10. 9~10才のはなし ②
【『冬の童話祭2024』用に作った連載文章です】
【この物語はフィクションです】
【登場する人物・団体・名称は架空であり、実在のものとは関係ありません】
【メスのワンコ視点での物語です】
日本のどこかの、とある町にて。
これは今から、7~8年ほど前の話。そしてここは、父親のアパート。
父親といっても、私ではなくて。私の『あるじ』のお父さんが、住んでいるところ。キャリーバッグに入れられて、電車に乗って・・・ここに来るのも何度目かなぁ。ちなみに今は休日の午前だ。ごろごろごろ。
「よしよし。そこで大人しくしててね?」
うん。それはいいんだ。
リビングと呼ばれる部屋の中の、そのすみっこに。新聞紙を重ねて、広げた場所。ここが私の居場所。『あるじ』が言うには、私のように家の外で飼われているワンコを室内に入れる時は、こうするのがマナーなのだとか。
ついでに言うと、あまりウロウロしてはいけない。部屋の中が汚れたり、私の毛が床に落ちてしまうから。これについては理解はできるので、私は大人しくしている・・・けど。ええと、その、何と言うべきか。
「どうしたの?トイレは、そこのシートでやってね?」
うん。それもいいんだ。
私が寝っころがっている新聞紙のすぐそばには、また別のものが広げられている。それと散歩用の、持ち運びができる飲み水もある。『あるじ』はこういうところがしっかりしているから信頼できる・・・けど、その、
「――ふむ。女がいた様子は無し、か・・・」
私は番犬なので、世の中にはこういう人間がいる、というのは知っている。誰もいない家にコッソリ入って、家の中をウロウロする怪しいヤツ。人間の世界では、ドロボーだと呼ばれているもの。
・・・今の『あるじ』って。もしかしなくても、ドロボーなのでは?
このアパートには、2人の人間が暮らしている。
1人は『あるじ』の父親。しかし、休みの日に何度もおじゃましているのに、父親に会えることは少ない。仕事が忙しいのは相変わらずのようだ。
それと、もう1人は・・・午前にはいない。午後にはいる。あんなヤツなんて、これ以上は話すことなんて無い。
・・・そして、今。この家には、私達以外は誰もいない。
「うーん。お兄ちゃんの部屋も、とくに変わりは無し、と」
そんな家の中を、ウロウロして、ウロウロして。どこをどう見ても、怪しいことをしている小学生の女の子。この子が私の『あるじ』です。
「ねぇ。本当に、女の人のにおいは無いの?」
無いね。それどころか、日に日に父親のにおいが薄くなっている。
「ふむ。洗濯機の中もお兄ちゃんのばかりだから・・・やっぱり・・・」
『あるじ』は何やら考えている。
「まあ、いいや。今日はここまで。ちょっと待っててね」
そう言うと、『あるじ』はまたウロウロし始めた。何となくだけど、わかる。あちこちをウロウロして散らかしてしまったから、元通りにしているのだろう。やっぱり『あるじ』は、こういうところはしっかりしている。
「よし、おわり。・・・いい?私達は、今さっき、ここに来た」
はいはい、そういうことにしておこう。だけど『あるじ』、どうせ私の言っていることはイサムには分からないのだから、わざわざそんなことを言わなくても・・・と、ツッコむのはやめておこう。いつものことだし。
しばらく、のんびり。『あるじ』は座布団に座って、リビングの真ん中に置いてあるちゃぶ台に両手を乗せて、スマホを見ている。それと部屋にはテレビがあって、そこからは見知らぬ人の声が聞こえてくる。
これらはここ最近になって『あるじ』に教えてもらった。つくづく思うけど、人間の世界には様々な道具があるんだなぁ。
「――なんだ。また勝手にウチに上がってやがるのか」
・・・なんか変なのが入ってきたけど、私は寝たフリをする。
「あ、お帰り。いいじゃん、ここは私のウチなんだから」
『あるじ』は、スマホを見たままだ。
「あのなぁ、何度も言っているだろ。おまえの家はここじゃなくて」
「実の家族が住んでいるところなんだから。ここも、私の家でしょ?」
・・・ため息をつくイサム。汗くさい。これはたしかジャージだとかいう服で、『あるじ』も私と散歩をする時に着ることがあるものだ。お兄ちゃんのおさがりだとか言っていた気がする。
「ねぇねぇ、お兄ちゃんは高校はどうするの?」
「どうするも何も、この近くの高校にするに決まってんだろ。市内なんだから。・・・これも何度も言っているが、俺は実家に帰るつもりはない」
「ええぇ・・・だけど、この前ウチに帰ってきてたじゃん」
「あれはお袋に用事があったからだ。親のサインが必要なプリントがあって、だけど親父が遠出してて・・・ハァ、まったく。ウチの家族は、どいつもこいつも好き勝手にしてやがる。俺の気持ちも知らないで――」
「ふーん。ところでお兄ちゃん、おなかすいた。お昼ごはんは何?」
・・・ため息をつくイサム。これで何度目だろうか。
『あるじ』とイサムは、ちゃぶ台を挟んで座って・・・あれはチャーハンだとか言ってたな。それを2人で食べている。ちなみに私もジャーキーを噛んでいる。これがあるうちはイサムを噛むつもりはない。
母親や近所のオバサマは、私のことを老犬だとか、もうそろそろ年だからと言ってやがるが、食欲はモリモリあるんだ。『あるじ』の言いつけで、毎日動き回っているし。運動能力も並みのワンコよりは上だと思っているよ。
「なあ、アサミ。この前、アイツから聞いたんだが・・・」
イサムの言うアイツとは、おそらくはボーイのことだろう。
「おまえ。お袋のお客さん相手に、何やってんだよ」
「えっ?・・・あぁ、えっと。どこまで、聞いたの?」
「ウチの玄関先で、ズボンをズリおろして、人前で恥ずかしい目にあわせた、とは聞いている。おまえ、いくらお子様だからって、やっていいことと悪いことがあるだろうが。どうしてそんなことをしたんだよ?」
「・・・この子に、イジワルしたから。それで、つい」
イサムは私を見てくる。やめろよ、噛みつきたくなるだろうが。
「あ、ああ。そうか。そういう理由なら・・・いやでも、うーん」
イサムは何やら考えている。またため息をついてしまった。
――本当は、イジワルなどされていない。むしろあの男は、『あるじ』と仲良くしようとしていた。なにも悪いことはしていない。
・・・だけど、そもそも。ウチに勝手におじゃましやがったのが、許せなかったから。ウチに二度とジャマすることが無いように、ああしてやった。
私は足に噛みついて、そのスキに『あるじ』がズボンを脱がせて・・・あの男は二度と、ウチの近所に近づくことはできないだろうな。
これが、『あるじ』の作戦。
まだ『あるじ』が、お子様として思われている今だからこそ、できることをする。何も知らない、子供のフリをする。
子供だからしょうがない、と。大人達に、そう思わせて。もし大人だったら許されないようなことでも、許されるようにするために。そういう演技をしていた。
・・・あの頃の『あるじ』は、まだ子供だったけど。そういう知恵は、並みの大人よりも上だと、私は思っている。
それでいて。女の子ながら、力は男子よりも強い。これは幼稚園の頃から、私と一緒に遊んだり、追いかけっこをしてたから、もともとの体力があった、という理由もあるだろうが・・・小学生になってからは、な。
だから、『あるじ』の命令には何にでも従った。『あるじ』が求め続けたもの――両親と、兄と、みんな一緒に、暮らせるようにするために。
もうあんな『あるじ』の顔なんて見たくない。だから私は、できるかぎりのことをした。何も辛くはなかった。『あるじ』の心の奥底にある怒りや悲しみを見ることのほうが、よっぽど辛かったから。
ヤンチャ、という言葉では許してはいけない、悪いこともした。ドロボー相手ならまだしも、人に噛みつくだなんて、あってはいけない。
・・・もしかしたら、あなたにも。そういうことを、したかもしれないんだ。
そんな、あなたが。今では研修医――獣医となって。
私の最期を、看取ることになるとはな。
「・・・お姉ちゃんは。分かって、くれる?」
病院の一室で、泣き崩れる『あるじ』と。そのすぐそばに、寄り添う女性。
「いいのよ。女が泣くのは、決して恥ずかしいことじゃないんだからね」
・・・この人と出会ったのは、6年前か。11才の、冬ごろ。
懐かしいなぁ。『あるじ』の命令で、あなたに全力で噛みつくように言われた時は、どうしようかと思ったよ。どっちの味方をすればいいのか、分からなくて。
――私の思い出は。夢はまだ、終わりそうには、ない。
過去に書いたものを、別キャラ視点による別の物語として書き直すのって変かな・・・?