僕は宇宙飛行士
記憶が無いと言う事には、何にも変え難い恐怖がある。
青い、蒼い、丸い・・・こうして眺め続けて何ヶ月がたっただろうか。
6m四方の大きな部屋の一面はガラス張りになっており、その前に設置された椅子に腰掛けたまま、僕は遠くに見える地球を眺めていた。
ちょうどアメリカ大陸の東海岸側に大きな雲の渦ができているのが見えた。あれが資料で見たハリケーンか。
地球の形がはっきりと丸に見えるほど離れているわけでは、ないので、どうやら地球の衛星軌道上を浮遊しているようだった。
宇宙船の中には、いくつかの部屋があるが、僕はこの部屋が一番気に入っていた。全体が大きなコックピットと行った感じの作りで、左右に椅子が一つづつ並んでおり、その真ん中に座っていた。僕は司令席と呼んでいた。もちろん部屋の名前は司令室だ。
大体起きている間は、筋力を落とさないためにトレーニング室でトレーニングをするか、資料室で資料を読むか、何もする事がなくなれば、こうして司令席に座り、地球を眺めていた。
今日も起きてから、資料を調べていたが、やはり何もわからなかった。
今わかっているのは、この眼下に広がる蒼くて広大な星が『地球』という星。そして、その衛星軌道上に漂う『動かなくなった宇宙船』の中で、何もできずに日々を消化しているのが僕。
それだけだ。
僕にはどうやら記憶が無い。
なぜ、宇宙船は動かなくなっているのか、他のクルーはどこに行ったのか。何も思い出せない。
なんなら、今着ているボディスーツの脱ぎ方さえ忘れていた。
おそらく、地球から打ち上げをしたこの宇宙船に何かしらのトラブルが起きたんだろう。しかし、他のクルーがいない事の理由がいくら考えてもわからない。
ガラス張りに見える壁は、実は一面がモニターになっており、手元のタブレットで『地球』と言うファイルを開くと、モニター一面に地球の各地で撮影された風景が広がった。
自動的に移り変わるいくつもの風景の画像を見ていると、中に、とても懐かしい気持ちになる物がいくつかあった。しかし、それと同時により大きな恐怖を感じた。
「もう、帰れないのかな」
今日も、そうやって一日が終わった。
翌朝、自室で起きると、遠くから呼び出しのようなアラームが鳴っている事に気づいた。
音の元を辿るとどうやら司令室から鳴っているようだった。
急いで司令室に飛び込むと、モニターに何者かが映っていた。
見た事のない姿をしているそれは、緑色の肌に大きな頭、目は2つだが、パッと見て異形な姿とわかる物だった。
おそらく『宇宙人』と呼ばれるものだろう。
眠気の残る頭を働かせて考えついた答えがそれだった。
恐る恐るタブレットの応答ボタンを押すと、アラームが鳴り止み、宇宙人が話し始めた。
「貴様は何をしている」
宇宙人は、ぶっきらぼうな言葉でそう尋ねた。
こんな状況は想定していなかったもので、何も言えずにいたが、対応を誤ると、最悪攻撃されてしまうかもしれない。
「あ、いや私は怪しいものではありません。どうやら、宇宙船が故障したようで、この衛星軌道から動けず立ち往生をしているのです」
僕はできる限り敵意が無く、丁寧に聞こえるよう、必死に取り繕った。
「……何を言っている。他のクルーはどうした」
「それが、私が気づいた時には、他の乗組員の姿は無かったのです。トラブルにより、どうやら私は気絶をしていたようで、記憶も曖昧なのです」
宇宙人は、しばらく沈黙を続けた後こう言った。
「わかった。次回までに状況をもう少し把握しておいてくれ、また連絡する」
そう言うと一方的に通信は途絶えた。
いきなり宇宙人から連絡が来るとは想定にない。今の対応が正解だったのか?それより、宇宙人は本当に実在したんだ!それもこんな地球のすぐ近くに通信が送れるほどの距離に!
しかし、通信機器が正常なら、なぜ地球からは一度も通信がこないんだ!
色んな考えが一遍に頭を巡り、軽いパニックになったが、椅子に腰掛け地球を見ていると少し落ち着いた。
確かに宇宙人の言うことももっともだ。
一度は諦めたが、やはりまずは、状況をもう少し把握しよう。
半ば諦めかけていたが、まさか宇宙人に発破をかけられるとは思ってもいなかった。それにしても、あまり危険な感じがしない友好的な雰囲気も感じる宇宙人だったなぁ。
僕の対応が正しかったと言うことか。
そんな事を考えながら、僕はそのまま資料室に移動した。
資料室は、独立したコンピューターが3台あり、奥には巨大なサーバーがいくつも並んでいた。
かなり膨大な資料があるようだが、セキュリティレベルが高い者しか閲覧できないようパスワードによる制限がかかっていて、ほんの一部しか見る事ができないようになっていた。
ここで今までにわかっていたのは、大きくわけて3つ。
まず宇宙船の構造と機能やシステムの解説。
次に船外活動を行う手順や方法、機器の説明。
そして3つ目は、地球に関する事。地球の歴史や世界の仕組み、言語や国ごとの法律や規律。
この数ヶ月、何度も見た情報ばかりだが、これだけでは、何もわからない。
唯一、今までにある程度確信を持って、わかったと言える事といえば、地球のあらゆる言語を見て、理解できた言葉は「英語」と「日本語」だったので、英語が世界の共通言語になっている事を考えると、おそらく僕は『日本人』なのだろう。それだけだった。
資料を念入りに読むと、今回もう一つわかった事がある。
『格納庫』の存在だ。
どうやら小型の宇宙船がいくつか格納されているようだった。
普段あまり近寄らないが、船内には巨大な部屋がある。意識を取り戻した場所が、そこだったので、怖くてあまり近寄る事は無かったが、小型の宇宙船があった記憶は無い。
だが、そこで一つの推論が浮かんだ。
「クルーは、小型の宇宙船を使って脱出したのかもしれない」
これは、新たな発見だった。
もしかすると、今、救助を呼んでくれているのかもしれない。
あの悍ましい姿の宇宙人に殺されてしまうのではないか?そんな心配をしていたが、一筋の希望が見えた気がした。
それから、数日がたったある日、司令室にいると聞いたことの無いアラームが鳴った。
緊急性の高そうなアラームだ。
僕の身体に緊張が走った。
司令室のモニターには小型の宇宙船の姿が見えた。
どうやら、この船に着陸しようとしているようだ。
「なんだ!?救援か?それとも……」
僕は司令室に一丁だけ置かれていたレーザー銃を持って、格納庫へと急いだ。
格納庫には何かが収容される大きな機械音が響いていた。
どうやら、着陸したようだ。
僕は中の音を聞き、『人』が降りてくる音が聞こえるのを待った。
すると、ドサっと何かが落ちる音がして、その後一切の音がしなくなった。
僕は意を決して、格納庫の扉を開け、銃を構えた。
中には直径5mほどの円盤型の物体が明らかに増えていた。
その円盤の羽の下当たりに、宇宙服を着た人の姿が見えた。
仲間だ!怪我をしているのか!?
「おい、大丈夫か!」
僕は駆け寄って、抱き起こし、ヘルメットを取った。
そこには緑色の肌をしたあの宇宙人と同種と思われる生き物がいた。
「ひぃ!」
僕は、小さな悲鳴をあげて、それを投げ出した。
「痛っ……お前、何をするんだ」
それは、まだ生きているようだった。
やはり目の前で見ると一段と怖しい姿をした種族だ。
「す、すまない、大丈夫か?」
「う、う、なんとかな。それより、通信はしてくれたか?」
なんの事かさっぱりわからなかった。
僕は、まず敵意が無さそうな事に安心した。
「なんの事だい?」
「やはり、あの巨大な太陽フレアで通信機は故障していたか……この作戦は失敗だ。撤退するぞ」
なにを言っているのかさっぱりわからなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!何が失敗なんだ?どこに撤退するんだ?」
その時
「お前……記憶が無いのか?」
「そうなんだ!だから何がなんだか……」
そこまで言った時、司令室から呼び出しのアラームが聞こえた。
「俺も連れて行ってくれ」
宇宙人が懇願するので、しょうがなく肩を貸してやった。
司令室に着くと、前回と同じ緑色の体色をした生き物がモニターに映っていた。
宇宙人は、肩を外して1人でヨタヨタと司令席に向かった。
「戻ってこれたか、現状を報告せよ」
「はい、結論から言うと作戦は失敗です。後の者は皆殺されました」
「そうか……」
「紛れ込んで2ヶ月ほどは、皆上手くいっていたようですが、ユナイテッドステイツと言う国の組織によって、次々と攫われていきました。私だけはなんとか脱出できましたが……地球人は思っていた以上に優秀すぎます」
どうやら、この宇宙人は地球に紛れ込んで何かしらの作戦を実行しようとしたが、失敗に終わったようだ。
「では、急ぎ撤退しろ」
モニター越しの宇宙人はそう言った。そして通信は切れた。
「ちょっと待ってくれ!僕を地球に帰してくれ!」
僕は、傷ついた宇宙人にお願いをした。
「何を言ってるんだ……無理だ、着陸用の船に燃料がもうない」
「頼む!俺を故郷に返してくれ!頼む!お願いだ!」
僕は必死になって司令室でぐったりした宇宙人にすがった。
すると宇宙人は身体を起こし、宇宙服からキラリと光る板を取り出した。
「我々の文化には、容姿を気にする習慣がないからこんな物は使わないが、地球の鏡と言うものだ。見ろ」
そこには緑色の体色をした頭の大きな異形の何かがいた。