
あれは、泡を凍らせる魔法だ。
ひとたび杖先から弾けた泡は空気に触れた瞬間に凍結し、水晶のドームのような薄氷の幕を張った。
そこに、蒸留騎の攻撃が炸裂する――はずだった。
だが。
爆音が消えた。
「な……に……?」
蒸留騎の魔力が泡に飲み込まれて、音も熱も中和されたのだ。
泡が衝撃を抱き込み、拡散させ凍って封じた。
「泡は熱を中に閉じ込めることができます。しかも炭酸が混ざれば、爆風の拡散すら抑えられる。あとは凍らせるだけ」
ミスティアが凛と告げた。
「爆発を包み込む、気泡の盾――それが、《泡沫魔法・凍泡:フリーズフォーム》です」
わたしは息を呑んだ。
とんでもねぇな、お前。
「それ、いつ思いついたの?」
「……たったいま、です」
「天才かよ!」
ミスティアが恥ずかしそうに頬を染めた。
いや、こっちはもう湯気どころか、涙出そうだっつーの。
そして、爆発が封じられた瞬間――クラリスが動いた。
「伊吹、いま!」
凍結した泡の合間を抜け、クラリスの剣が駆ける。
彼女は火傷を恐れず、溶けた床を踏み抜きながら、蒸留騎の正面に躍り出た。
「っ……貴様ら、俺の業を、嘲るなああああ!!」
蒸留騎の咆哮とともに、もう一度、魔力が炸裂する――だが、その火は、届かない。
「クラリス、いけぇぇぇぇぇぇっ!」
泡の壁が冷気とともに再び展開。
弾け飛ぶ火の粒をことごとく受け止めて、砕け、凍り、拡散する。
クラリスの剣が、その中心を貫いた。
《閃律剣・ラピス》
――金属音。
鎧の左肩が砕け、蒸留騎が初めてよろめいた。
「ふ……っ、ははは……! この程度で……!」
蒸留騎が笑う。
「まだやる気かよ、あの爆発おじさん……!」
わたしの手は、すでに腰の瓢箪を握っていた。
冷えた泡が熱を制し、剣が鎧を砕き――そして次に来るのは、わたしの役目だ。
だって、わたしは――
火を呑むために来た。
◆
戦場の空気がわずかに変わった。
泡がもたらした静寂の中、蒸留騎が次の攻撃を溜めはじめる。
だが今のわたしたちは、もう奴の爆発に怯えていない。
なぜなら、ミスティアが新しい可能性を見せてくれたからだ。
彼女の魔法はまだ未完成かもしれない。
それでも、戦況を変えた。
「ミスティア」
わたしは背中越しに呼びかける。
「あと、何発いける?」
「……あと、三回。泡を凍らせるには、かなりの魔力を消費します」
「三回、か」
わたしは口角を上げる。
「なら、その三回のうちに――決める。クラリス、ついてこれるか?」
「当然!」
頼もしい返事だ。
あとは――爆発とタイマンするだけ。
ゆっくりと瓢箪の栓を抜いた。
中から立ち上るのは、琥珀色の香気。
かすかに、樽の焦げた木の香りがした。
それは、《火霊の雫》の残り香――
わたしの中で、何かが、はじけた。
(……再現できる)
その瞬間――酔楽の酒葬が震え、酒精が爆ぜた。




