第74話 ウンディーネ公爵別邸(4)
ウンディーネ公爵邸の廊下は、群青色の絨毯が敷かれている。まるで大海の上を歩いているような孤独な気持ちにさせられる廊下の窓枠は、夏の空のように鮮やかな青色だ。灰色の壁は冬の空気に様にツンと冷たく、アーマンディの心を更に冷たくさせる。
前を歩く父の背中から、何かを読み解くことはできない。母の背中はか細く不安気だ。兄の背中は見たくもない。救いはエスコートをしてくれるシェリルの手の温かさだけだ。軽く握ると、強い力で返してくれた。それだけが自分の持つ全てだと、アーマンディは思う。
アーマンディの後ろにはミルバと続く侍女達が、ウンディーネ公爵邸家宝の宝石が入った豪奢な箱を、両手で恭しく持ちながら歩いている。あの宝石があることが全ての元凶だと思えてきた。あれは不安で堪らなかった自分に、少しだけ勇気をくれた物言わぬ宝石だったが、今では呪いの宝石のように見える。
心のある場所ひとつで世界は変わる。置き方ひとつで見え方も変わる。誤解から心はすれ違う。曇ったアーマンディの目には、何も見えない。見ることができない。
2階にある蒼い扉が開かれ、カイゼル達はアーマンディ達を廊下で待つ。基本的には階位の低いものから部屋に入るのがルールだが、他家に貴人が訪れた場合は違う。
今回はまず、追随してきた騎士達が入り、部屋に問題がないことを確認してから、カイゼル達が入室し、次にアーマンディとシェリルが入る。扉が閉ざた後に騎士達が廊下に面した扉を守る。
ミルバ達は執事に案内され、宝石を返還する手続きのために別室へと向かった。
部屋にはアーマンディとシェリル、そしてカイゼルとアントノーマとカエン。
アーマンディは小さな深呼吸とともに、なんとか心を落ち着かせ、改めて家族を見る。
自分とどことなく似ている姿に、郷愁の念を感じると言っては嘘になってしまう。やはり他人だとしか思えない。
青を基調とした清廉な部屋には、楕円形の大理石のテーブルを取り囲みように、意匠を凝らした椅子が5つある。どれも濃い青色の見覚えのある花が刺繍されている。
その花は聖女就任の儀の際に、ヴェールに刺繍されていたものだ。シェリルに後から教えてもらったその花の名はクレマチス。ウンディーネ公爵邸の象徴花。
シェリルのエスコートですっと着座すると、シェリルが背後に立つ。次にカイゼルがアーマンディの正面に、右側にアントノーマ、反対側にカエンが着座していく。
「テシオより話は聞きました……アジタートにより互いに誤解が生じていたと」
真っ直ぐ人を射抜くような視線と送るカイゼルと、アーマンディは瞳を交わす。
夜会の時とは違うように感じるのは、アーマンディを取り巻く環境が変わり自信を持つことができたからなのだろうか。それともテシオの存在により捻じ曲げられていた真実が詳らかになったからなのか、その両方なのか、どちらにしろ敵意は感じない。
ふぅっと小さく息を吐き、アーマンディは緩やかに声を出す。飲み物ひとつないこの状況を、歓迎されているか否かは分からない。
「そうですね……両親はわたくしを疎んじていると聞かされて育ちました。魔力の弱いわたくしを恥じ、会いたくないと言っていると、恥晒しなわたくしを後見などする気はないと言われておりました。ですからシルヴェストル公爵家を……ひいてはアジタートを頼りなさいと」
男性であることを秘密にすると決めたのは、アーマンディだ。それはウンディーネ公爵家を信用する、しないの問題ではなく、例え生家との誤解が解けたとしても自分はヴルカン公爵家を最優先とし、頼る相手とすることを暗に伝えるためだ。
「そのような事実はありません。アーマンディ様がお生まれになった際に、あまりにも強い聖属性の力で妻をはじめ、付き添いの皆が気絶してしまいました。その隙にアジタートがアーマンディ様を拐ったので、私も父も後手に回ってしまいました。そして後日、アジタートよりアーマンディ様は聖属性が不安定な為、聖女の館で預かると連絡がありました。その後も何度も会わせて欲しいと願いしましたが、アーマンディ様の精神と力が不安定と言われ、願いは叶えられませんでした」
カイゼルはそこで一呼吸をおき、アントノーマを見る。すると打ち合わせをしていた様にアントーマが瞳に曇りを宿し、口を開く。
「アーマンディ様がお生まれなった3年後、わたくしは妊娠しました。産まれたのは双子の子供です。ひとりは先ほどお話ししたテシオ。そしてもうひとりはメイリーン。アーマンディ様の次に産まれたあの子は、瘴気に包まれた状態で産まれました……」
驚くアーマンディをよそに、アントノーマの伏せた瞳から真珠のような涙が落ちた。話せなくなったアントノーマの肩を抱き寄せたカイゼルが、これ以上は酷だと思ったのか続きを話し始めた。
ふたりは仲が良さそうだ。
「テシオからメイリーンが病気だと聞いたと思います。ですが正式にはウンディーネ公爵家直系の女児は瘴気に包まれて産まれてくる……が正確な答えです。そしてこれは後から私の父が教えてくれたのですが、私の母が若くして亡くなったのは、妹を身籠もったからだそうです。通常であれば胎内から瘴気に侵され、母親も子供も亡くなる率が圧倒的に高いのだとか」
「瘴気に蝕まれているとなれば当然だろう。だが歴史を紐解くとウンディーネ公爵直系でも女性は産まれている。信じがたい話だが?」
シェリルがジロリとカイゼルを睨む。
「お疑いはごもっともです。ウンディーネ公爵家直系の女児で、無事に産まれてきた子供は、必然的に聖女の資格……つまり聖属性を持っていることになります。そうすれば体内の瘴気を祓うことができますし、強ければ完全に消し去ることも可能です。ですから私と妻はアジタートがアーマンディ様に会わせ頂けないのは、瘴気に蝕まれているからだと納得したのです。長ずるにつれ、アジタートからは、アーマンディ様はこんな風な体で産んだ母を、恨んで殺したいと言っているとも聞いておりました。確かに瘴気さえなければ、アーマンディ様はご立派に聖女として立つことができたのに、ウンディーネ公爵家の直系の女性であるが故に、瘴気を聖属性で押さえこまなければならないのだとすれば、申し訳ないと……合わせる顔がないと思っておりました」
首を垂れるカイゼルに代わり、身を乗り出さん勢いでアントノーマが涙を拭きながら声をかける。
「ですが!それは全て嘘だとテシオが言っておりました!アーマンディ様は瘴気に蝕まれていなかったと……そんな事実はなかったと……」
「……わたくしは、病にはかかっておりません……」
男だから、その病にはかからないとは言えず、アーマンディは目を伏せる。
やはり彼女の視線だけは受け止められない……そう思いながら。




