第76話 それぞれの気持ち
「良かったの……ですか?」
ウンディーネ公爵邸が見えなくなった頃、シェリルはアーマンディをいたわる様に声をかけた。
アーマンディの言葉を尊重する様に、ウンディーネ一族の見送りはなく、ただ執事だけが邸宅の前で深く頭を下げていた。
アーマンディはその姿を一瞥もしないで馬車に乗り込み、氷のような冷たい表情を保ったままだ。初めて見たその表情は、確かにウンディーネ公爵一族に相応しい……シェリルはあまりに美しい姿に息を飲む。
4大公爵にはそれぞれ特徴がある。
火を得意とするヴルカン公爵家はその属性の通り猛々しく怒り、風を得意とするシルヴェストル公爵家は切り裂くように怒り、土属性のグノーム公爵家は割れた大地が全てを飲み混むように容赦なく怒り、水属性のウンディーネは溶ける事のない氷のように冷酷に怒る。
常に優しく儚げな印象だった彼にも、確かにその血が流れているとシェリルは思う。だからこそ心配になる。ウンディーネ公爵家は一度敵意を向けたものを決して許す事がないと言う。
それは良い。だがアーマンディにとっては紛れもなく生家だ。そしてアーマンディの母であるアントノーマの表情は、不当に奪われた子供に会えた喜びで満ち溢れていた。あれが嘘ではないとアーマンディなら分かったはずだ。一時の短慮で後悔することにならなければ良いが……それだけが心配だ。
「……シェリル……様、隣に座っても良いですか?」
先ほどまでの氷のような表情は融解し、いつもの……シェリルだけに見せる顔へと変わったアーマンディの瞳には、それでも何かの決意が宿っている。
「……あなたの席が進行方向ですから、私がそちらへ行きますよ」
アーマンディの瞳が輝いたのを見てシェリルは横へと移る。アーマンディの女性のような仕草や表情はいつまで経っても変わらない。
「アントノーマ様が僕のことを想ってくれていたのは……分かりました。ですがカイゼル様の心は分かりません。そしてカエン様が求めているのは、僕ではなく聖女です。メイリーン様を治療することができる聖女……そんな人たちを家族とは、僕にはどうしても思えなくて。でもシェリル様は見ていて気持ちが良くなかったですよね?申し訳ありません……」
「そんなことを気にしていたのですか?私は何も気にしていませんよ」
「本当ですか?」
「心外ですね。嘘をつく必要はないでしょう。強いて言えば……あなたが心配です。本当に良かったのですか?テシオの時とは随分と対応が違いましたから、少々驚いてしまいました」
「ああ……そういえばそうですね。テシオ様は、なんとなく姉として見てくれている気がして、親近感がありました。テシオ様の必死な姿を見て、メイリーン様を助けてあげようと、できるだけ力になってあげようと思いました。ですが今回はそんな気持ちにならないんです。そんな僕は冷たいのでしょうか?こんな感情は聖女らしくないですよね?シェリル様は……」
……こんな僕は嫌いですか?と続ける事ができずに、アーマンディは下を向き口をつぐむ。シェリルに愛されているのは分かっているのに、いつも不安になってしまう。特にカエンのように誰からも頼られそうな男らしい人を見てしまったら、こんこんと湧き出る泉のように心の中に不安が広がっていく。
今にも溢れそうだ!アーマンディは膝の上でギュッと両手を握りしめる。
嫉妬という名の感情はいつだってアーマンディを翻弄する。以前のように感情のままシェリルを詰りたくない。強制的に縛り付けたくないと思っていても、そうしたいと欲望をむき出しにする、ナイフのように冷たく鋭い刃をもつ自分だっている。
なんて醜いんだろう、こんな自分はやはりシェリルに相応しくないと分かっていても、離れることはできない。離したくない。永遠に隣にいたいと、誰にもみせたくないと、自分だけのシェリルでいて欲しいと思ってしまう。
「聖女であっても人間です、好き嫌いもあって当然ですよ。私などはシルヴェストル公爵家の小公爵モデストメリーが苦手です。私とモデストメリーとグノーム公爵家のデルフィは同年代ということもあり親交が深いのですが、モデストメリーは軽薄で女性にだらしなく、会うたびに歯が浮くような言葉ばかり囁いてくるので、殴りたくなる衝動を抑えるのが大変なんです。デルフィもいつも顔を引きつらせて睨みつけてますし……正直あなたには近づけさせたくないですね」
「ふふ、シェリル様が殴ったら、死んでしまいますよ」
「あの男はその程度では死にませんよ。むしろアーマンディ様が殴るように命令して下さればありがたいですね!」
付き合ってからのシェリルは、アーマンディになんでも話すようになった。昔はアーマンディの成長の妨げになるからと、自分の感情は伝えず、ただ情報のみを伝えていたのだが今は違う。そして、
「冷たくても聖女らしくなくても、私はあなたを愛しています。だからあなたの思いを全て私に伝えてください。そもそも私は独占欲が強いですから、あなたの全てを知りたいのですよ」
シェリルはいつだってまっすぐな思いをアーマンディへと伝える。それはアーマンディにとって嬉しいことではあるが、同時に暗く蠢く底なし沼のような独占欲を持つ自分との違いを感じてしまう。その違いを感じるとアーマンディはいつもシェリルの袖を引く。触れ合う唇と唇から、彼女の清らかさが、汚れた自分を浄化してくれることを願いながら。
◇◇◇◇
一方その頃、ウンディーネ公爵家ではカエンが父であるカイゼルを殴り、床に倒れた夫を息子から庇うようにアントノーマが抱きしめていた。
「だから、私が何度も言ったのです!あの女がまともにアーマンディを育てているわけがないと!あの女から一刻も早くアーマンディを取り戻すべきだと!」
カエンの怒りは凄まじく、その魔力でウンディーネ公爵家の家人たちは声も出せないほど怯えている。溢れでる魔力の影響で、使用人は白い息を吐き、互いの手を取り、暖め合う始末だ。
実はカエンは何度もアーマンディを、アジタートから取り戻そうと策を講じていた。その為に聖女の館で働く女性に接近したこともある。女性を虜にする美貌を持つ彼に声をかけられた女性たちは、アーマンディの情報を易々ともらした。その情報の多くは、精神薄弱、狂人、病弱など世間で言われているものと変わりがなかった。だがその一貫性こそが、アーマンディが瘴気に覆われ、隔離されている証拠だと、カイゼルは結論付けた。だが、カエンはそれでもアジタートの元で狂人として生きていくくらいなら、自分達家族が抱え込み、愛してあげるべきだと訴え続けていた。
それはメイリーンに対しても同じだ。メイリーンは瘴気に蝕まれる苦しさから、幼い頃は泣き叫び、長じてからは何度も命を断とうとした。それを止めたのはカエンだ。嘆くメイリーンを自身が瘴気に蝕まれようと抱きしめ、その度にカエン自身が死の淵を彷徨った。
瘴気を祓うには聖属性が必要だ。カイゼルはカエンが瘴気に侵される度に、アジタートに助力を乞い、瘴気を祓ってもらった。カエンがなぜ瘴気に侵されるかを、アジタートは聞かなかった。ただ高額な費用と、アジタートへの忠誠を要求されるだけだったので、カイゼルにとっては都合が良かった。
治療の際には、いつもアジタートだけが部屋に来ていた。年々男らしく成長していくカエンはアジタートの欲情の対象となり、それをチャンスだと思ったカエンはアジタートを殺害しようとした。だが、それを察したカイゼルによりカエンは領地へと送られた。それはつい3年前のことだ。
「やはり3年前にここを離れたのは失敗でした。テシオまでも魔塔に追い出して――テシオから聞きましたよ。あなたもメイリーンもそして――母上だって諦めたそうですね。私は諦める気はありませんよ。メイリーンには生きて15歳の誕生日を迎えてもらいます」
「……私だって何もしていないわけじゃない。もう方法がないんだ。ウンディーネ家に嫁いだ過去の聖女は娘を助けようとして命を落としている。アーマンディには頼めない。ましてや――苦労してきたあの子にそんなことはさせられない」
「それだってあなたの罪だ。そしてその事実を知りながら脈々と血族を保ってきたウンディーネ公爵家の大罪だ!こんな一族――滅んでしまえば良い!」
舌打ち一つ落としカエンは荒々しく扉を閉め、部屋を出ていく。部屋に残ったアントノーマは涙をポロポロと落としながら、カイゼルの腫れた頬に手を当てた。
「カイゼル……最後にアーマンディと会えて、嬉しかったわ。わたくしが作ったドレスも褒めてくださって……こんな幸せが最後に訪れるなんて、そんな幸せを味わえるなんて思ってもみなかったわ」
「すまない……君に、こんな思いをさせるために、嫁いでもらったのではなかった」
「そんなこと言わないで。幸せだったわ。わたくし達はいつまでも、どこまでも一緒よ。だから置いていかないでね」
了承の返事とともにカイゼルはアントノーマを抱きしめる。もう少しで全てが終わると思いながら。




