第60話 ため息(1)
ノワールがロッシュと共に、応接間に入ると秋の夕焼け空の様なオレンジ色の長ソファに掛け、クッキーを食べているルーベンスと目があった。夕暮れの風を届ける部屋の窓には、淡いたんぽぽ色のカーテンが揺らぐ。
「お祖母様――あれ?アーマンディ様は?」
キョトンした顔のルーベンスは、クッキーを食べる手を止めない。ヴァネッサが作るクッキーは優しい味がするから、シェリルもルーベンスも大好きだ。
だが、そんな平穏な空気を消し去る様にロッシュはあからさまに嘆息し、ノワールをルーベンスの前のソファへ案内した。次いで自身はルーベンスの横に掛け、鋭い視線を向ける。その視線の鋭さにルーベンスは生唾を飲み込んだ。
「何を……したんですか?」
地を這う様な低い声のロッシュを、初めて見たとルーベンスは怯える。このまま皿ごとクッキーを奪って部屋を出ようかとも思ったが、険悪な雰囲気に動く事すら躊躇してしまう。
「神に誓って、私は何もしていない。アーマンディ様が勝手に目覚めて勝手に泣き喚かれただけだ」
ふぅと思いため息をついて、ノワールもロッシュを正面から見据える。
「…………あの豹変ぶりには見覚えがある。ルーベンス、もしやアーマンディ様は虐待されていたのか?」
「――――‼︎」
突然話を振られたルーベンスは黙り込んでしまう。それは家族だけの内緒ごとだ。祖父母には言ってはいけない情報だ。
「そうか……やはりな」
そして沈黙が答えとばかりにノワールは言葉を発した。
この世界には人間の脅威として魔物と魔獣がいる。魔物は何処からか現れて瘴気を発し、人の体とこの世界を蝕むもの。倒すとその体は瘴気と魔石に変わり、瘴気は浄化石に吸い取られ、魔石は魔塔によって浄化石へと変わる。
そして魔獣は人に危害を加える恐れのある生き物を指す。シェリルが先に倒した大蛇然り、巨大で知性がある事も特徴だ。例えば、シェリルの翼竜ギネはシェリルと共にある限り、誰もが羨望の眼差しを送る竜騎士の翼竜として扱われるが、人や都市に危害を加えると魔獣と指定され、駆除対象になる。
そんな魔獣の中には時として人を攫うものがいる。それらは食べるために攫うのでなく、まるで子供がおもちゃで遊ぶ様に人をいたぶるのだ。
ノワールは過去、被害にあった人間を助けた事があった。彼らは一様に怯え、生気のない瞳をしていた。助け出して、普通の生活に戻ったとしても、ちょっとした事で記憶を呼び覚まし、再び過去のトラウマを発症してしまうのだ。
アーマンディのあの目はそれと似ている……思い至ると今までのシェリルの行動にも合点がいく。
シェリルがやたらと甘やかしていると思っていたが、それは全てアーマンディにトラウマを思い出させないためだったのだろう。
初めに威嚇した時にも、あり得ないほどアーマンディは怯えていた。シェリルの背に隠れていたのはそういうわけかと納得すると、アーマンディに悪い事をしたと流石のノワールも反省をする。
「雛鳥を守る親の気持ちなんだろうな……シェリルは……」
ノワールが呟いた言葉にロッシュとルーベンスは視線を交わす。
ノワールはアーマンディが男と知らない。ましてやシェリルが一目惚れをしているなんて知るよしもない。ロッシュとルーベンスは黙っていようと目で会話をする。
「アーマンディ様は……子供の頃から虐待をされていたって聞いたよ。だから、なるたけ優しく会話する様に、威圧的にならない様にって母上から言われてて……。父上なんかはどうしたって威圧的に見えちゃうから、シェリル姉と一緒の時に会う様にしていたよ。シェリル姉がいれば、アーマンディ様は平気なんだ」
「アーマンディ様には私よりもヴァネッサ、そしてヴァネッサよりシェリルが良いんですよ。つまりシェリルが一番の心の拠り所です。でも喧嘩して飛び出したと聞きました。今はシェリルという拠り所を失いそうで更に不安定になっているんでしょうね。まったく、やっと泣き止んだのに……」
「それについては悪かった。だが本当に何もしていない。威圧的なのは生まれつきだから勘弁してほしい」
3人でふうっと深くため息をつく。きっとヴァネッサはこの後アーマンディに付きっきりになる事は想像に容易い。
「シェリルと何で喧嘩したのか……聞いているか?」
ノワールが切り出すと、ルーベンスが首を傾げる。
「喧嘩したのかな?一方的に詰ったってアーマンディ様は言っていたよ」
「私がヴァネッサに聞いたのも同じ内容だね。謝るシェリルを一方的に詰ってしまったと。自分でも何であんなに意地悪な事を言ったのか分からないと言っていたらしい」
「そうか……情緒不安定な方かも知れないな……残念ながら」
更に深くため息をつくノワールを他所目に、ロッシュはシェリルが相手だったからからこそ、アーマンディは怒ることができたのだろうと推測する。
詳細はアーマンディも話さないが、どうやらシェリルに秘密があり、それをジェシカが知っていて、自分は知らなかったのが悔しかったと言っていた。つまり嫉妬だ。
だがこれが他人であればアーマンディも流したはずだ。人にはそれぞれ事情があり、全てを語る必要はない事をアーマンディは分かっている。シェリルだからこそ、秘密があるのが嫌で、シェリル相手だからこそ憤り、シェリル相手だからこそ責めてしまったのだろう。それだけアーマンディがシェリルだけにでも心を開こうとしているのだと思うと、ロッシュは少しだけ嬉しくなる。
もちろん今回の事でシェリルが倒れてしまった事実は忘れていない。だがそもそも、ロッシュはヴルカン公爵一族が持つ、魂を縛る契約書が嫌いだ。人は裏切るものだと決めつけているからこそ、あんな非人道的な魔法を行使する事ができるのだと思っている。
ふうっと息を漏らしてロッシュは立ち上がる。そう言えば怒りのあまりお茶も出していなかった。思ったよりも自分はアーマンディを気に入ってるらしい……聖女であるなし関係なしに。
「まぁ、どちらにしろシェリルが来ないと話にはなりませんね。シェリルが起きたらギネと交信できるんだろう?」
「あ……うん、そのはずだよ。ギネはシェリル姉の念話だけは受信するって言ってたから」
「ではそれまでは我が家にご滞在ください。幸い部屋数だけはありますから……」
それまではノワールをアーマンディには近付けない様にしなければ……ロッシュはそう決意して、お茶を入れようと立ち上がった。




