第59話 ノワール(2)
レグルスはヴルカン領の東にあり、各都市を結ぶ要所地のひとつでもある。ぐるりと囲われた都市の四方にある門をくぐり、日暮の中、ノワールは馬から降りてロッシュ・アヒレスの家に向かう。
ノワールの服は真紅の軍服だ。真紅の軍服はヴルカン公爵家の騎士の証。誰からも咎められることもなくノワールは明るい大通りを歩いてく。
行き交う人々の声に耳を傾けると、聞こえてくるのはアヒレス家にまたギネが来ていると言う内容が多い。いつものシェリル様だけだろうか……それともまたアーマンディ様もお連れかしら?なんて話まで聞こえてくる。
ギネは良くも悪くも目立ちすぎる……。ノワールはため息をつく。ギネがいるからシェリルがいるのではないかと人々は推測する。だがギネがいるからアヒレスの邸宅は安全だとも言える。怒れる翼竜に敵うものなどいない。それこそ主人であるシェリル以外には。
シェリルが竜騎士になったと聞いた時には驚いた。あんなにかわいかった孫が自分を超えたと思った瞬間だった。
幼少期のシェリルはフリルが似合うとても愛らしい子で、こんなかわいい女の子に騎士服を着せなければならないのかと嘆息したほどだ。
長じてから騎士教育の傍ら、趣味で刺繍を始めた時にはこのまま公爵令嬢として教育すべきではないかとも思ったが、センスの無さに絶句し、この子に刺繍をさせてはいけないと思い、厳しく叱責することにした。
孫のシェリルのすごいところは、自分が美人だと言う自覚がないことだとノワールはため息をつく。
誰しもが振り向く妖艶な美しさを持ちながら、自分は目立たない思っている。男勝りだと勘違いしている節もある。ドレス姿のシェリルの美しさに恐れ慄き、声をかけられない軟弱者が多いのも手伝って、自分は男ぽいから異性に興味を持たれないのだろう、と真顔で言った時には、家族全員が絶句してた。
しかも無頓着な孫は、変装して市井に出る。誰しもが見惚れる美貌も持ち主だ。領民の殆どがシェリルだと分かっているが、そっとしてくれる。なのに本人は意外にバレないものだと自信満々だ。これに関しても家族は呆れ果て、物が言えないほどだ。
刺繍の腕は良いがセンスはない。だが極上の美貌。剣の腕も一流、魔法に関しては極上の腕前。だけど無頓着。恋愛に関しては鈍感。そんなシェリルが惚れる男はどんな相手かと思っていたのに!
再び湧いて出てきた怒りをどこにぶつけようかと悩んでいると、アヒレスの家が見えた。相変わらず他を圧倒するほど大きな邸宅だ。だが、高圧的な感じはなく都市に溶け込んでいる。この邸宅に夫婦ふたりきりで住んでいるのかと思うと、一人娘を奪ってしまった罪悪感がチクリと痛む。
邸宅の入り口に警備の人間はいない。街ゆく人々はチラリ、チラリをロッシュの豪邸を見るが、立ち止まることはなく足早に急いでその場を離れている。
「見事な結界だ。ルーベンスか……」
良く見ると邸宅にはルーベンスが作ったであろう結界が見えた。邸宅をぴっちりと包み混むように違和感なく作られている結界には、人が忌避する効果があるようだ。これは余程の人間ではないと気づかないし、普通の魔力が弱い人間は無意識に近づきたくないはずだ。まだ13歳の子供が作ったとは思えないほど綺麗に張られている。
そんなアヒレスの邸宅の屋上に、一際大きな影が見えた。ギネだな……とノワールが思っていると、次に大きな羽根が見えた。すると玄関の扉が誰が来たのか分かっていたかのように開き、孫であるルーベンスが手を大きく振った。
「お祖母様!待ってたよ!」
タッタと走ってきて、ノワールが持つ馬の手綱をグイッと引いたルーベンスは、一刻も早くこの任務を代わりたいとばかりに玄関への道を急ぐ。
「腕を上げじゃないか、ルーベンス。これだけの結界を作るとは」
「俺はこれだけで手一杯だよ。もう疲れたよ。なんかあったらどうしようとか、そんな事ばっかり考えてさ。それに子供だからアーマンディ様も慰めれらないし……」
「お前はよくやったさ。これからは私がいるから、一回休め」
軽く頷くことで返事とし、ルーベンスは馬を小屋へと引いていく。
ロッシュの家は玄関をくぐると広い庭が広がり、奥に馬小屋があるので、ルーベンスは慣れた様子で馬小屋へと向かっていく。
広い庭の先には白い華奢な作りの飾り扉があり、そこにはロッシュがにこやかな笑顔で立っていた。ロッシュはノワールより頭一つ分身長が低い。これはロッシュが低いわけではなく、ノワールが高いのだ。
「お久しぶりです。ノワールさん」
「ああ、本当に久しぶりだ。ロッシュも元気そうだな」
人好きする笑顔を顔に浮かべたまま、ロッシュはノワールを家に案内をする。
固苦しい挨拶を嫌い、更にアリアンナが大好きなノワールは、ロッシュやヴァネッサに気遣いは無用、家族だと思って欲しいと伝えている。
だから家に入るとふたりはそのまま、お茶もなしに5階へと上がる。
「アーマンディ様は?」
「妻に慰められて、疲れてしまったようです。今は寝てますよ」
「そうか……世話をかけたな。ヴァネッサは?」
「アーマンディ様に元気を出してもらおうとご飯を作ってます」
「そうだな……ギネは……私の言うことを聞かない。シェリルが起きたらギネを呼ぶだろうからそれまでここに居させて欲しい」
「それは問題ありません」
ロッシュは淡い木目調を残した白い扉の前でぴたりと止まった。
「アーマンディ様はこちらに」
「ああ、ありがとう。眠っていらっしゃるんだったな?」
「ノワールさん、アーマンディ様は繊細なお方です。ガラス細工を磨くように、慎重にお付き合いをする必要があります。くれぐれもご注意を……」
先ほどの柔和な笑顔は消え、鋭い視線を送るロッシュは、商売人ではなく一国の王のようだ。このレグルスで商売人として成功し、更に支店を広げる彼の財力はヴルカン公爵家にも影響を及ぼす。
「あなたがそこまで気に入るとは……」
だがノワールは怯むことなく、フッと笑う。
一見、誰でも懐に入れそうな優しげなロッシュだが、実は人に対する好き嫌いがはっきりしている。アリアンナを嫁の欲しいと頭を下げるイリオスを5回も追い帰すくらいに。
「ええ、気に入っていますよ。聖女でなければ養子に迎えたくらいには……。これはヴァネッサも同じでしょう」
こうなると更に無下には扱えない、ノワールは上を向き、ため息をつく。
「……分かった」
眠っていると聞いたので、ノックをしないで中にはいると、規則正しい寝息が聞こえた。音がしないようにとびらを閉めて、それから足音を消してベットに近づく。淡い黄色と緑を基調とした部屋にある、柔らかいレースに包まれた天蓋付きのベッドはいかにも女性好みで、絶世の美貌を持つアーマンディに似合うだろうと思いながら、ベッドを覗き込むと、その瞳が大きく見開いた。
「……アーマンディ様、おは――
ノワールは声をかけるのを止めた。なぜならアーマンディが起き上がり、恐怖の表情を浮かべたまま震えだしたからだ。
「アーマンディ様……どうし……」
再び声をかけると、アーマンディは転がるようにベッドから降り、慣れた様子で土下座をする。
「も――申し訳ございません!わたくしが全て悪いんです!」
「な……なんて格好を!聖女ともあろうものが‼︎」
「も……申し訳ございませ……」
うぐっと何かを飲み込む様な声がアーマンディから聞こえた。更に土下座をした肩がビクビク震えている。
まさか吐いたものを飲み込んでいるのか?ノワールは心の中で呟く。
アーマンディの様子にノワールは怯むばかりだ。だがこの奇異な行動をする人間をノワールは見た事がある。だから分かる。ここで声をかけるのも手を貸すのも悪手だと。自分ではダメだと思った瞬間、ヴァネッサが入ってきた。後ろにはマッシュもいる。
「アディ!大丈夫よ!大丈夫‼︎」
ヴァネッサはアーマンディに覆い被さる様にして慰める。だがアーマンディは誰に謝っているのか、申し訳ございませんと繰り返して震えているだけだ。
「ノワールさん、こちらへ!」
ロッシュから腕を引っ張られ、ノワールは部屋を出る。部屋の扉が閉まる瞬間に見えたのは、ヴァネッサに縋り付くアーマンディだった。
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