灰色の町
終業のチャイムが鳴った。一斉に子供たちの歓声の声が上がる。ここは大阪市生野区にあるN町の小学校、六学年の一教室である。教室内は、この時までに学校の規則という抑圧者から受けていた圧迫から、ついに今解き放たれたと言わんばかりに、子供たちの喜びの声が湧きあがった。
彼らは仲のいい者同士が、早速集まって作戦を立てる。
「どうやって、放課後を遊んで過ごすか」
子供たちの話題はこれ一択である。三々五々、普段の遊び仲間たちが集まっては相談が始まる。
「じゃあ、いつものとこで」
話は早い。彼らは早速、荷物をまとめて、校門へと殺到する。ーそんな子どもたちの喧騒の流れの中、Sは一人、誰とも交わることなく、椅子に座ったままゆっくりと級友たちが教室を後にするのを見送っていた。
さてようやく喧騒が収まると、教室内にはSともう一人の級友Tと二人が残されていた。
Sは実はこれを待っていたのである。ーと言ってもこれは最近ではいつものことではあったのだが…。
「T君、今日遊ぼ」
Sは、恥ずかしそうに下を俯いているTに近寄るとそう声をかけた。
実はTもそれを待っていたのである。Tは実に内向的な子供であって、クラスではほぼ孤立していて、遊び友達も皆無に近かったのだった。
「うん、ええよ」
Tは寂しそうな顔から一転、笑顔で答えた。彼もSから声をかけられるのを実は心待ちにしていて、そうして誘われれば嬉しかったのだ。
それではいつものところで、と確認しあうと、二人は別々に学校を後にした。
学校から家までは、通りなれた道である。Sはいつもの下校路を家路へと急いだ。
見慣れた町、見慣れた長屋、見慣れた人々、嗅ぎなれた下町の匂い、嗅ぎなれた工場からの悪臭、聞きなれた町の騒音、人々の声、生活音、これがSの日常であった。いや、世界であった。
多彩な色に彩られた町ではない。モノトーン、それも限りなくグレー一色に染まった町である。色だけではない。匂いも音もである。
しかしSはこの町が好きだった。それは探検する場所が豊富にあったからである。S自身も内向的で友人は少なかった。小学校低学年の頃はそのため決して楽しい日々を過ごしたという記憶がない。しかし高学年になると、彼はその孤独感を別の方法で満たすことを見出したのである。それが町の探検であったということだ。ーこのことはまた後で詳しく触れることにしよう。
さて、彼は家に帰るや、一目散に二階の子供部屋へと向かった。ーこう書くと何か立派な家のように聞こえてしまうから、誤解のないように記述するが、彼の家は通りから通りへと屋根が続く古い長屋の、丁度真ん中ぐらいの所にある、一区画であった。隣の区画、つまり家とは薄い壁で仕切られているだけなので、壁に耳を当てれば隣の家の声が容易に聞こえる。ー夫婦喧嘩などあれば、その全てが丸聞こえと言う、そんな超安普請の家、区画の連続、つまり長屋暮らしを、Sの家族は強いられていたというわけである。
少し詳しく説明しよう。一階は、土間と、3畳の和室ーここでいつも食事をしていたーそして6畳の和室ーここで両親は寝ていたーそして2階であるが、六畳の和室が二人の子供部屋としてあてがわれ、その隣室には2台のミシンがあり、Sの両親は、そのミシンの前に座って、朝から晩までミシンを踏むことを生業として、家族の生計を立てていたのであった。ーと、こう書けば読者は容易に想像できるであろう、彼の家の困窮ぶりを。とは言っても、Sの家庭が特別だったわけではない。N町はそんな町であった。町全体が困窮していたとも言える、つまり困窮した人々の生活する町であったのだ。
話題を元に戻そう。
Sは二階へ駆け上がるとランドセルを無造作に投げ出した。そして隣室の仕事場でミシンを踏んでいる父親に、「遊んでくる」と言い残すと、階下へかけ降りた。そして、外へそのまま土間から一気に外へ飛び出ようとする、まさにその時だった。六畳の居間から母親の声がした。「Sかい?こっちへおいで」と、彼女は彼を呼び止める。呼び止められてはいかんともしがたい。彼は逸る心を抑えて母のいる居間に入った。
母はテレビを見ていた。普段は父と二人でミシンを振んでいるが、お昼は父と交代で休憩をとるのである。今は正にその休憩時間であった。
「遊びに行くのかい。それなら、これを食べてから行きな」
そう言ってテーブルの上の蒸かし芋が盛られた皿を指さした。いつものおやつである。ー当時のおやつはこんなものだったのだ。Sは、母の勧めを断ることもできたが、そう言われれば、確かに小腹もすいている。Sは母の横に座ると「うん」と返事をして、芋を食べ始めた。
「それにしても大変やね。アメリカ言う国も」
母はテレビを見ながらぽつりと呟いた。Sは何のことだか理解できず、その意味を理解しようと、テレビを見た。
見ると、テレビはニュース映像を流している最中である。曰く…。
「ここヒューストンの宇宙ロケット打ち上げ基地は、黒人たちによる大規模な抗議デモにより大変な混乱に陥ってます。州政府はデモ参加者たちに対して、ついには州軍を動員し、徹底的な鎮圧行動に出ており、多数の負傷者が出ている模様です…」
Sはまだ小学6年生である。それゆえ、ニュースの全てを理解したとは言えなかったが、大体のところは理解できた。
要するに、アポロ11号の月面着陸成功以来、アメリカの宇宙開発の気運はますます盛んで、宇宙開発に多額のお金をつぎ込んでいるが、これに対して、貧困生活を余儀なくされている黒人たちが、なおざりにされている差別と貧困問題とに抗議して、「ロケットを飛ばすお金があるなら、自分たち黒人の生活を豊かにするために用いろ、差別もなくせ」、といった抗議のデモをアメリカ各地で繰り広げていると、それに対して、アメリカ政府は、流血騒ぎも厭わず、徹底的に黒人たちを弾圧しているのだと、どうもそんな内容らしい。
「アポロって、ついこの間、月に行ったやつやろ?」
一学期の終わりのころだと記憶している。Sも、月面着陸の様子を生中継で見た。それはたまたま母から市場へ買い物を言付かり、市場で卵を買っていた時だったと記憶している。その店のテレビで、店の人はもちろん、買い物に来ている人まで、黒山の人だかりとなって(当時テレビはまだ全ての家庭に普及しているわけではなかった)、テレビに見入っていた。船長が月面に足を踏み入れた瞬間は、皆が一斉に拍手喝采をしたこともありありと覚えている。
母がぽつりと呟いた。
「あんな豊かな国でも差別はあるんやな…」
そんな母のため息交じりの言葉を聞きつつ、Sは、しかしそれは何かしら遠い国の、自分らには関係のない出来事のようにしか思えず、サツマイモを一気に食べ終えると、「ほな、遊びに行くわ」と、言い残して、外へ出た。
いい天気だった。
目の前にはいつものN町の光景があった。曇りがちの天気で、雲間に隠れていた太陽が、その時には姿を現し、町は明るく照らされてた。ーおそらく普通に見れば、そこには明るいのどかな町の光景が広がっていたであろう。しかし、Sの目には太陽の輝きは何等の影響も与えなかった。ー灰色に彩られた町、そこを覆うどんよりとした空気、匂いを、またもや彼は感じただけであった。
「Sちゃん、遊びに行くんかい?」と、長屋の顔見知りのおばさんが声をかけてくれる。「うん」と、返事をする間も惜しむかのように、彼はTとの待ち合わせ場所に急いだ。
それは近くの公園である…。そこがTとの、最近でのいつもの待ち合わせ場所になっていたのだ。
ただ、公園と言っても、低層アパートがいくつか集合した、おそらくは社宅のような一区画の中に設置された、ブランコやらいくつかの遊具が据え付けられた、本来はそこの住人の子供ための遊び場であったはずだが、それでも、別に管理人がいるわけではなし、近所の誰もがそこで遊んでいるのが常の場所であった。
Tとは、ここのところ毎日、こうしてここで待ちわせてそれから遊びにと出かけているのであった。
なぜそうなったか?なぜTなのか?
自然にそうなったと言えばそうかもいれないが、やはり6年生になってからであろう。いつもひとりぼっちでいるTに対して、次第に親近感を膨らませたのはSの方であった。いつも一人ぼっちで下校するTに対して、Sはいつとはなし、自然と声をかけては、放課後に遊ぶようになったのだ。
Tは、クラスの中でもずっと孤立して、それはS以上であった、独りぼっちでいたから、そうしてSから声をかけられても、最初のうちは、なんだか不審そうにいぶかるのが常であった。それでもSは毎日根気よく声をかけ続けるものだから、Tもついには、しぶしぶ、放課後にSと遊ぶようになったのだ。それが、最近ではこうして声をかけられるのがうれしいのだろう、誘えば必ずやってくる。そして最近では、そんな充実した毎日を二人で過ごしていたのだ。
こうまで執拗にTを声をかけ続けたSであったが、彼自身が5年生ぐらいまでは、クラスでは完全に孤立していた。クラス内に友人と呼べる子はいないと言って過言ではなかったろう。家の近所では遊べる子もいたが、学校ではいつも独りぼっちだった。
なぜそうだったのか?S自身にも良く分からない。おそらく一つには、肉体的、体力的な問題であろうか。彼は3月末の生まれで、いわゆる「早行き」の状態で小学校に入学した。このため、学年では背も低く、朝礼で前から並ぶと、常に最前列近くであった。体格そのものも小さく、クラス内では見た目もひ弱であり、運動能力も低レベル、走れば勝てるものはなく、運動会の徒競走でも常にビリ、体育では出来ないことばかりで皆から笑われる、それでいて、頭脳明晰というわけでもなく、要するに劣等感の塊のような小学生生活を送ってきたのであった。
だから、というわけでもなかろうが、低学年時は女の子と遊ぶことが多かった。3年、4年のころは、水道屋の娘のY子とばかり遊んでいた。それで、よく「女男」とからかわれたものである。低学年時はそれでも良かったが、高学年になるとさすがに女子とばかり遊んでいるのも、周囲の目が気になり始め、Y子とも自然と遊ぶ機会も減り、高学年、5年生ともなると、そういうわけで、一緒に遊ぶ子が周囲にはほとんどいなくなったのである。
もっとも、彼は一人で遊ぶことを苦にしなかった。今で言う、自閉的、という表現が当てはまるのかもしれない、一人で遊ぶと自分のペースで遊べ、誰にも気を使う必要がない、実に気楽であるということに気が付いたのである。このため、5年生のころは、N町の探検をもっぱら一人ですることに、放課後の時間のほとんどを割いていたのであった。
彼の生まれた町は、名をNと言う。大阪の生野区にあり、一言で言えば、「下町」であった。もっともただの下町ではない。
つまり…。
そこは朝鮮人が多数居住する地域であったのだ。Sの通う小学校について言えば、ほぼ半分までは行かないまでも、三分の一以上が国籍は朝鮮籍の子であった。
一言申し上げておかねばなるまい。ここで述べる「朝鮮人」というのは、当時何らかの理由で日本に定住するに至った、朝鮮半島出身者、並びにその子孫のことを述べており、政治的な意図で、「朝鮮人」と呼んでいるのでは決してない。当時の朝鮮半島出身者は、「朝鮮籍」を持つ者がほとんどであり、これは日本の戦後処理の関係でこうなったのであり、彼ら全員が当時の北朝鮮政府を支持してというわけで決してないということを読者は知っておいてほしい。
さらに言うなら、当時は「韓国籍」を持つものの方が少数派であった。韓国籍を持つものは、朝鮮籍のままでは、朝鮮半島にある先祖への墓参が許されないことから、止むに止まれず韓国籍へと変更するものがほとんどであったが、朝鮮籍を持つもので、熱烈な北朝鮮支持者(当時は北を支持する人の方が多かったのであるー今の読者には想像出来かねることであろうが)からは、祖国を裏切ったものとレッテルを貼られることも多く、日本の国内でも微妙な民族間の軋轢が生じていたのである。
いずれにせよ…。
そんな複雑な民族的、政治的諸問題の、ある意味凝縮されたともいえる生野区のN町で彼は生まれたのであった。もっともそこに暮らしている子どもにとって、そんな大人の問題は普段の生活、遊びに大きい影響を与えていたわけではない。いや、ほとんど影響などなかったといってもいいかもしれない…。
そして何あろう、Sは、その「朝鮮人」であった(Tは日本人である)。
そのことを彼はいつ知ったのだろうか?実は彼自身にもはっきり分からないのである。彼のみならず、この町で生まれ育った朝鮮人の子はほとんどがそうだっただろう。
なぜなら、両親は朝鮮語を家の中ではまったく使わなかったし、また、彼の住んでいたN町だけでいえば、実は日本人が比較的に多数居住する地域であったから、周囲でも朝鮮語を耳にする機会が殆どなかったのである。
加えてSは親戚も少なかった。年に何度かある朝鮮独特の法事に参加することはあったが、それも、日本人の法事というものを知らないから、なんだか、知らない言葉(それが朝鮮語であったわけだが)を話す人がいても、そんなことよりは、全く見知らぬ「先祖」と言われる人の写真の前のテーブルに並べられた御馳走を、特に、牛肉料理を、果して自分は食べられるかどうか(彼の兄、また自分より年上の親戚の子たちが先にほとんど食べつくしてしまうのである)、そのことばかりに関心が行く有様であったからである。
自分が実はその「朝鮮人」だということに気が付いたのは、小学校も高学年になってからのことではないかと思い返される。N小学校では、民族学級と言うものがあり、放課後に朝鮮籍の子どもたちは、そこへ強制的に(今ではこれも考えられないことだが)集められて朝鮮の言葉や歴史を教えられるのだが、それにしても、「そこへ行け」と言われるので行った、と言う程度の認識で、自分が朝鮮人だという積極的な自意識を決して持っていたわけでは無かったのである。
そんなN町を、さて、彼は一人ぼっちで探検ごっこをしていたわけである。
彼は毎日毎日、日が暮れるまで、町を文字通り、「隅から隅まで」探検した。それは北は今里ロータリー(無論当時の彼はロータリーの意味など知ってはいなかったが)と呼ばれる所のある大通り、東はどす黒い水が流れる悪臭漂う運河の流れるところと(確かそこには病院があったと彼は記憶しているが)、南は大池橋と呼ばれる交差点がある大通り(ここにはR製薬の本社があった)、そして、西は、市バスの走る大通り、以上の4つに囲まれた地域である。
冒険心に、そのテリトリーを超えて探検に出かけたこともある。北は、その先に大阪城があるらしいと聞いて、自転車でそこまで行こうと思い立ったが、途中で諦めた。N町では見ない大きなビルが増えてくるにつれなんだか怖くなったのである。
東は運河の向こうへと、何度か足を運んだ。今里新地と呼ばれていたところで、そこに行くと、N町のほのぼのした雰囲気とは違う、子供心にも、なんだか大人の怪しい雰囲気が漂っているのを感じて、あまり足を踏み入れなかった。「新地」の意味を知ったのはSが大人になってからのことであったのも言うまでもない。
南は、田んぼがまだまだ当時は広がっており、低学年の頃には、昆虫採集、ザリガニ釣りなど足を伸ばすこともあったが、高学年の今の彼の関心は、そんな緑に溢れた世界にはなく、「灰色」の町の探検にあったのである。
特に最近は、彼は町の探検とは言っても、「路地裏」探検を専らとしていたから、ここへ足を運ぶことも6年生ともなるとあまりなかった。
西は…。これが問題であった。市バスの大通りを超えたところは、I野と呼ばれていたが、なぜだか、ここへは殆ど足を踏み入れたことはなかった。なぜか?それはほとんど本能的なものであったと言ってよかろうか。
通りを超えると街の雰囲気が一変するのである。N町の路地も狭いが、ここではさらに路地は狭くなり、人も多い。立ち並ぶ家も(殆ど長屋だが)小さく、Sの住んでいるN町も、貧しい人たちが多く住む町であったが、それに比べても、子供心に明らかに、家のたたずまい、さらには住んでいる人々の身なりに、さらなる「貧しさ」を感じた。
さらに灰色に深みを加えた色合いの町と言えた。
したがってSは本能的に、この町を探検するのは危険かもしれないと心のどこかで感じてしまったのであろう。結果、市バスの通りを超えて、この界隈を探検することは殆どなかった。
いずれにせよ、一人N町をさまよい歩く、特に路地裏をひっそりと探訪する醍醐味は彼を虜にしてやまなかったのである…。
さて、6年生ともなると、彼は気が付くと結構成長していて、クラスの朝礼の順番も前から6-7番目となり、クラスの中では、やはりひ弱な体格ではあったが、自分よりもさらに、というか明らかにひ弱に見える子が2-3人いることに気が付いた。ーTはそのうちの一人であった。そして、Tは性格も内向的なのであろう、まったく友人もおらず、まさに一人ぼっちである。Sは少しずつTのことに関心を持ち始めた。
「僕も一人ぼっちで寂しい時があった」
SはTもきっと友達と一緒に遊びたいと思っているに違いない、そう思うと、さっそく彼に近づいた。そして放課後積極的に声掛けをするうち、TもSに心を開くようになった。そして今や、ほぼ毎日、放課後を過ごす仲になったというわけである。
二人は公園で遊んだりすることも多かったが、そのうち、Sは彼の得意とする路地裏探検にTを誘うことが、自然と多くなってきたのは言うまでもなかった。Tもこれを楽しみとしたのは言うまでもない。
さて…。
ここで「路地裏」なるものについて解説を加えておかねばなるまい。
それは、長屋と長屋が背中合わせになっている、人一人が通れるぐらいの隙間である。長屋の裏側、つまり長屋の奥であるが、そこは通常、板塀で目隠しをされている。そしてその板塀の裏は洗濯場と便所が設置されていることが殆どで、本来、そんな板塀に挟まれたところは、子供が遊ぶところでもないし、ましてや散歩をするところでもない。ただ、Sは板塀の隙間から垣間見れる家々の様子にとても興味を覚えて、そんな生活空間の裏側から、見える光景、また、漂う空気、時には家人の声の抑揚、などを通じて、その家のこと、すべてに思いをはせ、また、どんな人たちが住んでいるのか、と想像するのことに楽しみを感じたのである。
Tも、この探検にはとても乗り気で、自分にとても親切にしてくれるSに対して深い親愛も覚え、いつしか二人は、この探検を通じて、無二の親友という間柄になっていたというわけである。
さて、この日は、しかし、二人の目的はこの路地裏探検ではなかった。その日は、Tが、新しく販売されることになったプラモデルを買うことになっていて、これにSが付き合って、今里ロータリーの近くにあるおもちゃ屋、そこはプラモデルの品ぞろえが豊富で子供たちに人気があったところだが、に二人で行こうという手はずになっていたのである。
さて…。
ともかくも、こうしていつものようにSは待ち合わせの公園でTを今日も待っていた。
大体はいつも自分が先に来る。今日もそうであった。Tはまだ来ない…。そこで一人でその小さい公園のブランコに腰掛けながら、彼は先ほど、我が家で見たニュースのことに思いをめぐらした。
彼は、小学校6年生なりの頭脳の及ぶ範囲で、精一杯、考えた。
「僕は朝鮮人だ。そしてTはそのことを知っているのだろうか?いや知っているに違いない。知っていて、それでも親しくはしてくれているのだろう。この町はそういう町だ。あのニュースのように、騒ぎが起こったなんて聞いたことはない。でも…」
Sは自問自答を続けた。
「もし、僕たち朝鮮人が黒い肌をしていたら、ひょっとして、僕らも露骨な差別を受けていただろうか?もしいたずらが度を過ぎたりしたら、警察が来て、僕らを叩いたり蹴ったりするのだろうか?」
そう考えると何やら背筋に寒いものを感じてしまって、身震いした。先ほどのニュースで見た、警察官からしたたかに警棒で叩きのめされ、血だらけになった黒人の映像が思い出されたのだ。
このN町では、日本人も朝鮮人も外観上は肌の色も一緒であり、また、等しく貧困生活を送っていた。そこに何等の差別もなかった(と、少なくともSは感じていた)。
「僕の肌が黒かったら、Tは口もきいてくれへんかもしれん」
そこまで考えが至ると、自然とすごく悲しい思いにもなった。
そんな心持で沈んだ気分でいると、そこにTがやってきた。
「ごめんな、遅れて」
Sははっと我に帰った。そしてTの笑顔を見て、彼の沈んだ気持ちは幾分和らいだ。そして快活に返答した。
「それやったら行こか」
「うん」
二人は仲良く連れだって歩き出した。目指すは無論、そのおもちゃ屋である。
どれぐらい歩いただろうか…。Sの目におもちゃ屋の看板が目に入った。
「着いたで」
胸を弾ませておもちゃ屋に入った二人であった。
Tは店に入ると、早速店の店主に声をかけた。
「おっちゃん、あのプラモ、買いに来たで」
そうTが声をかけるや、しかし、店主からは、二人を失望させる返事が返ってきた。
「ああ、あのプラモな、あれまだ店に入ってきてないねん」
「ええ!」
落胆する二人であったのは言うまでもない。
そんな二人に店主が事情を説明した。
「それがな、メーカーの都合で、って、それしか聞かされてへんのや。おっちゃんにもなんでか分からへんねん」
そう言われれば諦めるしかない。落胆して帰ろうとする二人の背中に向かって、すると、店主が最後に声をかけた。
「いっぺん、桃谷の〇〇屋に行って見い、あそこやったら大きいから、ひょっとして入荷してるかもしれん」
そう聞くと、沈んでいたTの心は、一転、弾んだ。店を出ると、TはSに向かって、いつものぼそぼそした声でなく、しっかりした声でこう言った。
「Sちゃん、桃谷、行って見いひんか 、あそこやったら、僕、場所分かるし…。プラモかてはよ欲しいしな」
「桃谷か…」
Sは少し躊躇した。その店の名前は聞いたことはある。大きく、品ぞろえの豊富なことで有名な所だ。しかしそこへ行くためには、あの、先ほど述べた運河の周辺の町を通らねばならない。ーSの心は不安に満ちた。しかし、とSは思った。「Tを落胆させたくない」ーそこで意を決してこう返事した。
「分かった、そうしようか」
こうして二人は、市バスの大通りを渡った。
こうして渡ってしまうと、Sの心に満ちていた不安を追いやるかのように、期待と楽しみがSの心の中で膨れ上がっていった。
と言うのも…。
Sもプラモは好きだったが、当時の家庭の経済状態は決して裕福なものではなく、好きなプラモが販売されるといっても、値段が高価であれば我慢することが常であった。ところが、Tは、おそらくSの家よりは暮し向きが良かったのであろう、好きなプラモの新製品が発売されるとためらいなく買いに出かけるのだ。Sは内心、とてもうらやましく思ったものだ。TはTで、そんなSの心持を察してか、そんなプラモを買うと、「Sちゃん、一緒に作ろう」と言って、プラモ作りにSを誘った。実際、Tはプラモ作りが苦手で、Sは反対に手先がとても器用であったから、TはTでSを共にプラモ作りが出来ることを喜んでもいたのである。
Tはその店へは、親に連れられて何度か行ったこともあるし、おおよその場所は分かると言う。それに、今回の新発売のプラモは、Sも関心があって、何と言っても、あの〇〇シリーズの最新作である、ぜひ、作ってみたいと心もはやったのであった。
こうして大通りを渡った二人はすぐに次に運河を目指した。運河に沿った道は、比較的広く、往来も活発だったので、子供心に、そこを通るのが安全だと思ったのである。町中の路地を通るのは、ことこの界隈にあっては、先にも述べた通り、得策ではないと本能的に感じたからである。
運河、と言ってもどぶ川であったが、そこには運河沿いに、材木工場がたくさんあって、そんな工場のある関係だろうか、運河には多くの筏が浮かべられていた。
ともあれ…。
運河沿いの道を二人は南下した。SはTに従った。二人の頭には新製品のプラモのことしかなく、まっすぐに運河に沿って歩を速めていた。
と、その時であった。
「おい、待て」と、二人の背後から呼び止める声がする…。
SもTも、何だろうと、同時に振り向いた。すると、二人連れの、こちらも小学生であろう、おそらく高学年、やはり6年生であろう、しかし、SとTよりは、二回りも大きい体格の子が、二人をにらみつけている。二人のうち一人は特に背も高く、体格もがっちりしていて、その威圧感に二人は圧倒された。
「…」
急に呼び止められて、S
もTもたじろぐばかりである。ー同時に、すぐに嫌な予感が二人の脳裏に浮んだことも当然であったろう。
普段二人がホームにしているN町では、不良少年というものは殆ど存在しない。そこは下町ではあったが、大人の目が行き届いていたというのであろうか、腕白少年は存在しても、いわゆる、腕力体力を背景に、弱い子供たちにからんで、例えば、お金をゆするとか、脅していやなことをさせるとか、そういうことはまず見られたことはなかったし、事実、Sも今の今までN町でそういう怖い思いをしたことは一度もなかったのである。
N町の外の、東はT、南はT島と呼ばれるところでは、当時は、いわゆる「ガラの悪い土地」であり、不良と呼ばれる輩がいるから気をつけろということは、誰からということもなく耳にしていたし、この運河周辺沿いの町についてもそれは同様であった。それゆえ足を踏み入れるには、そもそも、子供心に勇気を必要とするところではあったが、二人の頭の中は新作のプラモのことで一杯で、まさか今日、この時に、こんなことに出くわそうとは、予期する余裕がなかったのであった。
SもTも、内心しまったと思ったが、時すでに遅しであった。
「おい、お前ら、どこへ行くねん」と、二人のうち、体の大きい方が顔を近づけて聞いてきた。にやにやした顔に潜む敵意を、子供心にSは感じて、彼の背筋はぞっとして、体はすくんで、不安に、胸の動悸が激しくなった。無論、声の出ようはずもない。。
Tも同様で、体がすくんで、即答出来るような状態ではなかった。
そんな二人の反応を見て、彼は、この二人は今日のいいカモになる、と思ったのだろう、さらに体を近づけてきた。そして威圧的に言った。
「おい、お前ら、どこ行くねん、答えろや!」
SとTはぶるぶる震えながらも顔を見合わせた。Tは恐怖に支配され完全に怯え切った顔をしている。それを見て、Sは、自分も怖いのは怖いが、それでもここは時分が答えねば、と思い、あらん限りの勇気をふり絞って、こう答えた。
「そこの御徒山公園まで遊びに行こう思て…」
御徒山、それは大池橋の交差点から西へ少し歩いた所にある、古墳公園である。ー普段は滅多にそこまで足を伸ばすことはないが、時には遊びに出掛ける。ー大通りを歩いて行けるので、多少距離はあっても安全な遊び場の一つであったのだ。
無論、御徒山、とは咄嗟にSが嘘をついたのである。Sは恐れを抱きつつも、ここで、プラモを買いに、などと本当のことを言おうものなら、T君は持ち金全てを巻き上げられるに違いない。ーそう咄嗟に判断して、嘘をついたのであった。
そんなやりとりをしている間も、往来の激しい通りである。大人たちが行き来している。ーさすがにそんな状況で、あからさまな恐喝をするほど、その不良少年たちも愚かではなかった。
「御徒山か…」
体の大きい方の少年は、ぽつりとそう言うと、振り向いて、相棒と何やらひそひそと会話を始めた。そして、それが終わると、再び二人に近づいてきて、こうSとTに告げた。
「そしたら、お前ら、御徒山なんか諦めて、今日は俺ら二人に付き合え、ええか、お前らは今日は俺らの子分になるんや、なんでも言うことを聞けよ」
あからさまな恐喝は諦めても、この二人を子分にしてからかってやろうと、そして、チャンスがあれば、小金の少しでもむしりとってやろうと、そんなつもりになったのであろう。
いずれにせよ、そう言われて、拒否できるはずもない。SとTは完全に意気消沈したまま、この荒っぽい二人連れに従うしかなかった。
「ええか、逃げようなんて思うなよ!」
そう大きい方の少年はきつく言明した。それから、荒くれ少年たちは先だって歩き出した。
SとTもやむなく従った。
「いずれどこかで、ポケットの中の小遣いも巻き上げられるに違いない」
Sはそう思うと、Tにすまない気持ちで胸がいっぱいになり、悲しくなった。見ると、Tはもう完全に顔は青ざめて、体も震えているのが分かる。
「思い切って逃げるか…」
Sは、そう内心思っても、自分は何とか逃げられたとしても、Tは無理だろう、と、あれこれ考えてみたが、いい考えは浮ばない。道ですれ違う大人に助けを求めるか、とも考えはするものの、いざとなると、蛇ににらまれたカエルである、声も出せようはずがない。加えて、不良少年たちもそこは抜かりがない。歩きながら、表向きは、4人の仲良し少年グループ、だと、そおんな風に振る舞っている。
万事休すだ…。
Sはしばらくは成り行きに身を任せることにした。
4人は運河沿いにしばらく歩いた。しばらくすると、駄菓子屋の前に着いた。
大きい方の少年が歩みを止めると、振り返って、SとTに声をかけた。
「おい、お前ら、金持ってるやろ」
ついに来るべきものが来た、とSもTも観念した。観念はしたものの、しかし返答に詰まっていると、大きい方の少年は急き立てた。
「なんか買おう、おししいもん、俺らの分もお前ら払え」
そう言うと、今度は二人は、SとTの背後に回ると、二人を店の中へと駆り立てた。
持ち金をすべて出せと言われるのではないかと、ひそかに恐れていたSとTは少しほっとはしたが、背後からの少年二人の圧を感じて、生きた心地がしなかったのは言うまでもない。
店のおばちゃんは、SとTには初顔であったが、不良少年の二人連れはここの常連であったようだ、「〇〇ちゃん、元気そうやな、相変わらず」と、笑顔で二人に愛想を振りまいている。してみると、二人は決して札付きの悪、ということでもなさそうだ。Sは少しほっとはしたが、しかし、結局少年二人分の菓子代まで払わされてー無論足りない分はTに払ってもらったがーこの先どうなることやらと、不安な心持は、ますます大きくなるのであった。
駄菓子屋を出ると、件の二人は、「付いてこい」と、Sと二人に告げると、どんどんと歩き出した。
歩きながら、Sはこの二人連れの関係が、決して対等と言うわけでもないらしい、ということに気が付いた。それは二人のかわす言動と振る舞いから想像したのであったが、どうも一回り体の小さい方は、大きい方に、なんやら従っているようではあるが、決して言いなりというわけでもなさそうであった。時々、大きい方を諫めるかのように、「お前、やりすぎやで」とか、声が聞こえてくる。それに、彼はSとTにも、あからさまに敵意のあるような言い方をしないし、悪意に満ちた表情を見せない。よく観察すると、彼もしぶしぶ、大きい方の少年に従っている、そんな風に、Sには見えたのであった。
「これなら逃げるチャンスがあるかも…」
Sは必死に思いをめぐらした。
そうこうするうちに…。
駄菓子屋を出た4人は運河沿いに南へと下っていく。大池橋方向である。「まさかほんまに御徒山公園へ行こうとしているのか」ーSは早く我々を開放してほしいという思いで一杯で、あそこの公園なら、二人の目を盗んで姿をくらませてしまうことも可能かとも考えた。
しかし…。
そう簡単な話ではなかった。Tはどうなる?
「彼は僕よりも一回り小さい。当然駆けっこも苦手だ」
彼は一人逃げおおせても、Tを置き去りにしたのではそれも一生の後悔となろう、と考えあぐねたのであった。
すると、運河沿いのある材木工場の前であった。ー先に立つ二人は急に立ち止まった。そして体の大きい方が、SとTに向かって、突然、怒りに満ちた形相で、威嚇するような声でこう言い放ったのである。
「ええか、お前ら。お前らな、日本人やから言うて、えばって、俺ら朝鮮人を馬鹿にすんなよ」
Tは恐怖心でみるみる顔が青ざめていった。Sはそれを横目に見ながら、彼自身は、恐怖心も当然大きかったが、同時に、大きい困惑と混乱を心に覚え、茫然としてしまった。
一瞬頭の中が真っ白になった。
「え?僕も朝鮮人だけど」
内心すぐに思ったものの、それを言葉に出して、彼らに伝えていいものかどうか、非常に困惑したのである。
いや…。
そもそも、この辺りは朝鮮人が多いところだ。顔に日本人、朝鮮人、と刻印が打ってあるわけではない。一目で、子供の国籍を見分けることなんてそもそも出来るはずがない。どうして彼らが、僕ら二人を日本人と決めつけたのだろうか、そのこともひどく不思議に思ったのだ。
「どうしよう」
Sは心の動揺をどうすることもできず、ひたすら戸惑った。Tは、Sが朝鮮人だということをおそらく知っている。無論、それは、お互いに名乗りあったということではない。ただ、N小学校のクラス名簿の順番が、最初は日本人、次に朝鮮人であり、それぞれがアイウエオ順に並んでいてるのであったが、6年生ともなるとそれがどういう意味か自ずと分かるものであり、互いに国籍がどちらかは認識していたのだ。
さて、いずれにせよ、不良少年に威嚇され、Tは恐怖心で、ほとんど反射的に「うん」と頷いて、顔をうなだれてしまった。
それを横目にして、Sは、「えーい、ともかく言ってみよう」と、事態の打開を図るべく、思い切って、彼らにこう打ち明けた。
「あのー。僕は朝鮮人なんやけど」
二人はそれを聞くと、多少戸惑い驚いたようだ。体格の大きい方が、しかし、すぐに、こう反駁してきた。
「嘘つくなよ、お前。お前らな、着ている服を見たら分かるんや。ええもん着てるやないか、それに金も持っとるやん。何よりも顔見たら分かるねん。お前の顔はどう見ても日本人や。分かったか、嘘つくな!」
Sははたと困った。顔が、服装がと言われるとどうにもならない。そもそも決めつけている。確かに、子供心に、朝鮮人と分かっているクラスメイト、近所の子を見ていると、どこかしら顔の輪郭が違うというのを感じる、いわゆる、えらが張っているというのだろうか、それ以外にも、眼や眉や、どこかしら確かに日本人とは一線を画す、何かがあるのは確かであった。Sはそういう点で、その「らしさ」が全くなく、それは母方の血がそうだったのだろう。母もまったくそういう朝鮮人らしさを感じさせない顔立ちで、本名を名乗りさえしなければ、〇△さんは日本人の家庭、と言っても誰もが疑わなかったであろう。
でも、ここは今さら、嘘でしたと言うのもおかしい。
Sは家を出るときに見たニュースを思い起こした。「いっそのこと黒人のように肌の色が違っていたら一目で分かったろうに…」
そんなことを頭の片隅で考えつつ、Sは徐に口を開いた。
「でも、朝鮮人やし、嘘は言うてへん」
二人連れは顔を見合わせて、何やら協議を始めた。しばらくして協議が終わると、体の小さい方が、Sに向かって、こう質問した。
「そしたら、お前、おかあちゃんて、朝鮮語でなんていうねん、言うてみ」
Sは答えた。
「オモニ」
二人は再び顔を見合わせた。
大きい方が今度は尋ねた。
「おばあちゃんはなんて言うねん」
Sは答えた。
「ハマニ(これは標準語ハルモ二の済州島方言である)」
Sの父も母も、済州島にルーツを持っていたのだ。
ここまで答えると、体の小さい方は、「どうもほんまらしいな」と呟いた。しかし体の大きい方は、納得しなかった。
「お前、やっぱり嘘ついてるやろ。ここは朝鮮人多いからな、そんな言葉、どっかで覚えたんやろ」
ここまで、決めつけられるとどうにもならない。
「ええから付いてこい」
大きい方が怒鳴った。彼は先に歩きだした。すると小さい方が、Sに近づくと耳元で囁いた。
「あいつな、ちょっと言い出したら聞かへんねん。まあ、ちょっと我慢せえや」
TはSの横でそれを聞くと横目でSを睨んだ。SはTの視線を感じて、Tにすまないという気持ちで一杯になった。
「ひょっとして彼は、僕が、朝鮮人だと彼らに明かすことで、Tを裏切って、彼ら側に寝返るとでも思っただろうか」
Sはそう思っていたたまれなくなったのである。
「何とかTだけでも逃がして、自分一人が彼らの捕虜になればいいが、さてどうしたものか」
そんな思案で頭は一杯になった。
すると、再び別の材木工場の前で彼らの歩みは止まった。
材木工場の門は閉じられている。大きい方が門の隙間から中を覗くと、こう呟いた。
「車があらへんな。おっさん、出かけたんやな…」
そう呟いた後、彼は振り向くと、唐突に、二人に向かってこう言い放った。
「おい、お前ら、そこの筏に降りろ。降りてな、そこの筏にオシッコして来い」
そう言って彼は運河の堤防にかけられた古びた鉄製のはしごを指さした。
運河には道に沿って、子供の背丈ほどの堤防があり、彼が指さすところを見ると、堤防をまたぐように、運河に向かって梯子がかけられている。そこからは運河に浮かんだ筏に降りられるようになっているのだ。ー材木工場の人間が上り下りするためのものであろう。ーそうSは以前から理解していた。子供心に、恐らく運河を利用して材木を運搬し、こんな下町の工場で何らかの加工をしているのだろうと、推理していたのだ。
そんな梯子は、それゆえ当然、子供のためには作られていない。大人のために作られているのであって、子供がそれを降りるのはとてつもない勇気を必要とすることで、簡単なことではなかった。一歩間違えば運河に落ちてしまうだろう。どす黒い水面を見せているその河の深さはどれぐらいのものなのか、子ども心には想像もつかない。運河にかけられた橋を渡るたび、ここに落ちたら助かるまい、と、そんな思いに物心ついた時から取りつかれていたのであるのも無理のない話ではあった。
無論実際はそんなに深くはなかろう。しかし客観的に考える以前に、一たび転落すれば、永遠の淵に飲み込まれてしまうような、そんな恐怖だけが子どもの心を本能的に襲ったことは、これについては読者は容易に想像できるであろう。
さて、SとTは降りろと命令はされたものの、さすがに足がすくんで動けない。すると大きい方が威嚇を始めた。
「降りい言うてるやろ」
こう大声で威嚇されるとさすがに二人は観念した。それでもSはさすがにTのことを思いやった。Tは一回り体が小さい。加えてSよりさらに気弱でもある。
Sは意を決すると二人に向かってこわごわではあるが、こう言った。
「分かったし、言うこと聞くし。そやから僕は降りるし、降りるけど、この子は堪忍したって、お願いやし」
SはTを指さしつつそう懇願した。
二人はSからの提案に戸惑ったようだ、すると、ずっと黙っていた小さい方が、大きい方に向かって、こう言った。
「お前、もう許したれや。こんな怖がってるやん。もうええやろ。ここのおっさんへのお前の恨みは分かるで…。あの時のお前な…。なあ、ちょっといたずらしたぐらいで、おっさんからあんなぼこぼこにされて、それも朝鮮坊主にはこれぐらいしな分からんやろ、って、ほんまに俺も殺したろかて、思たぐらいや。でもな、分かるけど、こいつらには関係あらへん、ちょっとここで、またいたずらて、こいつらには可哀そうや、それにもし、あのおっさんに見つかったら大変やで」
そう言われると、一瞬ではあるが、大きい方はやや不服そうな顔をした。しかし、ぶるぶると震えているTを見て、彼は憐みの心ではなく、さらに意地悪心を強くしたようだ。そしてこう言い放った。
「そしたらな、(Sを指さして)お前は許したる。お前は朝鮮人や言うし。でも、(Tの方をむいて)お前はあかん。日本人は許せへん。お前は降りろ」
そう言い放つTは、ますます体を震わせ、顔も蒼白となっている。Sはまずいことになったと思ったが、どうしようもない。自分一人が犠牲になることで、自分が朝鮮人だということで、Tを裏切るなんてことは決してないということを、身をもって示したかったのが、真逆の結果になってしまった。
「どうしよう。Tに申し訳ない」そう思うばかりで、心は焦るばかりであった。しかし、ここを切りぬける、Tを救い出す、そんな妙案はもはや思い浮ばなかった。
大きい方に体を小突かれて、Tはもう泣き出しそうな顔をしながら、運河の堤防に上らされている。ついに彼は堤防の上に立たされたが、恐怖からそこに蹲ってしまった。そして続いてわっと泣き出した。
Sはたまらず「堪忍して、僕が代わりに行くし!」と、こちらもついには半泣きの状態で二人に懇願を始めた。すると体の大きい方が、Sに向かって詰め寄るや、手をついて小突こうとしたのを、小さい方が、それを制した。そして言った。
「おい、ほんまにもう堪忍したれや。もうええやろ。お前、これ、やり過ぎやで!あいつ落ちたら死んでしまうで、ほんまに!」 そう諫められても、体の大きい方は、怒りを収めるどころか、小さい方に向かってさえ、語気を強めて吐き捨てるように言った。
「ええことなんかあれへん!俺ら朝鮮人がどんだけこいつら日本人にやられてるんや!あのおっさんもやないか!思い切り仕返ししたらなな、俺は気が済まへんねん!」
こう威圧されても。小さい方が何とか大きい方の怒りを鎮めようといろいろと声をかけているその時だった。ー突然、製材所の方から大人の怒鳴り声がした。
「こら、お前ら、そこで何やってんねん!お前らか、いつもうちの材木にいたずらすんの!」
見ると製材所建物の2階から、おそらくその家の主だろう、身を乗り出して、4人に向かって怒りを露わにして叫んでいる。
怒鳴られた4人は反射的に家の方を振り向いた。すると男は、二人連れの大きい方の子どもの顔に見覚えがあったらしい。「あの坊主だ」それと認識したのであろう。続いてこう言い放った。
「やっぱりこの前の朝鮮坊主か!お前、殺したるからな!今そっち行くし、逃げんなよ」
恐怖に体がすくむSであった。時間が止まったように感じられた。静寂が一瞬その場を支配した。ーしかしそれは長くは続かなった。
「逃げろ!」
そう叫ぶや、二人組は一目散に逃げ出した。Sもはっと我に返った。彼はTを堤防から降ろすと、恐怖に体がすくんだままのTの手を握ると、二人のあとを追って逃げ出した。人間の本能で、つい、それが最善の方法と、二人のあとを追ったのであった。
しかし、反射的に駆け出したSであったが、頭の中はすぐに冷静になった。それは、普段、路地裏の探訪をしていると、大人から「こら、そこで何してんねん」っと怒られることが再々あって、中には何か悪さをしているに違いないと、逃げても後を追っかけてくる場合もあり、そんな時に上手に逃げ延びる方法を何度も身をもって学んでいたからである。
つまりそんな時こそ冷静に、逃げ道を頭の中で思い描き、つかまらないようにその逃げ道を思い描いたとおりに走り抜けるのである。
「これは逃げるチャンスだ」Sはすぐにこのピンチをチャンスに変えようと思い定めた。ー追っかけてくる工場の主人を尻目に、運河沿いに4人は走っていたが、Sは右手に運河にかかる橋が見えると、「ここがチャンス」と冷静に思い定めた。そこで、Sの手をより強い力でぐっと握りしめると、不良少年二人の背後を離れて、つまり彼らに従わずに右手の橋を渡らんと、十字路で急に右へ曲がると、二人の背後を離れ、そのまま一目散に駆け続けた。
すると背後の駆け足の音がしなくなったのに、二人組も気が付いたらしいが、いかんせん、二人は製材所の親父が、憎い敵を成敗せんとばかりに、あきらめずに必死に追いかけてくるものだから、とにかく逃げねばならないと、もうSとTのことなど構っていられないとばかりに、必死に堤防沿いを駆け続けるしかなかった。
SとTは橋を渡って、運河の反対側へ渡ると、すぐにSは、工場の主が自分たちにはわき目も降らず、不良少年の二人組を追っていくのを見届け、走るのをやめた。
「どうやら安全なようだ」そうは思ったが、しかし、まだ安心はできない。
「Tちゃん、もう少し走ろう」
そう言って、Tを促した。ー二人は少し走るとN本通りに出た。
ここまで来れば安全だとSは感じた。そしてTに言った。
「Tちゃん。ここからはばらばらに逃げよ。まと安心やないから、とにかく走るんやで 」
そう言い捨てて、Sは南へ、Tは北へと、通りに沿って再び駆け出した。
あとのことははっきり覚えていない。とにかく家へ向かって走りに走った。走るのは決して早くはなかったが、実はすばしっこいことでは近所でも評判のSだった。
「そうだ、路地に逃げ込もう」そう、Sはなぜか思いついた。そのまま家に帰っても良かったのだが、どうしてだか、目の前に慣れ親しんだN町の普段の光景を目にすると、お気に入りの路地に、最後は逃げ込んで、そこで安全を確認すると、へたへたと座り込んだ。ーどっと汗が吹き出てきた。鼓動はすさまじく、胸が張り裂けるのではないかと、子供心に不安を感じた。
どれだけ時間が経過したろうか?ーさすがに、これ以上危険は迫っては来るまいと、完全な安全を確認すると、Sは天を見上げて、ふーっと、大きいため息をついた。
不思議だった…。
家よりもここの方が安心に感じる。薄暗い路地裏、日の当たらぬ所、生活臭漂う所、いや夏ともなれば便所の臭いすら鼻につく、きたない板塀の立ち並ぶところ、そう下町の路地裏こそが、実は彼にとって最大の安全基地だったのだ。
彼はそれに気付くと、なぜかそれが自分でも可笑しくなり、声を出して笑ってしまった。そして、ひとしきり笑うと、なんだかすごく、ほっと、心の安堵感を覚えた、
「僕には家よりもここがふさわしいんだな…」
子供心に、そんな屈折した気持ちを抱きつつ、ようやく彼は路地裏を抜け出すと家路についたのであった。
さて、彼は家にたどり着くと、「お帰り」と、声をかけてくれた母には、ろくろく返事もせずに、すぐに子供部屋に駆けあがった。ー一人でいたかった。ここまで来れば百パーセント安心である。それは分かっていても、今日の恐ろしい体験が、ふと脳裏に浮かんでくる。すると思わず体がすくむのを感じるのである。
いつもと違う彼の帰宅の様子、特にこわばったその表情に、母は気が付いていた。彼女は二階へ上がってきた。そして優しく声をかけた。
「S、大丈夫かい。なんかあったんかい?怖い顔して…」
Sは答えた。
「ううん。どうもあらへん。鬼ごっこしてたし、逃げて走ってそのまま帰ってきたんや」
そう言うと母親には背を向けて寝そべってしまった。
「そうかい、それならいいけど…」
母は心配そうな声で、そう言い残すと、階下へ
降りて行った。
母の干渉がなくなって、やや安堵したSは、次には、Tはどうなったろうかと、次には彼の事が心配になり始めた。
「Tちゃんはうまく逃げよったろか」
しかし電話をかけるわけにもいかない(当時は子どもが電話をかけるなんてことは通常考えられない時代である)。かといって、彼の家へ訪ねていく勇気もなかった。一歩も外へ出たくなかったのである。
夕の食事もあまり喉を通らなかった。心配する母には、適当に言葉を繕った。
「お前、ほんまに大丈夫かい」
布団を敷きながらも、母はSに声をかけた。
「大丈夫や」
そうは言ったものの、実際、Sが、その夜はなかか眠りに入れなかったことは言うまでもない。
特に、大柄の少年の「お前ら日本人は許せへん」という言葉がいつまでも頭の中で鳴り響いていた。自分も日本人と思われて脅された。ましてやTにしてみれば、朝鮮人とは、なんてこわい人種だろうと思ったに違いない。
「Tちゃんは何て思てるやろ。僕が朝鮮人いうことは知ってるやろから、もう僕と口を聞いてくれへんかもしれん」そんな思いに囚われながら、悲しい気持ちで、まんじりともせず横になっていると、遠くで消防車の走るけたたましいサイレン音が響くのを耳にした。
「どこかで火事かな」
いつまでも音が鳴りやまない。ますます眠れなくなったSであった。
結局ほぼ一睡もできずにそのまま夜が明けた。
沈んだ気持ちは晴れることなく、さらに不安な心持のまま、睡眠不足で重たい体を、それでも何とか起こして、Sは学校へ行った。
「大丈夫かい」
母は玄関で、心配して声をかけてくれたが、今は何を話す気もなかった。彼の足取りは重かった。Tと顔を合わせるのが怖かった。
それでも学校に着き教室へ入ると自然とTと目が合った。しかし視線を合わせるのが怖く、すぐに目をそらして、俯いた。ランドセルから教科書やら取り出すふりをしていたが、心臓の鼓動が大きく鳴って、その鼓動音が耳元で大きく鳴り響いた。
そのまま顔をあげられずにじっとしていたが、するとTがいつの間にか机の横まで来てそこに立っている。Sが見上げると、TはSに語りかけた。
「Sちゃん、昨日はありがとうな。Sちゃんも大丈夫やったんやな」
その言葉を聞いて、Sはうれしさで涙が出そうになった。「ありがとう」という言葉が心に深く突き刺さって、子供心に感動したのだ。
じっと涙をこらえて、何か返答の言葉を、と考えていると、Tが言葉を続けた。
「それとな、Sちゃん。僕な、Sちゃんが朝鮮人やいうこと、何も全然気にしてへんで。これからも一緒に遊んでな」
と、それだけ言うと、彼は席へ戻っていった。
その瞬間、Sの目からはついに涙が溢れだした。Tの友情に感謝するしかなかった。
一人の子どもが、日本人なのか朝鮮人なのか、悪いのはどっちなのか、子どもの目からは、そんなことは問題なのではなく、友と呼ぶべき人が、善良な心を持っているのかどうか、それだけが問題であったのだ。少なくともSとTについてはそうであった。ーSはTをかばおうとしたし、それがTにはしっかりと伝わっていた。そこに民族がどうとかこうとかいう問題はなかった。
Sはその日、授業中もぼんやりと昨日の二人組のことを考えた。昨日は恐ろしい存在だったが、一日たって、冷静に考えると思うことも多かった。
あの大柄の子は、おそらく小さい頃に近所の日本人からひどくいじめられたのだろうか。ぼろの身なりを見てもSの家庭以上の貧しさがうかがわれた。とすれば父親が、貧窮生活の中、普段から大酒を飲んで日本人の悪口を言うのを聞かされ育ったのであろうか。あるいは…。
もう一人の少年は、そんな過激な相棒を「やりすぎやで」と、時に諫めたりもした。身なりは彼もぼろであったが、連れ合いのひどい行いに眉を顰める善良さは持っていた。彼は自分が朝鮮人だということをどう考えているのだろう。また、日本人に対してどんな気持ちを持っているのだろう。
その日は、学校が終わっても、さすがにTと遊ぶことはせず、Sはまっすぐ家に帰った。
Sの家の向かいに住むY君が、「遊ぼ」と言って、Sを誘いに来た。Yの家庭はその町内では比較的裕福で知られた(それは事業に成功したからだが)日本人の家庭である。彼はN小学校では有名な、スポーツ万能、成績もほぼオール5の優等生で、Sはよく彼と比較されて揶揄されることも多かったが、しかしYは控え目かつ謙遜な、思いやりに溢れた性格の子で、特にSのことはほとんど弟のように可愛がってっくれて、Sも子ども心に彼のことをいいおにいちゃんとして慕っていた。
「家で遊ぼ」というYの提案を受け入れ、二人はYの家のYの部屋でトランプをしたりして時間を過ごした。
Yのお母さんが、「Sちゃん、おやつ食べていき」と言って、二人を階下に呼んだ。
茶の間へ招き入れられると、そこには、当時では珍しいカラーテレビがあり、丁度夕方のニュースを放送していた。
「えらいこっちゃな」
と、Yの母はテレビを見ながら呟いた。
そのニュースの概要を最後に述べることとして、この物語を閉じるとしよう。
差別や貧困はおそらく人間が生きている限りこの地上から消え去ることはないであろう。それでも何とかそういった現状を打破する方法はないのか?と、世に言う賢人たちは発言するだろう。宇宙にロケットを飛ばす事のできる人間の英知を、差別と貧困のために用いてはもらえないか、と。
しかし問題は簡単ではないことも賢明な読者諸君なら、容易に頷いていただけるであろうか。
N町の人々はこんな事件があっても、また明日から、ただひたすら生きるために、むしろ淡々と働き続けるだろう。そのことの方がむしろ赤裸々な人間らしい…。
以下、そのニュースの概要である…。
「昨日、深夜1時過ぎ、大阪市生野区I野〇丁目△番地の◇×製材所より出火があり、両隣に延焼の後、消防隊の出動により鎮火しました。焼け跡から、製材所社長のAさんの焼死体が発見され、逃げ遅れたすえの焼死と鑑定されました。出火の際の目撃者情報から、近所に住む朝鮮籍の少年Bの放火の疑いが強まり、現在、生野警察署でBは取り調べを受けていますが、放火の事実については否認しているとのことです。Bの親族関係者によれば、Bは、Aさんより過去に何度か差別的暴言、暴力を受けたことがあり、そのことをかねてよりBは恨みに思っていたとのことで、警察は事実関係を慎重に調査中です。なお…」