発酵の怪物
裏山の洞窟は、思っていたよりも深かった。
「酒場の裏手にこんな洞窟があるって、ちょっと怖くない?」
「そりゃあ普通は入らないからね。発酵スライムが出るまでは、誰も気にしてなかったらしいよ」
クラリスの鎧が歩くたびにカチャリと音を立てる。その隣で私は、腰の瓢箪をゆらゆらさせながら、薄暗い洞窟を進んでいた。
鼻を突く刺激臭がだんだん強くなってくる。
発酵スライムが現れたのは、洞窟の最奥だった。
「……んっく、くさっ」
鼻をつまむ間もなく、むわっとした発酵臭が全身を包み込む。ワイン酵母が死ぬ寸前みたいな、酸味と腐臭が混ざったやつ。人類に対する嗅覚テロだこれは。
そして現れたソイツは、どす黒い紫色のドロドロした本体に、無数の気泡がボコボコと湧いていた。
中には砕けたワイン樽の破片が混ざってる。ていうか泡からツンとくるの、アルコールじゃない?
「クラリス、あれ……酔ってる。完全に酔っぱらってるスライムだよ」
「それで暴走してるのか……!」
向こうがこちらに気づいた瞬間、スライムはブシュウゥゥッ!と泡を噴射して襲いかかってきた。
「来るよ、伊吹!」
「任せて!」
腰にぶら下げた瓢箪に手をかける。
私の装備――魔法の瓢箪《酔楽の酒葬》は、今のレベルじゃビールや軽めの果実酒くらいしか出せない。でも、それでも十分!
「うおおおおおおっ!!出ろぉぉ、ビールォォォォ!!」
魔力を込めると、腰の普通サイズの瓢箪が一気にふくらみ、大砲みたいな太さになる。そして――
ドバアアアアッ!!
泡立つ黄金色の液体が勢いよくスライムに噴射される。
スライムにビールの泡が激突して、バシュッと派手な音を立てる。
「よし、当たった!」
そして私は――ごくっ。
「私も飲むッ!」
視界が鮮やかになる。心拍が上がる。身体が軽い! これは……
「……酒バフ、発動ッ!!」
ビールによるバフ効果――《俊敏上昇・スプリントフォーム》が発動!
しかも私、今いい感じにほろ酔い状態! テンション上がってきたぁ!!
背中の金棒を引き抜く。
鉄のように重い武器を片手で軽々と振り回すと、風圧で髪がぶわっとなびく。
そして爆裂テンションで叫んだ。
「酔っぱらい上等――覚悟しなさい、発酵ススライム!!クラリス、援護お願い! 私が突っ込む!」
「了解!」
洞窟の地面を蹴ると、自分でも笑えるくらいの速度が出る。
スライムの泡を左右に跳ねてかわし、一気に間合いへ――!
「こちとらビールで酔ってんだよぉぉぉお!!」
金棒を両手で握り、スライムの横っ腹に渾身のフルスイングを叩き込む!
――ドゴォォォン!!
どす黒い紫色の弾力ボディが大爆発して、ワイン樽の破片が四散した。
中から変な匂いの蒸気も吹き出すが、気にしてる場合じゃない。
「クラリス、追撃お願いっ!」
「任せなさい!」
クラリスの剣が閃き、スライムの中心核を真っ二つに斬る。
ぶしゅうっと空気が抜けるような音がして、スライムはぐにゃりと崩れた。
気がつけば、洞窟の中は酒と腐敗と勝利の匂いで満たされていた。
「……終わった?」
「終わった……でもちょっと、気持ち悪い……酔いすぎた……」
「伊吹、あなた明らかに飲みすぎよ。あと金棒、重くなかった?」
「酔ってればなんとかなる。テンションが上がれば物理も強い。それが酒バフというやつだよ、クラリス……うぷっ」
「ダメじゃん……」
「酒バフの副作用……頭痛と、吐き気と、謎の多幸感……ッ!」
洞窟の入り口まで戻ってきた私たちは、鼻をつまみながら顔を見合わせた。
「発酵スライム、強敵だったわね」
「うん……でも私、今日またひとつ、お酒の可能性に目覚めた気がする」
「酔っぱらっただけじゃん……」
「でも、勝ったから……よし!」
そんなこんなで、発酵スライム討伐は無事完了。




