第89話 1か月目の付き合った記念日(3)
アーマンディとシェリルは、ギネに乗って中央都市ミネラウパの上空を飛ぶ。
ギネの首に光る首飾りは、聖女の館の結界をすり抜けられる特別製だ。この首輪がある限り、ギネは自由に空を飛び回れる。
ギネは機嫌が良い。アーマンディの作ったご飯を食べたら元気になったと言って、凄まじい勢いで上空へと飛び出し、アーマンディは目を回したくらいだ。
「さすがスピカ公国で一番栄えた都市ですね。夜景が綺麗ですよ」
「あ……はい」
アーマンディは相変わらず下を見る事ができない。でも今日は付き合って1か月記念日で、初めてキスした記念日でもある。その日は同じシチュエーションでキスをすべきだと、マーシーのに教えてもらった。
今日一日、ギネに乗るタイミングを見計らっていたが、それは無理だった。だから頑張って誘ったが、昼間より夜の方が怖く、アーマンディは下を向く事ができない。
そんなアーマンディの様子に気付くことなく、シェリルは都市の街並みを見る。今日はわざと低空飛行とした。
「アディ、あの建物をご覧ください」
「――――え、えぇ、」
ギネの背中からアーマンディはそっと見る。だが、怖い。背筋がゾゾっとして、喉がひゅっとなる。
今日のギネは低空飛行だ。だが低空飛行といっても家々がやっと見れるくらいの高さだ。人の姿は目視できない。
「あの白い建物です。大通りから近い、大きな庭園をもつ建物です。ほら十時の形で樹木が植えられている」
アーマンディはシェリルの指さす方を見る。
確かに広く、美しい建物がある。庭園はライトアップされているので、空からでも良く分かる。
「あなたのものです」
「ええ⁉︎」
想像もしていなかった言葉に、アーマンディは思わず振り向いた。
「おっと――急に動くと危ないですよ?」
「そ、そんなことより、今の話は?あれが僕の家とは、どういうことですか?」
アーマンディの肩を掴んだシェリルはニコリと笑う。
「あなたが国から得ていた俸給は、アジタートが着服していました。その分をシルヴェストル公爵家と話し合い、取り戻しました。併せてあの邸宅も謝罪の証としてもらいました。こうして見ると見事な邸宅ですよね。せっかくですから、あなたの好みに改築しましょう」
「え?俸給……?家?僕は聖女になって、初めてのお給料を頂いたばかりなのに⁉︎」
一気に明かされた内容は、アーマンディを混乱させる。そんなアーマンディを落ち着かせるように、シェリルはニコリと笑う。
「聖女見習いとして登録された日から、あなたには俸給があったのですよ。その額は中々のものです。私も少し驚きました」
「そうなんですか?」
「そうです。何も使っていない形で取り戻せたので、私とアディは働かなくても生活できますよ」
「あの家で?」
アーマンディが指差した邸宅は、とっくに遥か後ろだ。だが、遠くからでも良く見えるほど大きい。
「ええ、あの家で。聖女と聖女の騎士は年金も高額ですからね。子供ができても呑気に生活できますよ。祖父の会社を継ぐのも良いですが、そうやって子供達とゆっくり過ごすのも、ありですね」
「素敵です!今日は嬉しいことがいっぱい起きる日です」
自分の未来に選択肢が増えることは嬉しいことだ。アーマンディはこれからの人生を思うと心が踊る。
「ネリーも一緒に住めますか?」
「ああ、ネリーのことですが、両親が見つかりました」
「え?本当ですか?どんな……人たちですか?」
アーマンディは胸の前でギュッと手を握る。ネリーを捨てた両親を許すことなどできない。
「ネリーの母親は亡くなっていました。その為、遠い親戚と住んでいました。ネリーの母親が残した遺産を使い潰したところで、ネリーを捨てたようです」
「そうなんですね。お母様が亡くなっていたなんて……ネリーになんて言えば良いのか……」
「それはあなたに任せます。ネリーが一番慕っているのは、あなたですからね」
「はい、それで、その親戚の方たちは?」
珍しくアーマンディの視線が鋭い。ネリーの話だと捨てられる前にも、ひどい扱いを受けていたと聞いている。そんな人達を許すわけにはいかない。
「法の裁きを受けさせます。他人のお金を散財し、幼い子供を虐待し、捨てたのです。それ相応の罰が与えられるでしょう」
「ネリーの遺産はどのくらいだったのでしょう。僕のお金で補填できますか?」
ネリーは侍女見習いとして給料を得ている。聖女の館で働くのだ。その額は多い。分かっていてもアーマンディはなんとかしたいのだ。
「ではネリーの生家を買い戻してはいかがでしょうか?」
「ネリーの生家……ネリーのお母様の家というわけですね?もちろんです!あ……それではお父様は?」
シェリルは一瞬戸惑う。まだ憶測だ。だが確信がある。
「ネリーの父親は、おそらく私の叔父です。父の弟。祖父母の三番目の子供です。放蕩もので、身分を詐称してスピカ公国中を旅しています。今、捜索していますので少々お待ちください」
「シェリルの叔父様……ということはネリーは本当にヴルカン公爵家の……」
「ええ、祖父母が健在なので、まだ叔父はヴルカン公爵家の直系となります。そしてネリーが叔父の子供であるならば、直系に極めて近い女児となります。すなわちネリーは聖女の騎士候補です」
「聖女の騎士……つまり、メイリーンの?」
シェリルは静かに頷いた。
ネリーの父親がシェリルの叔父ならば、ネリーの未来は明るい。ましてや聖女の騎士候補となれば、その将来は約束されたようなものだ。
「ああ、ネリーに早く話したいです。でもお父様のことはまだ言わない方が良いですよね?」
「そうですね、叔父に話を聞いてそれからで……」
ギネがふわりと上空へと向かう。もう郊外だ。
アーマンディは途端に緊張で、心臓がドキドキし始めた。
初めてのキスはギネの上で、上空だった。自分からしようとして失敗した。そしてシェリルに奪われた。それからはうまくできる自信がなく、シェリルにお願いする情け無い状況だ。
マーシーが言っていた。
『やはり男性から少し強引に迫られるのが良いんです』
ノワールお祖母様から言われた。
『奪われる前に奪え!』
シェリル以外には簡単に相談できるのに、シェリルには相談できない恋愛の事。
でも過去の辛かった出来事はシェリルにしか話せない。話す事ができない。
随分と矛盾だらけだと、アーマンディは自らを振り返る。
こうやって振り返る事ができるのは、自分に余裕が出てきたから。
メイリーンのことを心から心配できるのも、自分に余裕ができたから。
シェリルに出会う前の自分にはできなかった。ネリーを逃し、死ぬことしか考えていなかった。例え汚辱にまみれようとも、自己犠牲でネリーさえ生きていれば、それで良いと思っていた。
だけど、もしあの時、聖女就任式でシェリルと出会えなかったら未来を想像すると、背中がゾワリとし、吐き気すら、もよおす。
自分を虐待していた相手に触られるなんて無理だ。人に少しでも触られる事すら嫌なのに、できるわけがない。そんな行為を強要されていたら……恐怖から逃れるために死んでいたかもしれない。かつて自分の腕を切り裂いたように……。
今も触れる事ができる女性は限られている。シェリルとネリーと、ヴァネッサお祖母様。この3人だけ。
ジェシカがメイリーンを救うために、手を繋いで聖域を作ると言われた時には、無理かも知れないと思った。例えジェシカにそんな気はないと分かっていても、女性と手を繋ぐことはできない。だからテシオの提案は助かった。安堵した事は誰も気がついていないだろうけど。
「ネリーが叔父の子供であれば、まず公式発表し、聖女の騎士としての修行を始めます。そうなるとあなたと離れる可能性がありますね。大丈夫ですか?」
アーマンディは思考を止める。それは考えていなかった。だけどネリーの幸せが一番だ。
今の自分には、愛してくれる人達がいる。愛を捧げたい人がいる。
「それがネリーの幸せなら大丈夫です。シェリルの叔父様でしたら、きっと素敵な人でしょうし」
「そうですね。自由人ですが優しいです。ネリーを可愛がりすぎる可能性はありますが……そのくらいがネリーには良いかも知れません」
だったら良いかな……アーマンディはポツリと呟く。前とは違う。自分には力がある。いざとなったらネリーを守ってあげれば良い。
ひと段落したところで、アーマンディはぐるっと後ろを向く。決意の時だ。ここで決めるのだ!
「……え?」
両手を差し出しているシェリルと目が合った。
「どうしました?手を繋ぐのでは?」
あの時のやり直しだ、アーマンディはクスクスと笑う。
シェリルに告白しようと決意したあの時。想いを伝えようと必死で、何が何だか分からなくなり、生まれて初めて自分から口付けをしようとした。触れたくて、触れたくて、求めずにはいられなかった。自分にそんな思いがあるとは知らなかった。そんな欲望があることも。
アーマンディはシェリルの手をそっと握る。
温かい手は変わらない。自分の気持ちが高揚するのも変わらない。心臓が破裂するのではないかと思うくらいドキドキすることも。
グイッと引っ張ると以前とは違いゆっくりと近付いてくれた。アーマンディも体を伸ばす。
ギネは大好きなふたりを邪魔しないよう、ゆっくりと大きく旋回した。
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