第86話 シェリルの憂鬱
ソファに足を投げだして横たわり、ため息混じりにクッションに顔を埋めるシェリルに、コホンと合図のように咳と吐いたミルバは、師匠だった頃の口調で話しかける。
「人の部屋で何をゴロゴロしているのですか!だらしない!それでもヴルカン公爵令嬢ですか⁉︎」
「いいじゃないか。お前の部屋でしか寛げないんだ。私の部屋だとアーマンディ様がいらした時に困るだろう?」
ミルバはわざとらしく大きなため息をつく。
「いらっしゃった事がありましたか?」
眉を顰めたシェリルは悔しそうにクッションに顔を押し付ける。
「………………ない」
思いがけずアーマンディと想いが通じ、日々楽しく過ごしているシェリルだが、どことなく彼と距離を感じているのは事実だ。
いつも部屋を訪ねるのは自分だ。彼から部屋に来ることはない。求められることはあっても、口付けだけだ。その先を望む様子もない。そもそも口付けだっていつも受け身だ。そうなると段々と解らなくなってくる。
「アーマンディ様は本当に男性なのか?」
「何を仰るのかと思ったら!と……言いたいところですが、分かります。先日、シェリル様が不在の際に、アーマンディ様の付き添いで祈りの間に同行したのですが、珍しくあの方が転びまして……」
シェリルはガバッと起き上がる。そんな話は聞いていない。怪我でもあったら大変だ!
そんなシェリルの行動を、思惑通りと言わんばかりの表情で、ミルバはシェリルに紅茶を差し出し、対面のソファへと座る。
「悲鳴が小さな声で『キャッ』でした。その後は真っ赤になられて、顔を両手でお隠しになられて、その姿はかわいらしく……。その場にいたのは私だけではなかったのですが、皆が微笑ましく見ておりました。中にはアーマンディ様が男性と知っている侍女もいましたが、『自分の中の何かが壊れそうです』と言っておりました」
「私は『キャッ』の声は出ないな」
「私の教え子であるシェリル様が『キャッ』などと口走れば、修行のやり直しですね」
シェリルは黙る。ミルバの修行は凄まじいものだった。祖母であるノワールの特訓が優しかったと思えたくらいに。
「他にもドレスを選ぶ際に、『シェリル様はどれがお好きかしら?』と頬を桜色に染めながら聞かれることもありますし、マーシーには『シェリル様のお好きな食べ物を教えてください』と懇願していました。ノワール様ではないですが、良いお嫁様を頂きましたね」
「いや……皆がアーマンディ様を嫁というのも複雑だが、その前に、なぜ私自身に好みを聞いてくれないんだ?好きな食べ物など、私に聞けばいいのではないか?」
「『……シェリル様に聞いたら、あなたが作るものなら何でも美味しいですよ』と言われたと仰っていましたが?格好つけた気障ったらしい台詞ですね」
「――――っつ、言ったかも知れない……」
赤くなった顔を隠すように紅茶を飲むと、柔らかい香りがした。ミルバの淹れる紅茶はいつも良い香りがする。
「あなたのその態度が、アーマンディ様を不安にさせるのですよ。そもそもアーマンディ様に内緒で釣書を、燃やしているなんて知られたら、どうするんですか?」
「ああ、それは気付かれてしまったんだが、その際に言われたんだ。『シェリル様の嫉妬は明るい』と」
「本人に見せずに、更に承諾も得ずに燃やそうとしているのに?優しすぎやしませんか?」
「アーマンディ様は当初、私宛に来た釣書だと思っていたらしい。嫉妬から破り捨てたかったと仰っていた」
「……お互いに嫉妬深いですね」
半眼するミルバにシェリルはその通りだと憤る。
「そうだろう!私もそう思ったんだ。だが、アーマンディ様は、私の嫉妬は明るくて、自分の嫉妬は暗いと言うんだ。意味が分からない!」
「アーマンディ様とシェリル様は、違う人間だからお互いのことが分からなくて当然でしょう。ですが、ご自分を卑下する癖は、植え付けられたものでしょう。お気の毒に……」
「それは……あるのだろうな」
「シェリル様に認められたくて必死なんですよ。プレゼントのお洋服も、今日持っていって正解だったでしょう?」
「それは助かったと思っている。でもなぜミルバが知っているんだ。私は1ヶ月記念日とか忘れていたが……」
「アーマンディ様がマーシーの元に、今日は付き合った記念日だからシェリル様の食事を自分で用意したいと言いに来たのです。ちなみに付き合った記念日をアーマンディ様に教えたのは、マーシーです。あの子は昔から乙女脳ですから」
「……毎月祝っていたら、キリがないじゃないか」
シェリルは額に手を当て深く考え込む。1年間は12ヶ月。毎月祝っていたらプレゼントの内容が底を尽きそうだ。
「マーシー曰く、お互いの誕生日は当然として、初めて出会った日、初めてデートした日、初めてキスした日と、初めて何かをした日は全て記念日になるそうです」
「1ヶ月に何回祝えば良いんだ⁉︎まさかそれらも毎月じゃないだろうな?」
「付き合った日記念日は毎月ですが、それ以外はその日が記念日だそうです。ですが初めてキスした日には、キスをした方が良いと言っていました。ちなみに婚約記念日と結婚記念日は毎月だそうです」
「意味が分からない……」
とうとうシェリルは頭を抱え込みだした。乳姉妹なのにマーシーのことが理解不能だ。
「母の私にも分かりません。誰に似たのか、不思議で仕方ないです」
ふうっとため息を付いたミルバは、遠い目で景色を眺める。日が沈むのはまだまだ先だ。夏のこの時期は日が長い。
「まぁ、あれだな、婚約と結婚を、付き合った日にすれば一回で済むわけだ」
「……そう言った考え方が、アーマンディ様を不安にさせるのですわ。一回で済ませようとするなんて……なぜそんな性格になってしまったのか……」
半眼するミルバを見て、シェリルは分からなくなる。こうなると自分だけが違う世界で生きているように思えてくる。
「この話はもうやめてくれ。なんだか頭が痛くなってきた。それに今は男だ、女だ言う時代じゃない」
「そうですね、それに私もそんなに記念日があるのはおかしいと思っていますから、それとなくアーマンディ様に伝えますね」
「頼む……それで、報告があるのだろう?」
ミルバの顔つきがキリッとなったところで、シェリルも姿勢を正す。公私を分けることは大事だとシェリルに教えてくれたのはミルバだ。
「はい、まずは朗報です。アジタートが着服していたアーマンディ様の報酬ですが、シルヴェストル公爵家がアジタートの資産から、同等以上の金額を用意してきました。また彼女の父が娘夫婦のために建てた家は、謝罪の証としてアーマンディ様に贈られます」
「ああ、中央都市の一等地にある邸宅だな……立地条件も良いし、表通りに面していたはずだ。ひと財産にはなる。だが、アジタートの夫が住んでいたのではなかったか?」
「アジタートの夫が、謝罪として差し出してきました。アーマンディ様が男性であることは生涯秘すると言う条件で誓約を結びましたし、問題ないかと思います」
「分かった。今日の夜でもご報告しよう。貯金がないと言っていたが、そんなことはないと分かり、喜んでくださるだろう」
「はい、そしてネリーの件ですが、両親が判明しました。まず母親ですが、遠くグノーム公爵家の血を引くもので、ネリーを産んで亡くなっています」
「ではネリーは誰と住んでいたんだ?」
シェリルはネリーから、両親には役立たずと言われて捨てられたと聞いていた。亡くなっていたのでは話が違う。
「ネリーは母親の親戚筋と一緒に住んでいたようです。母親の両親もすでに亡くなっていたため、友人や勤務先の人間が、親戚筋を探したようですね。目が見えないネリーは両親と思いこんでいたようですが、実際は血の繋がりは薄いです。母親の、親の、姉の子供ですね」
「それはもう他人じゃないか。良くネリーを育てる気になったものだ。母親に財産でもあったのか?」
「その通りです。ネリーの母親はギルドで受付として働いており、家もあり貯蓄もありました。家とお金目当てに入り込み、現金が尽きたところで、家を売り、ネリーを捨てたそうです。捕らえていますが、どうしますか?」
「法に則り裁くことだな。しかし、その様子だと何も残っていないのでは?」
「はい、何ひとつ。ただし、母親が肌身離さず持っていたペンダントだけは、持っていました。これです」
ミルバがテーブルに置いたペンダントは、黒曜石に赤いルビーが散りばめられている。中央にはバラの紋章。ヴルカン公爵家のものだ。
「確かにこれは金にはできないな。持っていったが最後、犯罪者扱いとなり捕まるはずだ」
シェリルはペンダントを手にとる。
「このペンダントには見覚えがある。老いらくの恋と言っては失礼だな。叔父上は父と10歳離れているから今年45歳、40歳の時の子供か……」
「ご存知ないのでしょうか?」
「まぁ、放浪癖のある方だからな。もしかしてネリーの母の家も、叔父上が買ってあげたのでは?」
「さすがシェリル様ですね。その通りです。偽名で購入していましたが、いつも冒険者ギルドで使用してる名前なので、簡単に分かりました」
「父上が公国王候補者として召喚しているが、一向に来ないと怒っていたな?」
「はい、どうされますか?」
シェリルはニヤリと笑う。
「これをネタに呼べ。そろそろ叔父上にも落ち着いていただこう」
「承知いたしました」
ミルバは深く頭を下げる。
聖女として立つメイリーンにも聖女の騎士がいる。これでスピカ公国の繁栄も約束されたと思うと、明るい未来がみえてくるようだ。
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