第40話 ルーベンスの憂鬱
ため息混じりで歩いていると、なんだか自分が不幸になった気がしてくる。実際は不幸ではない。自分がどんなに恵まれているか……アーマンディ様のことを知って分かった。
ヴルカン公爵本邸がある都市の名はデネボラと言い、スピカ公国で中央都市ミネラウパに続いて2番目の大きな都市だ。
そしてヴルカン公爵邸はデネボラが見渡せる小高い丘の上にある。堅牢な城壁に囲まれた邸宅は、城と言って差し支えないほど大きい。城壁内にはヴルカン公爵一族が住む邸宅はもちろんのこと、賓客を迎えるための迎賓館。演舞場、演習場があり、更にヴルカン領を守護する騎士や兵士、そして従業員のための宿舎があり、更に農作物を育てる畑や家畜小屋もある。
それだけの規模の邸宅から、デネボラに行くには馬車を使うのが一般的だ。
「でも馬車を使ったらバレちゃうしな……」
ルーベンスは独りごちる。
ヒョイっと大きな岩を飛び越えると、青い空が見えた。
もう少しでデネボラに着く。ヴルカン公爵邸からデネボラに向かう曲がりくねった道を歩くと、目立つし何よりも時間がかかる。でも真っすぐ一直線に降りれば、一時間ほどで着くと、教えてくれたのはシェリル姉だ。あの人は騎士の資格を持ち、やたら礼節にうるさいくせに、こういったことを教えてくれる。
「シェリル姉とアーマンディ様が仲直りして良かった」
海から帰ってきたシェリル姉が、気絶したアーマンディ様を連れて帰ってきた時にはびっくりした。シェリル姉はあからさまに動揺していた。あんなに動揺したシェリル姉を見たことはない。あの姉が恋をしたら、あんなになるんだと思った。恋をするのはまだ怖い。まだ俺は13歳だ。
「はぁ、シェリル姉に相談したいのに……また機会を逃しちゃったよ」
ヴルカン公爵邸の親子は仲が良い。家族に秘密はなかった。この間まで。
ルーベンスだって話したくないわけではない。シェリルと両親が帰ってきてすぐに話そうと思っていた。だが、気鬱なアーマンディを慰めては打ちのめされているシェリルを見ていると、とても言えなかった。しかも両親も忙しく情報を集めている状況だ。後で話そう、話そうと後回しにしていたら、だんだんと話す機会を失った。
ザザザっと緑の生い茂る坂道を滑り降り、そのまま跳ねてくるっと回り着地する。自分の背丈の10倍ほどの高さの崖から飛び降りるのも慣れてきた。怖くて震えていた時代が懐かしい。
「あいつ……大人しくしていると良いけれど」
視線の先には紅い色の屋根が並ぶ邸宅の群れ、その先にあるのが宿や商店が並ぶ通りだ。軽く踵を鳴らして、ルーベンスは歩いていく。後ろからつけるミルバには気づかずに。
◇◇◇
「坊ちゃん!いらっしゃいませ」
冒険者や旅行者が利用する宿のひとつに、ルーベンスが入ると小柄な老人が声を掛けきた。以前、魔物に襲われていた老人をルーベンスが助けたことから、今回のことに協力してくれている。なぜなら老人はこの宿の店主だ。
「あいつ……まだいるの?」
「まだいますよ。そんな顔をしないでください。金払いも良いし、こちらとしては困ってませんよ」
「まぁ、金払いはいいだろうさ……」
後ろ頭を掻きながらルーベンスは口を尖らせる。
金はあるだろう。自分と違って働いているし、何より直系の公爵令息だ。金がないとは思えない。
老人に手を振って問題の人物の部屋にいく。ついこの間まで、動けなくて心配させていたくせに、今はとても元気な人物の元へ。
それはつい10日前のことだった。留守番をしているとデネボラの郊外に魔物がいると報告が入った。両親も姉もいない状態ではルーベンスの階位が一番上になる。魔物の数も5体ほどだと言うので、自分だけで行く判断をし、単独で馬に乗って現場へ駆けつけ、退治した。そこまでは良くあることだ。両親もルーベンスなら大丈夫だと思ったので、全てを任せて中央都市へ行ったのだろう。
両親に認められた誇りと責任感、そして、少しの心細さを混ぜながら帰路の道についたとき、近くの森で妙な魔力反応が生じた。複雑な魔法が使われたことは分かるが、何かは分からない。息を殺して近づいていくと、魔力切れを起こして倒れている男の子がいた。
ルーベンスはその時のことを思い出しながら、扉をノックする。すると明るい声が返ってきた。ゆっくり扉を開けると、そこには人懐っこい笑顔を向ける、アーマンディと同じ髪色の男の子が、その見た目に不釣り合いな粗末なベッドの上にいた。
「テシオ……様、すっかり元気みたいですね」
「んん〜、ルーベンス君は元気がないねぇ、また家族に俺のこと言えなかったのかな?」
「いや……もう今更、言えないですよ!お願いだから帰ってくださいよ!」
「帰らないよ〜、ねえ、アーマンディ様はここにいるんでしょ?会わせてよ?」
「いないです!だから帰ってください!」
「嘘をついちゃいけないなぁ。良いだろ?弟が愛しい姉に会いたいって言ってんだよ?会わせてよ」
「テシオ様は正規ルートを通らず来てるんですよ?言えるわけないでしょ?今なら見なかったことにできますから、帰ってください!」
「罰を受けるのは承知の上だって言ってるだろ?罰なら受ける!そもそも俺はウンディーネ公爵家には縁を切られてるんだよ?ただの魔塔のテシオだよ?アーマンディ様とは無関係の他人だ」
「さっき、姉に会いたいって言ったくせに!もう本当にテシオ様、いやだー!」
「あはは、子供だなぁー。ルーベンス君は」
ルーベンスは、こうやっていつもテシオに煙に巻かれて会話がなり立たなくなる。歳よりも大人だと、賢いと言われてきたルーベンスもテシオには勝てない。それはテシオの独特な雰囲気のせいだ。なぜか油断して、気がついたら、誘導されて本当のことを言いそうになる。
「まぁ、今日は保護者付きみたいだし?仕方ないよね。愛されてるねぇ、ルーベンス君は」
「へ?何のこと?」
キョトンとした目でルーベンスがテシオを見ると、人差し指でルーベンスを指し、次にその指を天井へと向けた。
「女性は何歳でもお姉さんって呼べって習ったんだけど……俺の母より年上かな?それでもお姉さんって呼ぶ?」
「テシオ様……何言って……」
理解ができず、目を瞬いていると、テシオの後ろにある開かれた窓から、人が飛び込んできた。飛び込んできた女性にルーベンスは目を見張る。
「へ?ミルバ?」
驚くルーベンスに一瞥もくれず、ミルバは深く腰を折る。
「テシオだよ、お守りご苦労さん!オネーサン」
「北の大地を潤す輝かしいウンディーネ公爵家のテシオ様のご尊顔を賜り、光悦至極に存じます。わたくし聖女アーマンディ・ウンディーネ様の筆頭侍女ミルバと申します」
「アーマンディ姉様に弟が会いに来たって伝えてもらえる?」
「…………ご伝言承ります」
「うん、よろしくね」
「さぁ、帰りますよ。ルーベンス様」
「――うん」
今部屋にいる3人で一番階位が高いのは、ウンディーネ公爵家頭首カイゼルの息子でかつ15歳であるテシオだ。階位は5位。次はルーベンス。公爵家の息子ではあるが15歳未満であるルーベンスは6位。だから、テシオには敬語で接していた。
そしてミルバは7位の資格を持っている。聖女の筆頭侍女と信女長は特別に7位の資格を与えられる。アジタートがなろうとしていた聖女の後見人は実は5位の資格を有するものだ。通常、聖女の後見人は公爵がなることが多いので、その階位には見向きもしないが、階位の低いものから見ると喉から手が出るほど欲しいものだ。
「テシオ様……また」
ルーベンスはテシオに名残惜しげに手をふる。あまり見たことのない表情を見せるルーベンスの姿に驚いたミルバは、テシオを改めて見る。
肩まで伸びた見事な銀色の髪はアーマンディと良く似ている。だがぱっちりとした瞳の色は緑がかった青色で、人を魅了し、引きずりこもうとする神秘の沼のようだ。一見、女性のような顔立ちだが、骨格を見る限り男の子だと分かる。そこがアーマンディとは大きく違う。
「では、御前失礼致します」
深く、お辞儀をし、背中を見せないように、帰る時は扉から出たミルバは、扉を閉めてルーベンスの背中を押し、帰路を促す。ルーベンスは下を向いたままトボトボ歩いている。
「……シェリル姉?それとも母上?」
「シェリル様です。いったいどうされたのですか?いつものルーベンス様らしくありません。あんなに気の抜けた会話をなさるなんて」
「うん、なんか、テシオ様を見てるとダメなんだ。気が抜けるし、嘘も言えなくなる。ねぇ、ミルバは……」
「何でしょうか?」
ルーベンスが途中で飲み込んだ言葉を促すように、ミルバが立ち止まる。だが、ルーベンスは手をモジモジと動かし、下を向いたままだ。
「――いいや、何でもない。シェリル姉とアーマンディ様にテシオ様のこと言っておいて。俺は……言えないから」
「……承知しました」
この様子も報告せねば……ミルバは内心ため息をついた。
「では伺いますが、テシオ様はいつこちらへ?」
「10日前かな?デネボラの郊外の北にある森にいたんだ。テシオ様が言うには転移魔法で中央都市に行こうとしていたら失敗したって」
「転移魔法?あの幻の?」
「そう言ってた……その証拠に通行手形も持ってなかった」
スピカ公国はひとつの国だが、各公爵領に行き来するには検問で通行手形を出す必要がある。転移魔法は遥か昔に存在したと言われる、幻の魔法で空間を通ってあらゆる場所へ行けるという。
「テシオ様といえば優秀な魔法使いが集まる魔塔の中でも、天才と言われるお方と聞いております。転移魔法を復活させることができたとなると……今後注意が必要ですね」
「でも俺が見つけた時には魔力を使いすぎて虫の息だったよ。転移魔法が失敗して魔力が拡散したって言ってた。結局、転移魔法も失敗したってことだよね?」
「ですが生きていらっしゃいます。しかも次元の間に閉じ込められることなく、出てこられたという事実が、天才の証ではないでしょうか?」
「うん、そうかも。それでつい3日前まで寝込んでたんだけど、起きてからはどこで知ったのかアーマンディ様に会わせろって、俺に言ってきたんだ。アーマンディ様にことは内密にしているのに、どこで知ったんだろう」
「そうですね、ですが時間の問題です。そろそろ公式に発表予定です」
「うん、それは聞いた。だって情報統制だって限界があるよね?ギネがシェリル姉のベランダにウロウロしてるしさ。シェリル姉も余裕がないみたいだし」
「アーマンディ様はもうすぐお目覚めになりますよ。それでテシオ様はアーマンディ様にお会いする理由は言ってないのですね?」
「うん、理由は言えないの一点張り」
「そうですか、ではそのままをお伝えします」
頷くことで返事をし、ルーベンスは宿屋を出る。
振り返ると窓からテシオが手を振っているのが見えた。日の光を照り返す銀色の髪が、空に浮かぶ雲の様に白く見え、背筋が凍りつく様な感覚に恐怖した。
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