第62話 想い(1)
ギネに乗り、シェリルは朝焼けの空を飛ぶ。地平線から昇る太陽が空をオレンジ色に染め、上空の雲が美しい桃色へと変わっている。
「美しいな……アーマンディ様にも見ていただきたい……」
独りごちると同時に不安になる。最後に見たアーマンディの表情は、今にも泣き出しそうだった。言葉では責めていたが、その表情は辛そうに見えた。
「もう――騎士として一緒にいることもできないのだろうか……」
言葉に出したら心が沈む。今回ばかりは許してもらえないかも知れない。聖女であった事を隠していた理由で、解約を申し出られたら断れない。
「そうなったら最悪だ……」
嘘を付きたくて付いていたわけではない。一刻でも早く話すつもりだった。だが誓約が邪魔をした。
それにアーマンディの境遇を知ったら、言うのが怖くなったのも事実だ。なぜなら彼に暴力を振るったのはアジタート達だったが、その境遇を作ったのは自分達だからだ。
景色が歪んで見えるのは目が潤んでいるからだ。
情けない……とは思うが流石に今回は前向きには考えられない。アーマンディに会いたい気持ちと、会いたくない気持ちが交差する。幸いなのは祖父母の家にアーマンディがいる事だ。自分の祖父母の家にいてくれると言う事は、話し合いの余地があるかも知れない。まだ弁解の機会は残っている。あのヴルカンの血を引かない優しい祖父母ならば、アーマンディを上手く宥めてくれているだろう。そうじゃなければ会いに行くのも辛かった。
「騎士なのに……情けない」
もう自分でも自分の気持ちが分からなくなり、シェリルは首を垂れるばかりだ。するとギネが斜めにグググッと急旋回した。
「ギネ⁉︎」
そのままグルングルンと上に下にと回り続ける。これには流石のシェリルも混乱する。
「やめろ!何を考えているんだ⁉︎」
怒るとギネはピタリとやめて、真っ直ぐに飛び出した。シェリルは深いため息つく。
ギネから《弱音を吐くシェリルに活を入れてやった》と心話が来たからだ。
「そもそもお前は何で、アーマンディ様とルーベンスを乗せたんだ?ルーベンスは嫌いだろう?」
《ルーベンスは嫌いだけど、アーマンディは結界を張れないから仕方なく乗せてやった》
「お前……そこまでアーマンディ様が好きだったのか?」
《そうだよ。アーマンディからは良い香りがするんだ。大好きだよ》
「良い香り?私達人間には分からない何かなんだろうな。そんな真っ直ぐなお前が羨ましいよ……」
《シェリルもアーマンディが好きでしょう?》
ギネは飛びながら、器用にシェリルに顔を向ける。
「好きだが……今は言えないんだ。それにもう一緒にはいられないかも知れない」
《何で?だって伴侶でしょう?》
ギネはキョトンとした表情をする。
「は――伴侶ではない‼︎そんな……そうなれたら嬉しいけれど、まだそんな段階じゃない。まだ私とアーマンディ様は主人と騎士の間柄でしかないんだ」
《そうなの?早く告白して番になりなよ。応援するし手伝うよ!》と言うギネは人間の心の機微が分からないらしい。そんな簡単じゃないんだとシェリルは頭を抱える。
今のシェリルには誓約がない。そして封印も解けた。だからこそ分かる。自分とアーマンディのはっきりとした力の差が。だが聖女の資格は4大公爵家に連なるもので、女性という大前提から考えるとシェリルの方が世間的には通るだろう。
いっそ、自分が聖女として発表されていれば、公爵令息としてアーマンディと出逢い、誰からも祝福された環境で結婚ができただろうに……。
深くため息をつきながら、今更な事を考えていると前方にレグルスの街並みが見えた。都市を守る兵士にいつものように挨拶をし、オレンジ色の屋根に近づいて行くと白いドレスの女性が立っている。いやあれは……
「アーマンディ様⁉︎」
屋上に立っているのは、銀の髪を靡かせたアーマンディだ。
ギネがスピードを落とす事なく真っ直ぐにアーマンディの元へ向かって行く。
「ギネ、止まれ!」
シェリルの命令は聞かず、ギネは緩やかにスピードを落とし、アーマンディへと首を伸ばし、そのままひょいっと持ち上げた。アーマンディの体は重力から解き放たれ空へ浮き、そのままシェリルの方へと飛んで来る。
「アーマンディ様‼︎」
シェリルは咄嗟に立ち上がり、飛んできたアーマンディを受け止める。ギュッと抱きしめて無事な事を確認しようとすると、ギネから《飛ばすよ〜》と心話が入った。
「ギネ‼︎お前、何を考えているんだ⁉︎」
ギネからの返事はなく、シェリルはアーマンディを抱きしめたまま腰を落とす。手綱を強く握りしめるとギネが一気に加速する。
翼竜はスピカ公国で一番速い生き物だ。結界で包まれた状態でも、スピードを感じるほど急加速する。
ギネの最大加速で一気に都市から離れて行く。アーマンディは怖いのだろう。悲鳴を上げる余裕もなくシェリルにギュッとしがみついている。
重力に逆らってぐんぐんと上空に向かっていく事で、内蔵が浮き上がるような感覚にアーマンディは恐怖する。本当に怖い時には声も出ないらしい。ただ頼りになる人にしがみつくしかない。
一方シェリルは混乱するばかりだ。ここまでギネが言う事を聞かなかった事はない。ギネはずっと忠実だった。なのに今は制御も効かない。話しかけても返事も返って来ない。
シェリルにしがみつきながら、アーマンディも混乱していた。
ノワールとの恐怖の対面の後、震えるアーマンディをヴァネッサは付きっきりで慰めてくれた。
自分でもなぜあそこまでノワールに怯えていたのか分からない。だけど目が覚めて、彼女を見た瞬間、背中が凍りつくような感覚に襲われた。この人は自分を嫌っていると直感的に判断でき、更に排除しようとしている事が分かった。あまりにもの恐怖から、気が付いた時には土下座していた。強く声をかけられたと同時に胃が逆流し、床を汚してはいけないと吐しゃ物を飲み込んだ。そうしないと鞭が飛んでくる。きっと今の自分は痛みに耐えられない。そう思ったら、打たれてもいないのに背中が痛み、自分でもどうして良いか分からないほど震えてしまった。
シェリルはいない。もう助けてもらえないと思うと、後悔の波が嵐の様に押し寄せた。もう彼女なしでは生きられないのに、自分の浅慮から責めてしまった。
押し寄せる後悔の波。目の前には恐怖を与える存在。そんな絶望的な状態の自分を助けてくれたのはヴァネッサとロッシュだった。
ヴァネッサは庇うように抱きしめてくれた。ロッシュは怖い人を連れて行ってくれた。だからもう大丈夫だと思っても体が震えてしまう。だってシェリルではないから。シェリルが来てくれなかったから。再び声を上げて泣きながらシェリルを呼んでいると、ヴァネッサがまた慰めてくれた。
「シェリルはすぐに来てくれるわ」と言うので、「僕の事を嫌いだから来てくれないよ」と言ったら、優しい顔で「大丈夫、全財産賭けても良いわ」と微笑んでくれた。
ヴァネッサはシェリルと同じで触られても怖くない。だから安心してそのまま抱きついて泣いた。そんな自分は子供の様だ。だけどどんなに泣いても、叫んでもヴァネッサはずっと頭を撫でてくれる。優しい人。自分の親がこの人だったら良いのに……そう望んでしまうほど素敵な人。
そのまま今晩は一緒に寝ましょうと言われたので、アーマンディは初めてネリー以外の人と一緒にベッドで寝た。まるで母と一緒に寝るような安らかな気持ち。
安堵のまま眠りについていると、ギネから声が掛かった。話があるから屋上に来て欲しいと言うのだ。ヴァネッサに一言かけて屋上に行くと、こちらに真っ直ぐ飛んで来るギネが見えた。
《行くよ!》とギネから声が掛かったと思ったら今の状況だ。予想外な状況に声も出ない。
でもこの状態で死ねるならそれは幸せな事かも知れない。アーマンディはシェリルに更に強く抱きついた。




