第63話 想い(2)
一気に都市から離れ、雲の下でギネはふんわり水平方向へと展開した。シェリルはひと息ついてギネを心話で叱りつける。ギネは全く反省していない。アーマンディはシェリルの腕の中で震えている。だけど背中にはしっかり腕が回されている。
アーマンディの後頭部を守るように押さえていた右手を離し、シェリルは静かに声をかける。
「アーマンディ様、大丈夫ですか?」
「…………え?」
上から聞こえた心地良い声に顔をあげると、シェリルの真っ赤な瞳が飛び込んできた。あまりに近い距離に驚いて、アーマンディはシェリルから離れようとするが、そこはシェリルが止めた。
「アーマンディ様、危ないのでゆっくりとお願いします!」
「あ……ごめんなさい……」
アーマンディはゆっくりとシェリルから体を離す。向かいあった状態でシェリルを見上げると、辛そうな表情をしている。
「ギネが制御が効かず申し訳ありません。あなたを拐った事といい、どうしたと言うのか……」
拐われてなんていませんと言いたいが、どうしてもアーマンディは声が出せない。それよりも先に言うべき事がある。自分の凛気でシェリルを傷つけた事を謝らなければならない。
そうは思っているが、離れてしまった体を寂しく思う自分だっている。自分で自分が分からない。分かるのは離れて欲しくない、愛おしいと思う気持ちだけだ。ヴァネッサにはあれだけシェリルがいない事が寂しいと泣きついたのに、どうしてもその姿を見ると言えなくなってしまう。
「アーマンディ様、まだお怒りでしょうか?今回の事は大変申し訳ありません。ですが分かって頂きたいのです。私には本当に誓約がかかっていて、真実を言えなかったのです」
そしてシェリルの言葉を聞くと、アーマンディは自分とは気持ちが違うのだと実感してしまう。こんなに焦がれているのは自分だけだ。彼女は自分を男となんて見ていない。ただ仕えるべき主人としか見ていない。だったら、自分が言うべき言葉は簡単だ。
「あ……それは僕が謝ることです。シェリル様を傷つけてしまい、本当に申し訳ありません」
「いえ、お怒りはごもっともです。私が聖女として立っていれば、あなたは傷つかずにすんだかも知れないのに!」
シェリルの後悔の表情は美しく、アーマンディは見惚れてしまう。昨日は気持ちとは違う言葉を紡いでしまった。でもそんな事はもうしないとアーマンディは心に決めている。なぜなら過去の事だから。シェリルのせいではない事も分かっている。自分を虐待したのはアジタート達で、シェリルは悪くない。それにもしシェリルが自分と同じ目にあっていたらと思うとゾッとする。自分で良かったとすら思ってしまう。
今なら分かる。こんなにもシェリルを愛おしいと思うから詰ってしまったのだと。シェリルが誰にも見せた事がない顔が見たかった。その為にシェリルを責めた。いつも強くて勇ましい彼女の苦悶に満ちた表情が見たかった。
なんて自分は浅ましいんだろう。こんな自分が彼女に相応しいとは思えない。この思いは秘するべきだとアーマンディは決意する。
「昨日は動揺してシェリル様を責めてしまいました。でも分かってるんです、シェリル様は悪くありません。謝らないでください。だからわたくしを許してくれますか?」
「わたくし……ですか……」
ぽつりと呟いたシェリルの言葉にアーマンディは首を傾げる。
本人は無自覚だが、アーマンディは嘘をつく時に、自分の事を『わたくし』という。シェリルはそれを分かっているから辛くなる。
きっと本心では許すつもりはないのだろう。それだけの事を自分はしていたのだと言う自覚もある。徐々に心を許してくれたアーマンディの信頼を裏切ったのは自分だ。愛しくてほんの少しでも離れたくなかった。いつだって近くにいたかったのに、この想いは永遠に届く事はないだろう。
涙を必死で堪え、シェリルは言いたくもない事を口にする。今自分が彼のためにできる事はこれだけだと。
「アーマンディ様さえお望みならば、私が代わりに聖女として立ちましょう。アーマンディ様さえ宜しければウンディーネ公爵家に戻っても良いでしょう。今のアーマンディ様は聖女であり、我が家の後押しもあります。しかもテシオの話だと誤解からアーマンディ様とご家族はすれ違っていた。そうなればご家族はあなたのことを受け止めてくださいますよ?」
「…………え?」
思ってもいなかった言葉にアーマンディは戸惑うばかりだ。例え聖女と騎士の関係でも一緒にいる事ができたらと思っていた。なのに、これでは離れ離れになってしまう。
「アーマンディ様は仰っていましたよね?こんな面倒な役、誰だって嫌だって……確かにスピカ公国第1位という序列を名誉と思わないあなたにとっては、聖女という役は面倒なだけのものでしょう。国の為にあなた自身の人生を犠牲にする必要はないのです。あなたは今まで苦労されてきた。だったらここからはあなたが思うように生きれば良いのかもしれません」
「でも……そうなったらシェリル様は自由ではなくなりますよ?」
「私は……今まで自由にしていたツケが回ってきただけです。問題ありませんよ」
儚く笑うシェリルにアーマンディはどう言えば良いのか分からなくなる。確かに自分は衝動のままに思ってもいない事を口走った。その時に言ってしまった。聖女の役目は面倒だと……そんな事は少しも思っていないのに。嫌なのは聖女としての仕事ではなく、女性のふりをして周りを騙しているという負い目なのに。シェリルに愛を語れない現状なのに。
「シェリル様……僕は……」
どうしたら良いのか分からず、どう声をかけて良いのか分からずにいるアーマンディは下を向くしかない。
できればシェリルと離れたくなかった。ノワールから受けた無意識の敵意。その時にシェリルがいない事が一番辛かった。もう彼女なしでは生きられないと思った。だから聖女と騎士でも良いから一緒にいたいと思った。
でもそれはきっと間違いだろう。
このまま一緒にいたら縛り付けてしまう。それは彼女の人生を台無しにしてしまう行為だ。自分の欲望の為に、彼女を犠牲にするのは駄目だ。
そう結論付けると言うべき事が分かり、アーマンディを決意を言葉に表す。
「……シェリル様の申し出はありがたいのですが、わたくしにはネリーとメイリーン様を治療するという目的があります。その為にジェシカ様に魔法を習わなくてはいけません。ですから聖女は続けます。ですがシェリル様の聖女の騎士としての任は、わたくしの有責で解約しましょう」
「……アーマンディ様……」
「今までありがとう……シェリル……」
最高の笑みを贈ろうと思い、アーマンディは口元を持ち上げようと努力する。これで最後ならせめて美しい自分を見て欲しい。
そしてシェリルはこれ以上は言えないと思い、溢れそうになる涙を必死で止める。
「これからも……後見は続けても?」
アーマンディは首を横へ振る。
「いいえ、今後のわたくしの後見はウンディーネ公爵家に、メイリーン様を治療する事と引き換えにお願いします。ヴルカン公爵夫妻にはわたくしから謝罪しましょう」
「そうなると、世間的には……我が家に問題があると捉えるでしょうね……。自業自得と言うわけですね……。確かに初めは精神薄弱という噂のあなたを利用して政権を握ろうとしていましたので……」
「……そうだったんですね。でもできるだけ、わたくしのわがままと言うつもりです。被害者はあなた達なので……」
「それは違う!一番の被害者は――
噛み付かんばかりに言葉を返すシェリルを、アーマンディは鋭い視線で止める。
「これは命令です。逆らう事は許しません」
「…………」
命令という言葉を出されると何も言えなくなる。シェリルは首を垂れた。
自分達の道は完全に分かれた……そう納得せざるを得ない。




