ワインより熱きもの
――美しい。それが、最初に浮かんだ感想だった。
葡萄姫の周囲には、万華鏡のような光が満ちていた。
赤と白、情熱と静寂。
二色が混ざり合って生まれる淡いロゼの光が夜の広場を神殿のように染め上げている。
「ご覧なさい。これが“完成された美”よ」
葡萄姫はグラスを掲げた。
その液面が微かに揺れるたび、香りが風に乗って広がっていく。
甘く、熟れた葡萄とバラのような香気。
香りだけで、意識が蕩けそうになる。
「戦いなんて、醜いだけ。争うより、酔いしれていればいいのよ」
ゆっくりと舞うように一歩、二歩。
そのたびに地面の赤が泡立ち、白が輝く。
――美の完成。
だが、わたしたちは悟っていた。
（こんなもん、ただの“麻酔”だ）
は唇を噛み締め、金棒《酔鬼ノ号哭》を構えた。
「美しいもんばっか見せられても、腹は満たされねぇ。
わたしは――熱いもんが欲しいんだよ！」
駆ける。
金棒を横薙ぎに振り抜くが、葡萄姫の指先の一閃で弾かれた。
赤のワインが炎となって弾ける。
「《赤の醸術・激情の渦》！」
灼熱の香りが吹き荒れ、身体を包む。
その熱の中に、白ワインの冷気が混じった。
「《白の醸術・静寂の抱擁》」
熱と冷、衝突する二重の流れ。
理性と激情が混ざり合い、空気が裂ける。
その中で、クラリスが剣を掲げた。
「伊吹、まだ立てる？」
「立つに決まってる！」
「じゃあ――燃やしましょう。“美”なんかよりずっと熱いものを！」
クラリスの声が戦場に響いた瞬間、彼女の剣が真紅に光る。
「《閃律剣・ヴァレンシア》！」
赤の奔流を断ち切る剣閃。
ミスティアが続けざまに詠唱を走らせる。
「《泡沫魔法・穿突：スパークリングスピア》！」
白泡の槍が炸裂し、葡萄姫のドレスに飛沫を上げる。
赤と白の魔法を、赤と白の仲間で相殺する。
そして――その中心に立つわたしが、再び瓢箪を掲げる。
「……足りねぇな」
わたしの声が低く響く。
「“美しい酒”だけじゃ、心が酔えねぇ。
わたしが飲みたいのは、血が騒ぐ“熱”の酒だ！」
――ぱしゅん！
瓢箪の口が弾けた。
泡立つ音がした。
だが、それはワインのように芳醇で、同時にビールのように弾けていた。
白と赤の光が混ざり、淡い桜色の泡が身体を包み込む。
「これは……！」
ミスティアが息を呑む。
「酒気が……安定してます。赤と白、両方の色が――！」
「《バランス強化・ロゼフォーム》！」
瞳が、深紅と白金の光を宿す。
髪が風に舞い、酒気が蒸気のように立ち上る。
葡萄姫がその姿を見て息をのんだ。
「……それは、まさか。あなた、赤と白を……両方、受け入れたの？」
「当たり前だろ。
飲み比べもせずに“好み”なんて語れねぇよ！」
酒の香りが爆ぜる。
金棒に纏う泡が、淡いロゼ色に染まる。
「行動切替、連撃補正、硬直無効……！」
ミスティアが分析を口にする間もなく、わたしは動いていた。
――速い。
それまでのどのフォームよりも、軽く、しなやか。
攻から防へ、防から攻へ。
その切り替えに一切の隙がない。
「《酒技・酔乱槌》！」
金棒が地を砕く。
爆ぜたロゼの泡が、衝撃波を生み、葡萄姫のドレスを裂いた。
「っ……！」
葡萄姫が赤へ、白へとグラスを切り替えるが、わたしの動きがそれを上回る。
ロゼフォームの加速が“切替硬直”を完全に潰していく。
「お前のワインがどんだけ美しかろうが、わたしらは――」
わたしの背にクラリスが立つ。
「――もっと泥くさい世界で生きてるのよ！」
クラリスの剣閃が赤の香を断ち、ミスティアの泡魔法が白の結界を崩す。
葡萄姫の表情が初めて、苦悶に歪んだ。
「なぜ……こんな、熱に……！」
「お前がワインで作る“美”は、冷たすぎるんだよ」
笑いながら叫ぶ。
「酒は美しいだけもんじゃねぇ。誰かと笑って飲むから、うまいんだ！」
「《酒技・烈酒爆破》」
金棒を振り下ろした瞬間、酒気が爆ぜ、ロゼ色の炎が一面を照らした。
甘くも熱いその香気が、葡萄姫の結界を焼き崩す。
「……馬鹿な……この香りは……！」
葡萄姫のグラスが砕けた。
「ロゼは“均衡の美”……。なのに、どうしてこんな……熱を……」
「それが――“生きてる味”だからだよ」
ロゼの泡が空へ舞い上がり、夜空を染める。
赤でも白でもない、温かな色。
「これが、わたしたちの“乾杯”の色だ」
わたしはやさしく微笑む。
その泡は未来へと続く祝杯のように輝いていた。
